大阪 城東区の内科、循環器内科クリニック。循環器疾患、生活習慣病の管理、花粉症などアレルギー疾患、禁煙外来対応。
“ドクトル・イトウの地球の果てまで“ 世界60ヶ国以上を訪れた、院長のちょっと変わった見聞録
これから、中南米の美しい景色を紹介していく。特に南米の高地の景色は本当に素晴らしい。ただ、日本人が国内では到底経験できない高さを、徐々に高度を上げていく登山とは違って、いきなり体感することになるので、健康上のトラブルが多いのも確かだ。
サンペドロ・デ・アタカマ近郊(チリ)標高4000m
自分は高山病の専門家ではない、また登山家でもアスリートでもない。唯一自慢できることといえば、ペルーで過ごした4年の間に、ごく一般的な旅行者として、ペルー、ボリビア、チリの高地を旅行して、家族と共に標高3500から5000mまでの高度を実際に体感したことと、仕事上で現地の医療事情をよく知っている、日本人としては珍しい医者だということだろうか。
またペルーに勤務中の職務として、高山病で重症化した日本人旅行者の救援保護に関わってきた。その経験と知識を元にこれから南米の高地を旅行する方に、高山病とその予防についてまずは書いてみたい。
マチュピチュ(ペルー)標高2400m
以下の文章は自分が勤務中に大使館ホームページに書いた高山病についての注意書きで、まずは基礎知識として読んで欲しい。
高山病について
低地から高地に上がった時、その低気圧、低酸素状態に身体が順応できないことが原因で起こる一連の症状を言います。低地から2500mの高地に短時間で移動した成人の約25%に、何らかの高山病症状が認められると言われています。特に低地から飛行機で一気に高地へ上がると症状が出やすくなります。観光地として有名なクスコは3400m、ティティカカ湖は3800mの高地にあり、実際、リマからこれらを訪れた旅行者の多くが、何らかの高山病症状を経験すると思われます。軽度の山酔いから、個人の体質によっては比較的重い高山病を起こします。
高山病の初期症状は、頭痛、呼吸浅薄感、食欲低下、腹部の膨満感、などで、就寝後も眠りが浅く、頻回に目を覚ます不眠感も典型的な症状です。高山病は重症化すると肺に水が溜まる「高地肺水腫」や脳がむくむ「脳浮腫」となり、すぐに適切な治療を受けると共に、急いで低地へ下がらないと死亡に至ることがあります。
高山病の発症はその日の体調などによっても左右されるため、無理な日程は禁物です。特に高地に到着した初日は十分な休養を取るようにしましょう。過去に高地で高山病にならなかったことは、今回高山病にならないと言う保証にはなりません。ただし、過去に高山病の経験のある方は、特に注意を要します。また、低酸素状態は心臓や肺に大きな負担をかけるため、心臓疾患や肺疾患のある方は事前に医師に相談されること強くおすすめします。
高山病の予防
1. 高地に到着後、初日は十分な休養をとる。
(余裕のある計画を心がける)。
これがもっとも大事です。"ゆっくり、ゆっくり"を心がける。
2. 空港に着いたら"ゆっくり、ゆっくり"歩き、なるべく階段の使用を避ける。
3. 水分を十分に摂る。
4. 高地では低気圧、低酸素のため消化機能が低下するので、腹8分目に心がける。
炭水化物を多めにとり、脂肪分は控えめにする。
5. アルコールの摂取はできるだけ避ける。睡眠薬の使用も控える。
6. 高山病予防薬について
アセタゾラミダAcetazolamida(製品名ダイアモックス: Diamox)の内服は高山病の予防効果がある他、頭痛や不眠などの高山病の症状を改善させる効果があります。アセタゾラミダは日本では医師の処方箋を必要とする医薬品ですが、ペルーの薬局では処方箋なしでも購入することができます(空港内の薬局でも購入できます)。
薬局では必ず『アセタゾラミダAcetazolamida 250mg』と注文して下さい。
当地では『ダイアモックス』という商品名は一般的ではありません。
予防内服方法は、成人の場合 高地に上がる当日の朝より、
1日2回(朝と寝る前) 125mg (250mg錠ならば半分に割って)内服します。
服用後、手指にしびれ感を感じることがあります。
アセタゾラミダには利尿作用(尿の量を増やす作用)があるので、水分を十分に補給してください。高血圧や心臓病、糖尿病等慢性疾患をお持ちの方は内服前に必ず医師に相談してください。
薬局が勧める『SOROJCHI PILLSソロチピル』は単なる頭痛薬で、高山病の予防薬ではありませんのでご注意下さい。
以上
雨のマチュピチュ(ペルー)標高2400m
特に、食事を少なめに食べることと、高地に滞在中は食事には特に厳重に注意して、決して冒険をせず、お腹の健康を保つことだ。高地でお腹をこわしてひどい下痢をすると最悪のシナリオになる。高級ホテルと言えども、野菜を含め出来るだけ生のものを避けるのが賢明だろう。
ウユニ塩湖(ボリビア)標高3700m
また、ダイアモックという名前が
ペルーの薬局では通用せず、『アセタゾラミダAcetazolamida』という名前しか通用しないことも、おぼえていって欲しい。
特に『SOROJCHI PILLSソロチピル』には気をつけて欲しい。現地の人や薬局は「高山病の薬」としてこの薬を必ず勧めてくる。
では、少しこの『SOROJCHI PILLS:ソローチェピル』に付いて説明する。
決してこの薬を非難するわけではなく、これは単なる頭痛薬であることを知って欲しい。
組成はアスピリン、カフェインなどで、日本の「バファリン」によく似た薬だ。つまりこの薬は鎮痛薬、解熱剤であって、確かに頭痛には効くが、高山病を予防する効果は無いといっていいだろう。
雨期のウユニ塩湖(ボリビア)標高3700m
この『SOROJCHI PILLS』の飲み方には高地にいる間、8時間毎に服用するように書いてある。
通常の日本人が何日間も1日3回バファリンを飲み続けたらどうなるだろう。
高地ではお腹をこわすことは御法度だ、下痢は高山病を急速に悪化させる。胃腸の弱い人がバファリンを1日3回飲み続けたらどうなるか。。。逆に体調が悪くなるだろう。
Lago Querococha(ペルー)標高3980m
現地で頭が痛いというと、薬局だけでなく、現地の人々や旅行関係者までも当たり前のようにこの薬を持ってくるので、十分注意して欲しい。当然、単発で飲む頭痛薬としては何の問題もないのだが。。
ペルーに勤務中によく受けた質問が、高地に子供を連れて行って大丈夫であろうか?と言う質問だ。その多くが南米の駐在員の家族で、せっかく南米に来たのだから、マチュピチュは是非見てみたい、というものだ。
子供は高山病に弱いとよく書かれているが、実際のところはよくわかっていない。ただ、子供が頭痛や嘔気で水分が摂れなくなったら、その悪化は大人より深刻になるだろう。
子供同伴の可否について、自分なりの一つの基準を持っていた。それは、体調の悪さ(頭が痛い、お腹が痛い)を自分で訴える事のできる年齢かどうかと言うことだ。個人差もあると思うが4〜5歳ぐらいが基準になるのではないかと思っている。
パストルリ氷河(ペルー)標高5000m
自分は比較的高地には強い方であった。5000mでも何とか観光をこなすことは出来た。ただし、標高2850mにあるキト(エクアドル)への出張時、いつも到着初日はお腹が張って食事が進まず、夜は熟睡できずに何度も目が覚めた。高地から戻ると数日間は強い全身倦怠感が残った。高地では予想以上に体力を消耗する。
高地にあるホテルや空港には必ず酸素ボンベが用意してある。ホテルで体調が悪いというと酸素ボンベを部屋へ持ってきてくれる。自分は何度も高地へ行ったが、一度だけその酸素ボンベのお世話になりかけたことがある。行きなれたクスコ(3600m)へ友人を連れて行き、調子に乗って、いつになく夕食を腹一杯食べビールを飲んだ。その夜、異常な息苦しさに目を覚まし、もがきながら朝を迎えた。もう少しで酸素ボンベを頼むところだった。
高地では腹7分目が大事であることを、身をもって思い知った次第である。
月の谷:アタカマ(チリ)標高2600m
唯一の高山病予防薬として認知されているダイアモックスであるが、飲んで調子が悪いという人も少なからずいる。できれば旅行前に数日服用してみて、問題ないかどうかを確認しておいた方がよいだろう。
最後にこれはあくまで私見であるが、高山病の予防に漢方薬の「五苓散」がその薬効から有効であろうと考える。
頭痛や吐き気や下痢の薬にもなるし、ダイアモックスよりも副作用が少なく効果があるのではないかと考えている。
高地へ出発する日の朝から1包(2.5g)を1日3回、高地に滞在中飲んでいればよい。
「五苓散」は小児科でも下痢や吐き気に頻用する薬なので、子供にも安心して使用できる。
次回より、アタカマ(チリ)からウユニ塩湖(ボリビア)への4WDでの旅を紹介したい。
※このブログを見てくれた読者から、高山病予防薬の処方についての問い合わせをクリニックにたくさんいただいている。
当院でも2014年4月1日より高山病予防薬(ダイアモックス)の処方を開始することとした。
詳しくは「高山病予防薬の処方について」をご覧下さい。
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「ドクトル・イトウの地球の果てまで」も3年目。そろそろ、2006年から2010年までの丸4年間を過ごした、ペルーの魅力を紹介していきたい。あまりに思い出が多すぎて、何から紹介したらいいのか迷ってしまうのだが、旅行者とは少し違った視点で、ペルーの美しい風景、面白い風景を紹介できたらと思う。
ペルーというと高地というイメージがあるが、実際には首都のリマは海岸部の低地にあり、クスコやマチュピチュなどはアンデスの高地、その内陸部はアマゾン川が流れる熱帯雨林地域で、一つの国に様々な気候帯がある。それだけに色んな景色や食べ物が楽しめる。
ペルーといえば、まずマチュピチュが思い浮かぶだろう。この景色は本当に神秘的ですばらしい。これは晴れた日のマチュピチュ。この角度から見ると、バックの山(ワイナピチュ)がインディアンの横顔に見える。真ん中の高い山が鼻で、左の低い山があご。偶然にしては面白い。
雨のマチュピチュはまた幻想的ですばらしい。何も見えない真っ白な霧の中から、徐々に姿を現してくる様子は「天空の城ラピュタ」の世界。
これはリャマ、アンデスに成育するラクダの仲間。とぼけた顔が何とも愛らしい。
インカ帝国の都クスコ、標高3400mにある。富士山の頂上に近い高さにこんな街があるというのは、来てみないとなかなか実感できない。赤煉瓦の街並みが美しい、
クスコの中心部、朝のアルマス広場。
夜のライトアップされたアルマス広場(クスコ)。
ペルーの南の端、ボリビアとの国境にある湖、チチカカ湖(標高3800m)。定期航路が就航する、世界で一番標高の高い湖。
リマの北400kmにあるワラス。ペルーのスイスと呼ばれていて、ペルー最高峰の山ワスカラン(標高6768m)をはじめ、6000mクラスの山々が連なる美しい地域。写真はケロコチャ湖(Laguna Querococha:標高3980m)
パストルリ氷河(Nevado Pastoruri:標高5000m〜5400m)を目指して、9合目まではバスで登り、そこから馬で9.5合目まで登って行く。後は氷河までの地獄の登山。
初めて体感した標高5000m。氷河自体よりも、そんな場所にいる自分に驚いた。空気が薄く、一歩一歩が本当に苦しく、周りが黄色く見えた。
ワラスの高山地帯に自生するプヤライモンディ(Puya Raymondi )、百年に一度だけ花を咲かすという不思議な植物で、高いものは10mにもなるという。青い空に金色に輝き美しい。これがパイナップルの仲間というのがおもしろい。氷河よりもこの植物の方に感動した。
ペルー第2の都市、「白い街」アレキパの夜景。
ペルーのアマゾン地帯、プエルト・マルドナード(Puerto Maldonado)。ジャングルにあるロッジに宿泊して、ジャングルツアーを楽しむ。
アマゾンの夕暮れ。これも忘れられない美しい景色だ。
ペルー北部の海岸地帯チクラーヨ。トトラ葦で作られた小船で今も漁が行われている。
ナスカの地上絵をセスナから見物する。これはハチドリで、一番見つけやすい地上絵の一つ。多くの地上絵は、地面と線のコントラストが薄くてなかなか見つけることができない。
この装甲車のような車は? リマではよく見かける車で、いわゆる銀行の現金輸送車で、少々の爆発物でもびくともしないらしい。馬鹿げているようだが、武装集団対策で運転席に扉はない。何気ない風景だが、これがペルー、南米の実情。ツアーの団体行動をしているには問題ないが、一歩場所を間違えると危険が待っている。
これからじっくりとペルーの魅力を紹介していきたい。
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ペルー観光のメインイベントはもちろんマチュピチュ。自分が色々見てきた絶景の中でも、ベストテンに入るのは間違いない。日本からは、アメリカの都市を経由してまずリマへ入る。これがほぼ丸一日の行程だ。リマは海岸部にある都市で低地にある。このリマから、インカ帝国の都であったクスコへ一気に高度を上げる。
上から眺めたクスコ市街の様子。赤煉瓦で統一されていて美しい。
クスコ空港に到着。ターンテーブルの前では「コンドルは飛んでいく」の生演奏をやっていたりして、ペルームードは盛り上がっていく。でもここは標高3,400m、富士山の頂上に近い世界。慌ててスーツケースを運んだりすると、とんでもなく息切れする。高地に身体をならすため、ここから1日の過ごし方が非常に重要。あせらずに、ゆっくりゆっくり動く。詳しくは第55回「南米の高地へ:高山病とその予防について」をご参考いただきたい。
クスコの中心部、アルマス広場(Plaza de Armas)。ペルーではどの街にもその中心部にはこのような「アルマス広場」と呼ばれる広場がある。「アルマス」とは「武器」という意味。争い事が起こった際に、住人が武器を持って集まった場所だかららしい。
クスコのアルマス広場は、少し坂を上がって、高台から見下ろした景色が好きだ。写真左が大聖堂、正面がラ・コンパーニャ教会だ、
ラ・コンパーニャ教会。インカ帝国の時代の建物の土台の上にスペイン人が建てた教会。
数奇な歴史をたどった都市だが、インカ帝国の文化とスペイン文化が妙にマッチしていて、これが興味深い。
イースター(復活祭)はキリスト教国では春の大きなイベント。その前の一週間(聖週間)はスペイン語圏ではセマナ・サンタと呼ばれ、日本のゴールデンウイークの様な連休になる。この聖週間にクスコでは、セニョール・デ・ロス・テンブローレス(地震の主:黒いキリスト像)の御輿を担いで行進するお祭りが行われ、アルマス広場が人で埋め尽くされる。
石畳の路地。何とも趣がある。
街の綿菓子売り、その数と色のど派手さが節操なく、それがペルーらしくて良い。
ペルーの高地で当たり前のように飲まれる「コカ茶」。現地のポーターはこのコカの葉をしがみながら山を登る。コカとはもちろんコカインのこと。麻薬の原料になる葉っぱで、間違って土産に持って帰ったら大変なことになるかも知れない。ちなみにコカコーラのコカもこのコカの意味、当初は疲れた軍人の元気を付ける飲み物であったらしい。もちろん、今のコカコーラにコカインは入っていない。
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朝のアルマス広場。朝日に輝いて美しい。
民族衣装を着たインディオのおばちゃん達もひと休みで井戸端会議。
クスコの街並みでよく目にするのがこの「インカの石組み」。何でもないようにも見えるのだが、これがインカ帝国の技術力、科学力の結集されたもの。
インカの石組みは、「カミソリの刃1枚も通さない」と評されるほど、本当に精密で、こんな小さい石まで、きっちりとはめ込まれている。相当高度な石切の技術があったのだろうと想像されるのだが、なんと、インカ帝国には「鉄」というものがなかった。それが、銃や剣をもったたった200名のスペイン人に、いとも簡単に征服されてしまった原因とも考えられるのだが、鉄器なしで、どうやってここまで精巧に石を切ったのか。本当に謎だらけだ。
その代表作がこのクスコ名物「12角の石」。知らなければ、通り過ぎてしまうような光景なのだが。
手前から三番目の大きな石。確かに12角に切り出されている。鉄が無かったと知ると、本当にどうやって加工したんだろうと考えてしまう。
ライトアップされたアルマス広場。
何とも雰囲気があって美しい。
教会もきれいにライトアップされる。
坂の路地もいい雰囲気になる。
夜の「12角の石」。
高山病の予防について、「第55回 南米の高地へ:高山病とその予防について」で、高地では下痢は厳禁と書いた。つまり高地では「食の冒険」は御法度。マチュピチュ観光を無事に終わらせたいのであれば、食事と飲み物には十分に注意が必要だ。ただ、この露店のアンティクーチョ(牛の心臓の串焼き)は本当に美味そうだった。日本で言うところの「ハツ」が、大きめに切られ、照り焼きになっている。もちろん、この料理は、リマのちゃんとしたペルー料理のレストランでも味わえる。でもこういった屋台の雰囲気で食べるのがおつというものなのだが。。。食べる勇気は無かった。
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今回はクスコ周辺の観光スポットを紹介する。
クスコ郊外を流れるウルバンバ川。アマゾン川の源流の一つでもある。このウルバンバ川の流れる渓谷は「聖なる谷」と呼ばれ、インカ帝国の遺跡や村落がたくさん残っている。
この景色にはリャマがよく似合う。アンデスに生息するラクダ科の動物。アルパカや高級毛織物のビクーニャはその仲間。山々にはしましまの模様がある。よく見てみると。
これは「アンデネス」と呼ばれる段々畑。平地の少ない山岳部で効率の良い農業を発展させた、インカの技術力だ。
ジャガイモやトウモロコシなどこの地を原産地とする農作物は多い。
山間の渓谷の街の中心に、何やらテントがたくさん張られた区域がある。これが観光地としても有名な「ピサックの市場」だ。
所狭しと露店が広がり、地元の人はもちろんのこと、観光客でにぎわっている。
野菜から民芸品までありとあらゆるものが売られている。
民族衣装で着飾った娘達。
八百屋で売られていたトウモロコシ。色んな色と形がある。
特にこの濃い紫色のものが、「チチャ・モラーダ」というペルーの代表的な紫色のジュースの原料となる。
ピサックの市場で有名な窯焼きのパン屋さん。
その軒先に、何故かかわいいモルモットのようなネズミが飼われていた。これはテンジクネズミの一種で、ペルーでは「クイ」という。何と食用なのである。
これが代表的な「クイの窯焼き:cuy al horno」。ペルーの山岳部ではよく食べられる料理で、クイの丸焼きというか、姿焼きというか、クイを開いてオーブンで焼いてある。顔が付いているので、睨まれたような気になる。自分も当然の事ながら、あまりにグロテスクで最初は食べられなかったが、日本人を含め食べた人が皆結構いけるというので、恐る恐る食べてみた。肉は少ないのだが、ゼラチン質で、味はたしかに結構美味しかった。
今回の行程で、最も標高の高い3800mにあるチンチェーロという村に立ち寄った。まさに富士山の頂上よりも高い村だ。この坂道の上に毎週日曜日に開かれるバザール(市場)があるという。短い坂なのだが、空気の薄いこの地では結構きつい。
坂の上には広場が広がり、その向こうには侵略者であるスペイン人が造った教会がある。
何とも素朴なバザールだった。
結構きれいな織物が売られていた。
次回からはいよいよマチュピチュを紹介したい。
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いよいよマチュピチュへ出発。まずはクスコからマチュピチュの麓の村アグアス・カリエンタスまで、約3時間の列車の旅だ。
ペルーの列車といっても、このPERU RAILはあの有名なオリエント急行の会社が運営している観光列車で、運行も比較的きっちりしている。
少し前まで、このマチュピチュ行きの列車はクスコの市街にあるサン・ペドロ駅から出発し、スイッチバックといって、登ってはバックで下がりを繰り返して高度を上げていく、なかなか風情のある世界でも有数の高原列車であったのだが、如何せんこのスイッチバックは時間がかかるので、観光客を効率よく運ぶために、2009年からはクスコから陸路で30分程高地にあるポロイ駅まで車で移動し、そこから列車に乗り込むという、スイッチバック区間を短縮した行程に変更になっている。
この列車はなかなかエンターテインメントも充実していて、列車の中に突如クスコの伝統的なお祭りの衣装をまとった人が登場したり。
いきなり、アルパカセーターのファッションショーと実演販売が行われたりと面白い。もちろんこの登場人物達はれっきとしたこの列車の乗務員達。なかなかの役者魂だ。
列車はウルバンバ川の渓谷ひた走る。
前方にはアンデスの山々がそびえ立つ。
マチュピチュの麓の村アグアス・カリエンタスに到着。この「アグアス・カリエンタス」とは「暑い水」、つまり「温泉」の意味、その名の通り温泉の村だ。何か日本の温泉街のような風情がある。
何かちょうちんが似合うような、川の流れる、ひなびた田舎の温泉街のたたずまい。
村の公衆浴場へ行ってみた。もちろん水着着用で温水プールのようなものなのだが、壁にマチュピチュの絵が描いてある。銭湯の富士山と同じ発想なのか?面白い。
今回一緒に行った日本の料理人M君と「クイの丸焼き(第67回参照)」を食べに行った。彼はこの行程中、ずっとこの「クイの丸焼き」を食べ続けた。一度食べただけの先入観で、その料理の美味いまずいを評価したくないというのが彼の考えで、この店では、実際に調理をさせてもらった。こういった何でもありなところが「ペルー」だ。
薪で焚いたオーブンでじっくり焼く。結論的に彼が出した評価は「クイの丸焼きは美味い」ということだった。
翌朝、いよいよマチュピチュへ。
マチュピチュはアメリカの探検家ハイラム・ビンガムによって1911年に発見されたとされている。
少し離れて遠景でマチュピチュを見るとこんな感じ。マチュピチュとは「古い峰」という意味。後ろの山はワイナピチュ「若い峰」。
上から見ないと決してその存在に気づかない、マチュピチュが空中都市と呼ばれる意味がわかるだろう。誰が、なんの目的でこんなところに都市を造ったのか?諸説ある様だが、真実はわからない。
マチュピチュへ続くつづらおりの道、これがアグアス・カリエンタスからマチュピチュへ続く道、発見者にちなんで「ビンガム・ロード」と呼ばれる。アグアス・カリエンタスからバスで約30分の道のりだ。
山の峰を見てみると、こんなところにまでアンデネス(段々畑)が造られている。これは凄い。
次回から、マチュピチュを「晴れのマチュピチュ」と「雨のマチュピチュ」に分けて詳しく紹介する。
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ペルー観光の大きな目玉は何と言ってもマチュピチュであろう。これを見るためにペルーまで行くと言っても過言ではない。そういった意味で、マチュピチュの観光は是非、現地(アグアス・カリエンタス)で1泊はして欲しい。クスコから日帰りのツアーもあるのだが、それでは混雑しているマチュピチュを見て終わってしまう。特に雨期ではマチュピチュを見れずに終わるという最悪のことも起こりうる。
アグアス・カリエンタスで1泊すると、到着当日と翌朝の2回マチュピチュを訪れる機会がある。特に翌朝はクスコからの最初の列車が到着するまでの、マチュピチュが空いている時間帯に、朝靄がたちこめる景色をゆっくりと見学することができる。
前日に一通り見て回っているので、遺跡内の様子もだいたいわかっていて、なおさら効率的に要所を見ることができるからだ。
もう一つ、マチュピチュにはふたつの顔がある。晴れのマチュピチュと雨のマチュピチュだ。当然、晴れた日にマチュピチュの全景を見ることは必須事項なのだが、この写真のような雨のマチュピチュも幻想的で非常にすばらしい。山の天気なので、一日中雨と言うことは珍しい、午前中が雨でも午後から晴れてくることが多い。ガスで何も見えない世界から、徐々に全貌を現してくる様子は、「天空の城ラピュタ」そのものだ。雨期にはこのふたつのマチュピチュが見られるチャンスがある。
まずは、晴れのマチュピチュから紹介する。一番高所にある「見張り台」からは全体像か見渡せる。
雨期のマチュピチュは緑が鮮やかでより美しい。
遺跡内で保護されているリャマが、アンデスの雰囲気を盛り上げてくれる。
この角度から見ると、遺跡の後ろの山々が「インディアンの横顔」に見えるのがわかるだろうか?真ん中の山が鼻で、左の山が口元。偶然にしてはよくできている。
徐々に下りていく。その高さ高さで遺跡の見え方が変わってくる。
リャマ君をアップで一枚。目元を見ると「ラクダ科」の動物であることがよくわかる。何とも癒し系の動物だ、
リャマと一緒に遺跡を見ると。何か雰囲気が変わってくる。
遺跡のあちこちに居るのだが、景色と妙にマッチしている、
「天空の城ラピュタ」の様に廃墟に緑が茂り、穏やかな空間になっているのがわかるだろうか。
さらに下りていく。遺跡のダイナミックさが伝わるだろうか。次の写真とは同じ角度から撮ったモノだが、違う時期(4月と9月)に撮ったもので、光の当たり具合と緑の濃さが異なる事で少し違った感じに見える。これは9月末で乾期から雨期へ移り変わる時期。
これは4月で雨期の終わりの時期。
太陽の門が見える高さで。これは9月末のもの。
遺跡の高さまで下りてきた。
次回は遺跡内部の様子を紹介する。
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では、マチュピチュ遺跡内部の様子を紹介していく。
マチュピチュのアンデネス(段々畑)は近づいてみるとこんな感じで、これがいわゆる「農耕区域」
アンデネス自体は、観光客の通路になっている。
この辺が、人々が生活していた「居住区域」。
アグアス・カリエンタスで一泊して、翌朝、朝一番に遺跡に向かうと、この様な朝霧がたちこめる静寂の中の遺跡を見ることが出来る。
朝一番は多くの観光客が、この正面の山、ワイナピチュへの登山に向かうので、遺跡の中は人がまばらだ。
リャマ達ものんびりと過ごしている。
アンデネスは人の背丈ほどの高さがある。
遺跡の中はインカの石組みで出来ている。
遺跡内をリャマは縦横無尽に散歩している。結構大きいので突然現れるとびっくりする。
外の風景と対比させると、何でこんな山の中に、人工的な都市を造ったのだろうかと考えてしまう。
下から遺跡を見上げるとこんな感じ。
こうやってみてみると、ここが奥深い山の中であることがわかる。
これは山小屋ではなく、都市の家なのだから。
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自分はマチュピチュを2度訪れたが、雨期の始まりと終わりの時期であったので、2度共に初日は雨、2日目が晴れというパターンだった。
雨の日のマチュピチュは、ガスの中に全てが隠れて何も見えない。山の上から雲を見下ろしている様な感じだ。
雨がっぱを着て、ガスで覆われた遺跡の中を登っていく。折角やってきたのに、あいにくの天気で皆テンションが低い。
上から、リャマたちと遺跡を見下ろすとこんな感じ。ガスで何も見えない。日帰りツアーだとこのままで帰らなくてはならない。1泊ツアーだと、ガスが晴れるのをのんびり待つことができる。
雨がやみ、しばらくすると、ガスの中にうっすらと遺跡の姿が見えてきた。
ガスが風にのって流れていく。
ガスの動きで、見えたり隠れたりを繰り返す。
何とも幻想的な風景だ。
「晴れのマチュピチュ」は「静」の景色だが、「雨のマチュピチュ」はダイナミックに刻一刻と風景が変わっていく。動きのある景色だ。
同じ風景を2度と撮ることはできない。
遺跡の上に腰を下ろし、のんびりとこのパノラマショーを楽しむ。何とも贅沢な時間だ。本当に来て良かったと感じる。
一度目に来た時は、この「雨のマチュピチュ」を上手く写真に納めることができなかった。
写真の知識に乏しい自分は、すべてオートフォーカスで撮っていたのだ。ピントが前の水滴やガスに合ってしまうので、肝心の遺跡が皆ピンぼけになってしまっていた。
今回はリベンジの時、マニュアルフォーカスにして、何とか写真に納めることができた。
雲の中から徐々に姿を現してくる姿は、「天空の城ラピュタ」そのものだ。
次回からは、「ペルーのスイス」とも呼ばれる高原の街ワラスから、6000mクラスの山々が連なる、世界自然遺産の「ワスカラン国立公園」と文化遺産「チャビン・デ・ワンタル遺跡」を紹介する
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ペルーといえば、マチュピチュやナスカの地上絵ばかりが有名どころだが、この国は砂漠、高山、熱帯雨林と様々な気候帯があり、それぞれに素晴らしい景色がある。今回はペルーのスイスと呼ばれる、ワラスを紹介する。リマの北420kmに位置し、世界自然遺産のワスカラン国立公園、世界文化遺産のチャビン・デ・ワンタル遺跡観光の起点の街である。リマからはバスで8時間だ。
今回利用したMOVIL TOUR車のバス。ビジネスクラスのようなリクライニングシートで非常に快適であった。ペルーはバス路線が発達しており、また値段が安い。ただし、悲惨な交通事故や車内での盗難などのトラブルも頻発しており、安いバスは厳禁。必ず「Cruz del Sur」、「MOVIL TOUR」や「Ormeno」などの大手のバスを利用して欲しい
今回は行きリマからの夜行で朝にワラスに到着。帰りはワラスを昼に出発する便を利用した。
帰路は、夕日が沈むリマの海岸線を楽しむことが出来た。
ワラスの街は標高3,052m、周囲の山々は6,000mクラスだ。スイス観光の拠点グリンデルワルトが1,050m、ツェルマットが1,605 m、スイスアルプスの山々が4,000〜4,500mであることから考えても、こちらの標高はかなり高い。
ワラスは素朴な小さな街、しかし面白いことにイタリア料理やスイス料理の店が多い。こんなペルーの田舎町で本格的なチーズフォンデュが食べられたりする。その理由は、ヨーロッパのアルピニスト達が、ここ山に魅せられて住み着いてしまったからだそうだ。
今回の宿はワラス近郊にあるモンテレイ温泉へ。田舎道をしばらく行くと。
今回宿泊した温泉ホテル「Hotel Monterrey」
ここは温泉プールで有名。鉄分を多く含んでいるため、泥水の様な色で見た目は悪いが立派な温泉。当然の事ながら水着を着けての利用となる。
この温泉プールの横には個室温泉が併設されていて、
大小様々な個室の温泉があり、家族単位で利用が出来る。
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これから、世界自然遺産のワスカラン国立公園にある、パストルリ氷河へ向かう一日ツアーのはじまり。
ワラスのツアーバスターミナルからオンボロミニバスで出発する。
サングラスを売る少女。確かに日差しが強い。
行き帰りに必ず立ち寄るドライブイン。ここのチキンスープ(caldo de gallina:カルド・デ・ガジーナ)は絶品、高地で食欲のない胃に染み渡る美味しさだった。
峠の山の上にマリア像。このあたりは標高4000Mを超えている。
ガードレールも何もない山道をオンボロバスでぶっ飛ばす。一歩間違えば谷の底。実際にそういう事故がたびたび起こっているのも事実なのが、ペルーだ。
森林限界を超えているので、木というモノがない世界。
雪を冠した山が見えてきた。このワスカラン国立公園は6000mクラスの山々が連なる、世界で最も高い国立公園だそうだ。広さは四国の半分とスケールがでかい。
何もない秘境の公衆トイレ。
リャマも営業中。
何やら細長い、サボテンのような植物が見えてきた。
これはプヤ・ライモンディというこのあたりに自生する非常に珍しい植物。
サボテンのようだが、何とパイナップルの仲間。10m以上に育つ。
100年以上生き続けて、100年に一度花を咲かせるという、何とも神秘的な植物。高地の強い光を浴びて、金色に輝く様に見える。自分は、これから向かう氷河より、この植物の光り輝く様子が非常に印象に残った。日本の大学もこの植物を研究されているという。
池のように見えたが、湧き水だ。
目的地が見えてきた。
次回は標高5000mにあるパストルリ氷河へ。
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おんぼろバスはガタガタ山道を爆走していく。景色があまりに雄大で、スピードを感じない。
雪を冠した山が見えてきた。6,000m級の山だ。
これから向かうパストルリ氷河は、その裾が標高5,000m。自分たちには想像を絶する高さなのだが、気軽な装備で行けてしまうところが、何ともペルーなのだ。防寒さえできていれば、特別な山の装備は要らない。靴もトレッキングシューズで十分だ。でも空気は非常に薄く、気軽に行ける非常に苛酷な場所なのだ。
ここはツアーバスの駐車場、ちょうど9合目あたりになる。向こうには目的地の氷河が見えている。
この9合目から9.5合目までは馬で登っていく。
雄大な景色を見ながら、馬に揺られていく。
こういった景色はスイスの景色そのものだ。でも、優雅な登山はここまで。
道しるべには「行くのは困難だ、でも、不可能ではない」と書かれている。この9.5合目からは、自力で登って行かなくてはいけない。
そんなに長い道のりでもないのだが、これがとてつもなくしんどい。酸欠で目の前の景色が黄色く見えるようになった。そんな我々に付き添うように、おじさん達がニコニコついてくる。ギブアップした登山客を背負って登るポーター達だ。
そんなオッサンの世話にはなるわけにはいかんと、何とかたどり着いた。これがパストルリ氷河だ。
氷の柱が見えるだろうか。
ベースが5,000mで頂上が5,400m。でも、当時9歳のうちの娘でも来れてしまうのだ。マッターホルンが4,478m。ヨーロッパ最高峰のモンブランが標高4,810mなわけであるから、この高さは尋常ではない。
帰路は雄大な景色を満喫しながら、馬の背に揺られて下っていく。
写真では伝わりにくいのだが、とんでもなく豪快な景色だ。
高地独特の景色を見ながら、ワラスの街へ帰っていく。
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今回は、ワラスからのもう一つの観光スポット、世界文化遺産にも登録されている、チャビン・デ・ワンタル遺跡へ向かう。この遺跡は、標高3200mにある神殿遺跡で、紀元前1500年から300年頃に栄えた古代アンデス文明のチャビン文化の遺跡だ。
遺跡に向かう途中で立ち寄った、ケロコチャ湖(Lag. Querococha)、なんと標高3980mと富士山よりも高い。
標高4000mから望む山々は、もちろん5000〜6000mクラスの山々。湖の水は澄んでいて、幻想的な雰囲気だ。
おんぼろバスに揺られて、チャビンの村に到着した。
アンデスの田舎そのものという素朴な風景。
これは、村の薬屋さん。どこにでもある、よろずやといった感じだ。
遺跡にはいると、博物館のようになっており、数々の出土品が展示されてあり、これが結構興味深い。これは動物を模ったレリーフ。
これは「カベッサ・クラバ」、直訳すると「頭の釘」。この遺跡の代表的な出土品だ。
これは遺跡のミニチュアモデル。左上の壁を見てみると。
この「カベッサ・クラバ」が壁に突き刺してある。
実際にはこんな感じだ。
ここは遺跡の広場。
このあたりは何か生活感を感じる。
このチャビン・デ・ワンタル遺跡は地下回廊があることで有名で、地下に「ランソン」と呼ばれる巨大な石塔の主神体がある(高さ約4.5m)。このあたりから地下に入っていく。
こんな感じで地下に回廊が張り巡らされている。1996年の在ペルー日本国大使公邸がテロリストに占拠された事件で、当時のフジモリ大統領が、地下道を掘って武力突入した作戦名を「チャビンデワンタル作戦」としたことでも有名だ。
この向こうに「ランソン」がある。
遺跡周辺の風景。のんびりとロバが橋を渡っている。
橋の袂では、村のお母さん達が、洗濯をしていた。
次回からはがらりと変わって、ペルーのアマゾン・ジャングルを紹介する。
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ペルーというと「高地」というイメージが強いが、実際には3つの気候帯がある。首都のリマがある海岸部は砂漠地帯、アンデスの高山地帯、そしてアマゾンの熱帯雨林と、一つの国土に様々な気候帯が存在する。
今回は、アマゾンの熱帯雨林ジャングルを紹介する。アマゾン川は世界最大の流域面積を持つ川で、多くの支流があり、北はコロンビア、エクアドルからペルー、ボリビア、ブラジルを流れる。
飛行機の窓から、雪を被ったアンデスの山々を眺めていたら。
景色が一転して、眼下に緑のジャングルが広がってきた。
蛇行しながら流れているのが、アマゾン川だ。
流れは緩やかで、独特の色をしている。
アマゾン・エコツアーの玄関口、プエルト・マルドナードに到着した。高山地帯にあるインカ帝国の都クスコから、空路30分程度で、熱帯雨林ジャングルに来てしまう。何とも不思議な感覚だ。
車にエアコンなど求めてはいけないこの地域では、風を切って走る、このモトタクシーが住民の足だ、
HONDAのマークが何とも怪しい。
ファンキーにペイントされたボンネットバスも、現役で活躍している。
村の桟橋から、小型ボートに乗って、ジャングルの中にあるロッジへ向かう。
ボートから眺める空の景色が、高地とは全く違う。乾いた青ではなく、夏の青だ。
今回宿泊したフランス人が経営しているロッジ「Lodge Corto Maltes Amazonia」。寝室には蚊帳が張られている。
室内はなかなか快適だ。
部屋のバルコニーにあるハンモックで昼寝。
何気にオウムがやって来る。
シロムネオオハシにも気軽に出会える。
ロッジ内にいるシロムネオオハシは人懐っこい。
もちろんタランチュラもいる。
そうこうしているうちに日が暮れてきた。
アマゾンの夕暮れはすごく絵になる。
夜中のボートサファリ。きらりと光った眼は小型ワニのカイマンだ。
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アマゾン・エコツアーの2日目。早朝から歩いてジャングルの中に入っていく。
エコーツアーには、必ず専属のガイドがついて、ジャングルの動植物の生態系について解説をしてくれる。
今回は乾期に訪れた。雨期は緑が鮮やかでより美しいが、地面がぬかるんで大変らしい。
朝の目的は、インコの見物。もの凄い数のインコが土の壁に集まり、土をかじっている。
土に含まれている塩分を摂るためで、土のミネラルはジャングルの貴重な塩分源なのだ。一斉に飛び立っては集まりを繰り返し、中々のエンターテインメントだ。
ロッジに戻って、今度は船でアマゾンを進み、ジャングルに入っていく。
鳥や獣の鳴き声があちこちから聞こえる中、船は静かに奥に入っていく。
あまり見たことのない果実を発見。
これはスターフルーツだ。輪切りにすると星の形をしている。
このジャングルには、色んな種類の猿が生息している。
アマゾンの支流を進んでいく。
途中、何やら作業をしている人達を発見。近づいてみると。
これは川の泥から砂金を採る作業らしい。
泥をくみ上げて、ビニールシートでふるいにかけるといった、きわめて原始的な方法で砂金を集めている。
砂金集めはこの地域の大事な産業なのだ。
漁をしている人を発見。
網には大きな魚がかかっていた。見せてもらったお礼にガイドさんが、手巻きたばこを1本プレゼントしていた。
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アマゾンのエコ・ツアー2日目。
ジャングル内の支流での魚釣り、なんとピラニア釣りだ。道具はいたって簡単、枝の棒っ切れに釣り糸と針。エサは牛肉の切れ端。
こんなモノで釣れるのかと半信半疑であったが、まずは下の娘が難なく1匹目をゲット。
上の娘も2匹目をゲット。
本日の釣果はこの2匹のみ、後はみんなボウズであった。
釣った魚は夕食の席に調理されて出てきた。食べてみると、淡泊な白身で美味であった。
エコ・ツアーも終わり、再び船でプエルト・マルドナードの街を目指す。
バナナを満載したモトタクシー。ジャングルの街らしい光景だ。
その街を知りたければ市場に行けと言う。確かに自分もそう思う。ということで、プエルト・マルドナードの市場をのぞいてみた。
南国らしく、色鮮やかな野菜や果物がならんでいる。左下の茶色いモノはタロイモ。
米は主食で食べられていて、色んな種類の米が売られていた。
ここは、香辛料屋さん。左下の白に赤字の袋は、味の素。アマゾンのジャングルにも"だし"文化が定着していた。そういえば、アンデスの高地、ボリビアのウユニの市場(第62回)にも味の素が売られていた。ちなみに"AJINOMOTO"はブラジルやペルーに大工場を持っていて、サトウキビを原料に味の素を製造している。
豚肉や豚の顔、アマゾンで捕れた魚が売られていた。
鶏肉やさん。何ともグロテスク。
野菜は何か巨大だった。
市場のタクシー乗り場。
次回からは、南米大陸の南の果て、最も南極に近い"パタゴニア"を紹介していきたい。
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舞台を一旦ペルーに戻して、自分が4年間生活した、ペルーの首都リマの様子を紹介する。
リマの新市街、サン・イシドロ地区。高層ビルの多くは、富裕層や外国人が暮らすマンション。リマに駐在する日本人の多くが、このマンション群に暮らしている。高層ビルの奥に見える緑は、ペルーで一番の名門ゴルフクラブ、リマ・ゴルフ。サン・イシドロ地区の住人は、この街中に広がるゴルフ場を見下ろして生活している。さぞかし便利か?と思いきや、日本人を含め白人以外はほとんど会員にはなれないのだ。目の前のゴルフ場でプレーが出来ない現実。ペルーが白人社会であることを目の当たりにする光景だ。
写真中央の土の盛り上がりはインカの遺跡。こんな街中にも遺跡がある。
夜は遺跡がライトアップされる。
ここはもう一つの新市街、ミラフローレス地区。海を見下ろすように高層マンションが立ち並ぶ。ハワイやマイアミのような光景なのだが。。。夏はいいが、冬は写真のように霧に覆い隠されてしまう。住人曰く、雲の上で生活しているようとのことで、湿気が高く、カビに悩まされる。リマは地理的には砂漠気候でほとんど雨が降らず、緯度からは本来、気温の高い場所なのだが、リマの沿岸には寒流のフンボルト海流が流れていて、海上の大気が冷やされ、雲が発生する。
写真のように、海から、霧が覆い被さるように発生する。これが、砂漠地帯で雨が降らないにも関わらす、高湿度でカビになやまされるというリマの特殊な気象条件だ。
リマの旧市街、セントロ。
歴史的な建造物が多く、見る価値は高いのだが、治安が悪く、なかなか訪れる機会は少なかった。
これは大統領府の衛兵交代式。国歌が流れて、なかなか壮観な催しだ。
セントロの中華街。
リマには多くの中国系移民が生活していて、中華料理がしっかりと根付いている。いわゆるチャーハンはチャウファと言って、すでにペルー料理になってしまっている。日本人の味覚に合うおいしい中華料理だ。
このおじさんは何をしてるか?犬を売っている。
美味しい中華レストラン、サロン・カポン。
ここの北京ダックは自分が今まで食べた中で一番美味しかった。スキンヘッドのおじさんは、リマでおなじみの日本食レストラン「TOSHIRO」のオーナーシェフ、トシさん。ペルーでは超有名人。
黄色い車はタクシー。リマで走っているタクシーの大半は日本車の中古車。何でも有りのペルーでは簡単に左ハンドルに変えてしまう。自分が子供の頃の車が現役で走っている。
おんぼろビートル。部品の組み合わせで色までまだら、これがペルーそのもの。
女性下着もこんな感じで売られている。
何とも不思議な感じがする。
これは銀行の現金輸送車。テロ対策で、装甲車のようになっていて、扉がない。見かけは何でもない平穏な街並みなのだが、危険はいっぱいなのだ。
セントロから一歩離れると、ゴミが散乱している世界に直面する。
バラックが連なる。これがペルーの現実だ。
リマのきれいな夕日を一枚。
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南半球にあるリマのクリスマスは夏。ホワイトクリスマスとは無縁だが、夜は街のあちこちでイルミネーションが美しい。でも、夜のリマは危険がいっぱい。なかなか夜の風景をゆっくり楽しむのは難しい。
旧市街の日も暮れてきた。
ステーキハウスの牛にも、クリスマスの首飾りが。。
「リマの危険な夜を、安全に見物したい!」という要望にこたえて登場したのが、この「ミラバス」。2階建て観光バスで、日暮れ時に旧市街を出発し、リマの主要な観光名所をめぐる。
この「ミラバス」に乗ってみた。2階はこんな感じでオープンエア。
4年間生活して、夜の旧市街を見るのは初めてだ。
屋根が無いので、景色がすごく近くに感じる。
街中にも大きなクリスマスツリーのイルミネーション。
最初の目的地は、2007年に突如造られた、噴水公園(Circuito Mágico del Agua)だ。
世界一大きな噴水の公園として、ギネスに認定されている?そうだ。。
地方では、水道がまだ行き届いていないところも多いというペルーに、なんで噴水公園??という感じであったが、
リマっ子には大人気のようであった。
これが結構なスケールで、楽しめる。
なかなかのアトラクションなのだ。一見の価値はあり。
最後は大きなクリスマスツリーを。
一歩外に出ると、おんぼろミニバスが車線を奪い合う、喧騒の街、リマ。
古い建物がライトアップされてきれいだ。
街の汚れを、暗闇が隠してしまう。リマの夜がこんなにきれいとは知らなかった。
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「ミラ・バス」はクリスマスのイルミネーションで飾られた、夜の旧市街を走っていく。
見慣れた旧市街の建物も、何か雰囲気が違って見える。
上品か、下品かは別として、古い建物もイルミネーションで飾られている。
このクリスマスの時期には、アルマス広場が特に美しく飾られ、一見の価値がある。
夜のリマ旧市街は危険なので、見たくても見れなかった人たちに、この「ミラ・バス」はありがたい。
好調なペルーの経済状態を反映してか、企業広告を兼ねた大小さまざまな電飾ツリーが飾られている。
大統領府も派手に飾られている。
カテドラル(大聖堂)もきれいにライトアップされている。
喧噪の街、リマで、少しおしゃれなクリスマスを楽しんだ。
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本当に久しぶりの更新だ、『ドクトル・イトウの地球の果てまで』もとうとう10年目に突入。これは我ながら凄いことだと思う。
院長は2006年からの4年間を、ペルーのリマにある日本大使館に医務官として在勤した。すでに中南米編でペルーやボリビアの街の様子や絶景を紹介してきたが、今回は9年ぶりにペルーとボリビアを訪れた。
ある時、大学時代の友人から『マチュピチュを見てみたいなあ』と言われ、『ほんなら行こか!』とツアコン役を買って出て、2019年5月の大型連休を利用した全9日間の日程で、ペルー、ボリビアの絶景を見て回り、最後にリマでゴルフをして帰るという、50歳半ばを過ぎたおっさんには、かなりきつい行程の弾丸ツアーを決行した。
9年前には、マチュピチュとウユニ塩湖を9日間で回ることは不可能だったが、クスコから直接ボリビアの首都ラパスに飛べるようになったこと、ウユニに空港ができて、ラパスから飛行機で行けるようになったことで可能となり、最近は両方を組み込んだツアーが増えている。ただしかなりきついので、院長が見どころだけを凝縮してツアーを組み直し、まだ行けてなかった『マラスの塩田』やウユニ塩湖では日の出と日没、星空ツアーも満喫した。
日本を土曜日午後に出発し、ロサンゼルス経由でほぼ丸一日かけて深夜0時にリマに到着、空港に隣接するホテルで仮眠を取り、翌朝、クスコへ移動し、早速、数時間でクスコの市内観光。いきなり標高3400mの世界だ。
到着した日はアルマス広場で大きなパレードが行われていた。
走っている車は9年前より少しマシにはなっていたが、旧市街の様子は昔と一緒。
定番の『12角の石』。一見、何が凄いの??という感じなのだが。。インカ帝国には鉄が無かった。つまり鉄を使わずに石を切り、12角も合わせて、カミソリの歯一枚通らないといわれるぐらい、隙間なく積み上げているということが凄いのだ。
これは以前にも紹介したが、単なる黄色い車ではない。現金輸送車だ。馬鹿げているようだが、武装集団に襲われても、爆弾を仕掛けられても大丈夫なように、装甲車のような構造で、扉がない。観光客には実感しづらいが、これがペルーの現実なのだ。
これも観光業の地元のみなさん。
ここも定番、コリカンチャ(太陽の神殿)の中庭。侵略者スペイン人が略奪した黄金の多くが、ここコリカンチャから持ち出されたそうだ。
コリカンチャの回廊、当時は黄金で覆われていたそうだ。
重厚感のある建造物だ。
時間節約のため、昼ごはんは車中でお弁当にして、マチュピチュ行きの列車に乗り込むオリャンタイタンボ へ向けて車で移動。『聖なる谷』、アンデスの絶景を眺めながら、『ピサックの市場』が見えてきた。
街を知るには市場を見ればいいとよく言われるが、アンデスの市場『ピサックの市場』の様子。ペルーはじゃがいもの原産国で、その種類は数百あると言われている。
市場の様子は9年前と何ら変わらない。
かまどでパンやエンパナーダ(パイ)を焼くお店も昔と変わらない。
これがクイというモルモットの仲間。アンデス地方では食用で、精力のつく「ごちそう」なのだ。
こんな姿(丸焼き)で売られている。院長はこのクイを何度も食べた。見る姿にひいてしまうのだが、味は結構美味しい。
今回、久しぶりにペルーを訪れるにあたり、是非行ってみたかった所の一つが、「マラスの塩田」だ。ペルー在勤中に、仕事や旅行でクスコには何度も来ていたのだが、何故か今まで行く機会がなかった。「マラスの塩田」はクスコから車で1時間半、ピサックの市場を経由して、マチュピチュ行きの列車に乗り込むオリャンタイタンボへ向かう途中で立ち寄ることができる。
美しく素朴なアンデスの絶景を見ながら進んでいく。
"聖なる谷"と呼ばれるウルバンバ渓谷に突如、白い「マラスの塩田」が現れた。何でこんな所に、ここだけ?という感じだ。
アンデネス(アンデスの段々畑)の様に、白い塩田が広がる。
塩にまつわる景色は色々見てきたが、今までに見たことのない光景だ。
塩田の仕組みの説明を聞きながら、畦道を進んでいく。
この地域には高濃度の塩水が湧き出ており、インカ帝国以前の約600年前から製塩が行われていたらしい。
いわゆる用水路を通して、塩水が塩田に送り込まれ、これを天日で乾燥させる。今も昔と変わらない製法で塩が作られているらしい。水路の開閉は石ころで。。。確かに昔と変わらないようだ。
我々が訪れた5月初旬はまだ乾期が始まったばかり、これからもっと白くなっていくんだろう。
標高3200メートルに広がる塩田の光景は圧巻だ。
売店では、ちゃんとお土産の塩を売っている。
マラスの塩田から陸路でオリャンタイタンボへ移動。
ここからマチュピチュの麓の村、アグアスカリエンテス行きの列車に乗り込む。以前はペルーレイルしか無かったが、今はインカレイルと2社が運行している。今回はインカレイルに乗り込む。
車内はこんな感じで、窓を大きくとってある。ペルーレイルのビスタドームとあまり変わらない。
マチュピチュ目指して、ウルバンバ川に沿って渓谷を走っていく。夕暮れ時には夕焼けに燃えるような景色が楽しめる。
2時間半ほどでマチュピチュ村と呼ばれている、アグアスカリエンテスに到着。ちなみにアグアスカリエンテスとは「熱い水=温泉」という意味で、村には温水プールのような温泉がある。今回の宿はINKATERRA MACHUPICCHU、コテージタイプの素敵なホテルだ。
今回の旅で初めてのまともな夕食。ここに来たら、ビールは「クスケーニャ」。ボトルにマチュピチュがデザインされている。
コースのメインは「クイ」を選択。
前々回にも紹介したが、「クイ」とはモルモットの仲間。
丸焼きとか開きのオーブン焼きが一般的なのだが、流石にホテルでは上品に調理される。味は美味。
これからマチュピチュを訪れる方へ、これだけは絶対参考にしてほしい情報。マチュピチュは早朝と午後とではその見え方がかなり違ってくる。また、山の天候は不安定で、朝が雨で午後から晴れるということも多い。この「雨のマチュピチュ」というのも幻想的で「天空の城ラピュタ」そのもので本当にすばらしい。でもそれだけではやっぱりもったいなく、晴れたマチュピチュは必ず見なくてはならない。クスコから日帰りのマチュピチュツアーだと、午前後半のマチュピチュのみしか見られない。もしそれが雨だったら、晴れたマチュピチュは見ることができず仕舞いで帰らなくてはならない。
そういうことで、マチュピチュ観光では必ず、マチュピチュ村に一泊して、早朝と午後の2回マチュピチュを見てほしい。以前は1枚の入場券で何度も出入りできたのだが、今は1枚の入場券で4時間の滞在時間という制限が設けられるようになってしまった。そこだけは贅沢して早朝と午後の2枚の入場券を購入してほしい。
朝一番にマチュピチュへのバスのりばへ向かう。もうかなりの列が出来ている。
出遅れた様相だったが、我々はプライベートガイドを頼んでいたので、ごぼう抜きでバスに乗ることが出来た。
マチュピチュの入り口、世界中からの観光客でごった返す。懐かしい!、自分にとっては3度目のマチュピチュ。
アメリカの探検家ハイラム ビンガムが1911年にマチュピチュを発見したプレート。
マチュピチュが見えてきた。
最初に見えるマチュピチュの全景。これには流石に息を呑む。
リャマとマチュピチュ。
この日は晴天。少し朝霧がある方が雰囲気が出るのだが。。。
マチュピチュがインディアンの顔に見える角度。左の小山(マチュピチュ)が顎、右の高い山(ワイナピチュ)は鼻、
そして右端が眼で、インディアンの横顔に見える。
朝のマチュピチュは雲の様子がまた面白い。
コンドルが飛んできた。
左下の渓谷には、マチュピチュ村へ向かう列車(インカレイル)が走っている。
少しずつ下っていってマチュピチュを眺める。左下が太陽の門。
子リャマとマチュピチュ。
遺跡の入り口、太陽の門。
マチュピチュの農業セクターであるアンデネス(段々畑)。
整然と並んでいて、この景色も美しい。
アンデネスにリャマがよく似合う。
遺跡の中の様子。
腰掛けて、ぼーっと眺める。雲がきれいだ。
朝日とリャマ。
ワイナピチュの登山口。これから登る人たちでごった返している。我々はパス。
一旦遺跡を出て、サンクチュアリ ロッジで早めの昼食を食べて、再度マチュピチュへ入場。
早朝のマチュピチュは朝霧や朝日の加減でややぼやけた感じだが、午後はくっきりと見える。
早朝の方が写真としては面白いのだが、やはり、くっきりと見えるマチュピチュも見ておきたい。
思う存分写真を撮って、マチュピチュ観光は終了。
マチュピチュ村(アグアスカリエンテス)へ戻る。線路に沿って、レストランや土産物屋が並ぶ。
アグアスカリエンテスの街並み。奥が教会。
建物のすぐ後ろに、山がそそり立つ。
夕方発のインカレイルで、オリャンタイタンボへ向かう。
帰りも夕暮れ時、夕日のきれいな光景が車窓から見られる。
オリャンタイタンボに到着。青い列車はペルーレイル。
外は真っ暗。ここから車でクスコへ戻る。
さてさて、マチュピチュ観光を終えて、次の舞台、ボリビアへ移動する。
今はクスコからリマに戻ることなく、直接ボリビアの首都、ラパスへ飛ぶことができるようになった。今回利用したのはアマゾナス航空でボリビアの航空会社。クスコーラパス間、ラパスーウユニ間のフライトは、ボリビアの航空会社を使用せざるを得なく、航空会社の信頼性が低いので、突然のフライトキャンセルや遅延などにハラハラドキドキ。
予定通りクスコを立ち、無事にラパスに到着。ボリビアの首都ラパスは標高3600mで、世界一標高の高い首都として有名だ。ラパスはすり鉢状の地形をしていて、街はすり鉢の底、空港はすり鉢の縁にあって、さらに標高が高い。空港の名前は「EL ALTO」、日本語で「高い」という意味でそのままだ。
空港からラパス市街へ向かう道路、空港が市街より高くにあることがわかる。
展望ポイントからラパス市街を見下ろす。街のすぐ外は荒涼とした原野が広がっている。森林限界を超えているので、木々が生えないのだ。
標高3600mに高層ビルが林立する都市がある。まるで月面に都市が現れたようだ。
街の中に入ると、そこは他の南米の街並みと同じで、標高3600mであることを忘れてしまう。アンデスの民族衣装を着た人たちもよく見かける。
日本では見ることもなくなった、ボンネットのあるバス。レトロ感満開だが、こちらでは現役で走っている。
街角の様子。ボリビアは「ウユニ塩湖」などの観光で有名にはなったが、南米では最貧国なのだ。
ナースのような格好をした学生さん。
物売りのおばちゃん。
土産物屋が並ぶ通り。
店内にはぎっしりと土産物が陳列されている。
雰囲気のあるおばあちゃん。
見所のあまりないラパスで、郊外にある定番の観光地、「月の谷」。
木々のない、ガタガタの光景が、月面の様子に似ているという。その奥に見えるのがゴルフ場で、恐らく世界一標高の高いゴルフ場だろう。よく飛ぶのだろうか?
スマホアプリの高度計を見ると、4000mを超えていた。そんな高度の地に、登山することもなく、普段着で観光している事に改めて感動した。バタバタと半日のラパス観光を終えて、そのまま空港へ向かう。いよいよウユニへ発つ。
ラパスを午後7時に発って、1時間ほどでウユニへ到着。現地はもう真っ暗だった。
今回のホテルはクリスタル・サマーニャ、現在ウユニに3件ある、いわゆる塩のホテルの一つだ。
基本的に塩のブロックでできていて、イスやテーブル、ベッドなども塩でできている。
壁も塩のレンガでできていて、床にも塩が敷き詰めてある。
ソファーやテーブルも塩でできている。
部屋の様子はこんな感じで、必要な物は最低限そろっていて、意外と快適に過ごせる。遅めの夕食を済ませて、早速、星空ツアーに出かけた。5月は乾期の始まりで、もう水溜まりが少ないのだが、ドライバーに頼んで、水の残っている場所に行ってもらった。
車の外に出てみると、もう絶句!。
天の川がはっきりと見える。
塩湖にまだ水が残っている場所なので、塩湖の表面にも星が映り、360度全面に星が広がる。
これだけたくさんの星を見たのは生まれて初めてだ。
星空を見ると言うよりも、星空の中に立つという感じだ。
この時期のウユニの夜は結構冷える。氷点下を想定したような防寒着で望んだが、それでちょうど良かった。
本当に自然のプラネタリウムだ。
星空を見るにも色々条件が必要であると言うことがわかった。もちろん晴れて雲が少ないことが一番なのだが、月の影響も大きく、満月だと明るくて星が見えづらい。我々が行った日は偶然にも新月に近い日で、星がよく見えた。
もちろん見えているのは太陽のような恒星だけで、その周りには地球や火星のような惑星があるわけで、そうかんがえると、とてつもない数の星が存在するわけで、まさに天文学的数字とはこのことなんだと。。
たった数十分だがインターバル撮影をしてみた。
弾丸ツアーはまだまだ続く。ホテルへ戻ってしばし休息を取り、早朝からのサンライズツアーに備える。
早朝に再び防寒着に着替えて、サンライズツアーに出発。睡眠時間も短いので、疲れはそろそろマックスだ。
ふたたび、水が残っている場所へ。
ウユニ塩湖は四国の半分ほどの大きさがある。5月は乾期の始まりだが、まだ水が残っている場所がある。
塩湖の表面の水が鏡となって空を映すため、地平線で対称になり、どこまでが空かがわからなくなる。
空がだんだん明るくなってきた。しばし日の出を待つ。
同じホワイトバランスで撮っているのだが、
空の色が見事に変わってく。
そろそろ夜明け。
雲が湖面に映って美しい。
地平線が輝きだした。
何とも幻想的な光景だ。
少し太陽が見えてきた。
院長は三脚2台を駆使して、必死で撮影していたのだが。。
肝心の瞬間になって、突然風が出てきた。湖面が風で波立つと、鏡でなくなってしまう。
ご来光!!
ホテルに戻って朝食を食べ、今度は日中の白い世界へ。
朝食を摂り、しばし休憩して、今度は日中のウユニ塩湖ツアーへ出発
ランドクルーザーの上に、イスやテーブルを積んで、塩湖の中を爆走する。
延々と白い世界と青空が続く。乾期のウユニ塩湖だ。
四国の半分もある大きさの塩湖に目標物などほとんど無く、いったい何処を走っているのか何故わかるのだろう?
塩湖の表面は塩の結晶で、蜂の巣のように、なぜか六角形の模様ができる。
水が残っている場所にやって来た。
塩湖は一変して、水鏡になる。
何やら衣装を着て、パフォーマンスをしている集団がいる。
どうやら結婚式の写真を撮っているようだ。正装の下は長靴(笑)。
同行してられる友人達が色とりどりの衣装でパフォーマンス。
以前は集めた塩で作られた小山が小さなピラミッドのようで美しかったのだが、今はあまりない様子。
これが元祖塩のホテル「プラヤ・ブランカ」。塩湖内の唯一のホテルで、元々は「塩のホテル」というとこの建物を指したが、下水が無く、環境問題等で、今はホテルとしては営業せずに、休憩所のようになっている。
「プラヤ・ブランカ」の前に、世界各国の国旗がたなびく風景は有名だ。
ウユニ塩湖に浮かぶ島「インカワシ」に到着。乾期には「島」というよりも「小山」の様なのだが。。
どのツアーも必ず立ち寄る場所で、
トイレが有りドライブインのようになっている。もちろん店など無いのだが。
驚いたのが、定期運行しているバスがあるということ。地元の人たちが使うバス路線なのだそうだ。
この島、サボテンで有名なのだが、なんと珊瑚でできている。
つまり標高3700mのこの地が、海の底にあった証拠でもある。地殻変動で海がせり上がって、残った海水が塩湖になったのだから、当然と言えば、当然なのだが。。自然の凄さを再認識した。
たいした高さでは無いのだが、この小山を上るのは結構大変。さすがに空気が薄い。
パルスオキシメーターを持参して、時々測定していたが、酸素飽和度82%なんて、通常ではすぐに酸素吸入!の世界だ。
ウユニ観光も終盤戦、午後8時のフライトでラパスに戻る。それまでの時間、ギリギリまでウユニのサンセットを楽しむ。
何処の景色でも、日の出と日没時は美しい。
夕暮れが近づいてきたので、水のある場所に戻ってきた。
ガイドさんがボリビア産のワインとスナックを用意してくれて、一杯やりながら夕暮れ時を楽しむ。
ウユニでは、星空-朝日-昼-日没と丸一日を観光した。
ウユニの〆に、サンセット。
何とも美しい。
日が沈むにつれ、空と雲の色が変わっていく。
静かな時間が流れていく。
水鏡も澄んで綺麗だ。あちこちでサンセットを楽しんでいる。
結婚カップルの一行も撮影をしていた。
逆光で光と影の光景も美しい。
皆、何かパフォーマンス写真を撮っているようだ。
塩湖と空と雲の素朴な景色、
刻々と変わる、色の変化を楽しむ。
自分はこういう風景が好きだ。
名残惜しいが、そろそろおしまい。
塩湖を後にして、急ぎ空港へ向かう。
アマゾナス航空のラパスへのフライトは、無事に定刻に出発してくれた。
ウユニから夜にラパスにもどって一泊し、翌朝のフライトでペルーのリマに戻る。
リマの空港に戻ってきた。初日の到着時は深夜だったので、始めて到着した感じだ。9年前と空港はそんなに変わっていないし、空港周辺の空気感も以前と何も変わっていない。
喧噪の街の様子はあまり変わりない。プロパンガスのボンベをバイクに積んで走る人。事故に遭ったらどうなるのか?自爆テロのようなバイクだが、これがペルー。
信号待ちでのパフォーマンス。赤になるといきなり出てきて、ジャグリングを始める。絶妙のタイミングで終了し、車の窓越しにチップを集める。ジャグリングがミスって長引くと、チップを貰う暇が無くなり終了。ペルーらしい懐かしく感じる光景だ。
ペルーというと、すぐに高地をイメージされるのだが、リマは平地で海岸がある。
ここはミラフローレス地区という、海岸沿いに広がる高級住宅街。夏に来ると、リゾート地のような雰囲気でここに住みたくなるのだが、1年の半分は海岸線から押し寄せる雲のような霧に包まれた街となる。
南米で一番旨いと言われるペルー料理を楽しむ。ペルー人は貧困層から金持ちまで、皆、食事にはうるさい。ペルーの食文化の歴史は面白く、契約奴隷として中国人が入ったことで、米食文化が入り、日本人移民が生魚を食べる文化を持ち込み、それらが融合して、面白いフージョン料理を生み出した。間違いなく日本人の口に合う。
写真は代表的なペルー料理、右が「セビッチェ」で、魚介のマリネだ。ペルー独特の酸味の強いレモンが決め手となる。使われる魚はヒラメやメロ(クエの一種)で、日本では高級魚だ。ちなみに院長の学友はリマに滞在中、ずっと「セビッチェ」を食べ続けていた。真ん中が「アローシュ・コン・マリスコス」で魚介のパエリアの様な食べ物。院長の大好物だ。左が「チチャロン」で魚介や鶏肉の唐揚げだ。いわゆるチャーハン(焼飯)も庶民のペルー料理で「チャウファ」と呼ばれる。日本の焼飯とそっくりで、ペルー中、何処でも食べられるので、旅行中、日本食が恋しくなった時に助かる。
院長が好きだったビール、「ピルセン」を久しぶりに楽しんだ。
翌日はペルー時代の友人達も含めて、朝からゴルフに向かった。ペルーに住んでいた時に会員になっていたゴルフ場、「ラ・プラニシエ」。
中は少し改装されてはいたが、雰囲気は昔と同じ。ペルー人は週末に家族でやって来て、父親はゴルフ、母親はテニスやエクササイズ、子供はプール遊びを楽しみ、食事をして帰るというのが、お金持ちのペルー人のスタイル。
リマ独特の荒涼とした岩山を背景にしたゴルフ場。
各自にキャディーがついてくれる。
スコアは散々だったが、目的であったペルーでのゴルフも達成できた。
午後から土産物屋を巡り、深夜リマを発ち、帰路についた。高地が続くので、体力的にも厳しく、まさしく弾丸ツアーであったが、特にトラブルも無く無事に終えることができた。さすがに60過ぎたらしんどいかな。。。