大阪 城東区の内科、循環器内科クリニック。循環器疾患、生活習慣病の管理、花粉症などアレルギー疾患、禁煙外来対応。
“ドクトル・イトウの地球の果てまで“ 世界60ヶ国以上を訪れた、院長のちょっと変わった見聞録
新年明けましておめでとうございます。
昨年は色々辛い出来事の多かった1年ですが、今年は明るい年になって欲しいと切に願います。
さて、新年第1弾は南太平洋の孤島、イースター島の初日の出でスタートしたい。
イースター島はチリ領だが、首都のサンチャゴから飛行機で6時間近くかかるとにかく遠い島だ。オランダ人がイースター(復活祭)の日に発見したので、この名前が付いたそうだ。
今回の写真は2009年元旦に撮った初日の出だ。
この島で日の出のモアイを撮影できる場所はこのトンガリキが一番なのだそうだ。
トンガリキのモアイは島内最大で15体のモアイがならんでいる。
実は、この島には侵略、災害、部族間の抗争などさまざまな悲しい歴史があり、その結果、ほとんどのモアイ像が倒されてしまった。
今でも島内のほとんどのモアイは無惨に倒れている。
その倒れたモアイ像の復元に日本の民間企業が大きく貢献した。香川県のタダノというクレーンの会社だ。断崖絶壁のこの島に港はなく、想像以上に大変な作業であったと思う。
今では、この15体のモアイは島内観光の一番の見所になっている。イースター島についてはまたの機会に詳しく紹介したい。
今年も何卒よろしくおつきあい下さい。
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さて、舞台を一旦南米に移すことにする。我が家は2006年から2010年の4年間をペルーのリマで暮らした。ペルーへの転勤が決まって、絶対に行きたいところがあった。ガラパゴス諸島、パタゴニア、メキシコのマヤ遺跡、イースター島。。。何でマチュピチュではないのか?実はペルーへ転勤する2年前、そうなることとはつゆ知らず、我が家はポーランドからペルーへ大枚はたいて旅行していた。つまり、ペルーのメジャーどころには転勤前にすでに旅行済みだったのだ。
これから何回かに渡って、ガラパゴス諸島を巡るクルーズを紹介したい。まずは起点となるエクアドルの首都キトの街からだ。
エクアドルとはスペイン語で「赤道」を意味する。赤道直下の街というと暑いイメージだが、キトは標高2850メートルにある。ちょうど富士山の七合目ぐらいにある大都市だ。飛行機からキトの街を見るとその標高の高さがわかる。
ボリビアの首都ラパスが標高3600mで世界一標高の高い首都だろうが、キトも結構な高度で、ついた当日は油断すると軽い高山病症状が出る。キトには出張を含め10回ぐらい行ったが、到着初日はとにかく腹が張ってあまり食べられない。また、熟睡ができず何度も目が覚める。ちなみに高地では一般的に美味しくない食べものは?それはパスタなど麺類。沸点が低いのであまり上手くゆでられない。キトの日本人はご飯も圧力釜で炊いている。でもキトの食事は結構美味しい。イタリア料理店でもまともなパスタが出てきた。
ホテルの窓から雪を冠した山が見える。
標高2850メートルの街から富士山のように見える山。つまりこれらの山は6000mクラスの山なのだ。
キトの郊外に赤道記念碑がある。LATITUDとは緯度の意味、つまり緯度が0度。
これが赤道。何かイギリスのグリニッジ天文台(経度0度)に何となく雰囲気が似ている。
こんな感じでSとN、つまり南半球と北半球の分かれ目なのだ。一度は見てみたいが2度目はないだろう。
キトのセントロ(旧市街)は世界遺産に登録されており、坂が多く立体的で街並みが美しい。南米の都市の中でもお気に入りのセントロだ。
ここもかつてはインカ帝国の街。どこかクスコに似た雰囲気がある。インカの雰囲気とコロニアルな白が混在する。
このセントロはもちろん観光地でもあるのだが、人々の生活の匂いを強く感じる。
店先に靴下が売っていたりする。
街からはバネージョの丘が見える。
青い空にコロニアルの白がよく映える。
これが独立広場。
カテドラル(大聖堂)や大統領府が立ち並ぶ。この広場は夜景もまた美しい。
サン・フランシスコ教会
ゴシック様式のバシリカ教会。ここは一見の価値有り。
塔の上まで登ることが出来、そこからの見晴らしがすばらしい。
こんな感じでセントロを見下ろすことが出来る。
中の造りも非常に重厚で、ステンドグラスが素晴らしい。
これも見所のラ・コンパニーア・デ・ヘスス教会。金をふんだんに使った内装は他ではあまり見られない。キンキラキンなのにあまり嫌みが無い。
次回はキトの夜景と温泉を紹介する。
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今回はすばらしいキトの夜景を紹介する。キトは盆地のような地形になっているので周辺の高台から見下ろすことが出来る。
おすすめの穴場がこのCafe Mosaico、食事をしながらこの夜景を楽しむことができる。ただし、ここへは街からタクシーでしか行くことが出来ない。
夕暮れ前にオープンエアの座席に陣取る。徐々に日が暮れて街が光り出す。
暗くなればなるほど、街の明かりが浮かび上がってくる。
セントロの教会が白くかがやく。
手前は闘牛場。
近すぎず、遠すぎず、ちょうどいい距離感で夜景を楽しむことが出来る。
セントロに行ってみると綺麗にライトアップされていた。
独立広場も白が際立って美しい。
翌日、キトの郊外にあるパパジャクタ温泉に向かった。街の道路からも6000m級の山を拝むことが出来る。
キトから車で約2時間山道を上っていく。
山村の一角にその温泉は現れた。
なかなか綺麗に整備された温泉施設で驚いた。
打たせ湯のような設備まである。
一見、リゾートホテルのプールのようだ。
温泉というよりは温水プールのようだ。入浴には水着とスイミングキャップの着用が必要。
明日はいよいよガラパゴスへ出発だ。
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キトの観光を終えて、いよいよガラパゴスへ出発。
ガラパゴス諸島の観光の仕方には大きく二通りある。一つは宿泊施設のある島に滞在して、そこを起点に周囲の島へのツアーに個別に参加する方法と、船に滞在しながら見所の島をまわっていくクルーズという方法だ。後者の方が高くはつくが、快適で効率的に観光が出来る。クルーズ船にも大きな客船から小型ヨットまで色んなタイプがある。
一般的にガラパゴスのクルーズ船は7泊8日でプログラムが組まれており、それを前半の3泊4日、後半の4泊5日で参加することも可能である。我々は4泊5日のコースに参加した。クルーズはオールインクルーシブで、全行程全ての食事と観光、ガイド、船内でのアトラクションやレクチャーまでツアー料金に含まれている。最終下船時にアルコール代とクルーへのチップを支払う以外は財布は不要だ。
ガラパゴス諸島へはエクアドルの首都キト又は海沿いの都市グアヤキルから空路でアクセスする。キトの空港でチェックインした荷物はそのままクルーズ船まで運ばれる。
機内から見た、雲から突き出た山。こういった景色はボリビアなど高い山のある地域以外では見られない。
キトからはグアヤキル経由で2時間ほどでガラパゴスの玄関口バルトラ島のバルトラ空港に着く。素朴な、いわゆる島の空港だ。
これがパスポートコントロール。固有種の動植物を保護するため、食べものや植物の種などの持ち込みがないか厳しくチェックされる。
ここがクルーズ船への乗り場。
なぜか長いすには野生のアシカがのんびり昼寝していた。ガラパゴスに来たんだと実感する。
ここでライフジャケットを着けて、ゴムボートでクルーズ船に向かう。
これが今回我々が乗り込むエクスプローラー号(http://www.galapagosexplorer.com)。色々調べた結果この船にした。クルーズ船は結構搖れると聞いたので、できるだけ大型の方が快適かと判断したこと。この船は全室が海側にあり窓があること。また、ガラパゴス諸島の海は寒流で夏でも水温が低いのだが、この船は全員にウエットスーツを用意していることが選んだ理由だ。
これで一番安いクラスの船室だが、居間と寝室の2室あり結構広い、さらにクローゼットとトイレ・バスが付いている。
これが居間のスペース。
ダブルタイプの寝室。ベッドメイキングの度にタオルで色んな動物を作ってくれる。中々心憎い演出だ。
ツインタイプの寝室。中々快適な空間だ。食事は朝昼がビュッフェ、夕食がコース料理で結構美味しい。
そうこうしているうちに最初に上陸する島、サンタクルス島に近づいてきた。
第一印象は恐竜時代に迷い込んだかのような印象だった。自分の世代で言えば「マグマ大使の島」。
さあ、上陸だ。
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最初の上陸地はサンタクルス島のセロ・ドラゴンと呼ばれる場所。この丘(セロ)には陸イグアナ(ドラゴン)がたくさん生息していることからこの名前がついたとのこと。
ガラパゴスクルーズで島へ上陸する方法は2通りあり、いずれもゴムボートで岸まで行くが、足が濡れずに上陸できるドライランディングと海に足を浸けて上陸するウエットランディングがある。
今回はドライランディング。ゴムボートからそのまま島に上陸だ。
ガラパゴスでは見るもの全てが新鮮で、今まであまり見たことのない世界へ迷い込んでいくようだ。
このサボテンも何か変。
この池の雰囲気も何か映画のセットの様な、不思議な景色だ。
この池にはなぜかフラミンゴが出てくる。
静寂そのものの静かな世界。フラミンゴのゆったりとした動きがこの景色に妙にマッチしている。
これが陸イグアナ。有名なウミイグアナはこれから嫌になるほど出てくるが、陸イグアナは珍しくあまりお目にかかれない。
この小鳥はフィンチ。ガラパゴスではそれぞれの島に固有の進化をしたフィンチを見ることが出来る。
そうこうしているうちに日が暮れてくる。
沖で停泊している船にゴムボートで帰っていく。
夕焼け空にエクスプローラー号もいい絵になる。クルーズ1日目はこれで終了。
船に帰ると、ベッドメーキングと共に、バスタオルで毎日ちがった動物を作ってくれてあるという、心憎い演出。
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2日目の午前はバルトロメ島へ上陸、ここではウミガメやアシカ、ペンギンが泳ぐ海でシュノーケリングを楽しめるという。
島が見えてきた。
ゴムボートで島に近づいていく。
今回はウエット・ランディング。つまり船着き場が無く、浅瀬から海の中をジャバジャバ歩いて上陸する。
この島には見晴らしのいい展望台がある。
上まで登っていくと、エクスプローラー号も小さく見える。
展望台から眺めると、この島はすごく面白い形をしている。海が2つに分かれているように見え、その両サイドに砂浜が広がる。右側には岬の灯台のような岩山がある。
何とも愛らしいアシカ。ガラパゴス諸島の動物達は、人間が何もしないということを知っているので、近づいても全く動じず、自然の姿を見せてくれる。
アシカとトカゲのコラボ。
小さなトカゲにも注目。
カニも何かちょっと違う。
あまり見たことのない柄をしている。ブリキのオモチャみたいだ。
さてさて、ガラパゴスと言えばこの軍艦鳥、英語ではフリゲート(軍艦)・バード。日本語はその直訳だ。
その特徴は何と言っても翼の形。
あたかも恐竜の翼のようで、この鳥たちが島の上空を旋回していると、恐竜の島に迷い込んだかのように感じる。まさにガラパゴスの名脇役といったところか。
ガラパゴス諸島の海は寒流で水温が低く夏でも水が冷たい。ウエットスーツに身を包み、さてシュノーケリングだ。ここではウミガメと泳ぐことが出来る。その間をスーッと通り過ぎていくのが、ペンギンとアシカ。こんな贅沢なシュノーケリングは初めてだ。
午前のプログラムを終えてゴムボートに乗り込む。
いったん船に戻って昼食だ。その間に船は移動して次の目的地へ向かう。
今日のタオルはこんな感じ。
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午後からはサンチャゴ島に場所を移して、プエルト・エガスにウエットランディング(水に濡れながら上陸していく)。
火山の噴火で流れ出した溶岩が急に冷えて固まった海岸。
自然が作り出したプールや溶岩ブリッジが出来ている。
ここでは奔放に振る舞う自然のアシカがみられる。子供にお乳をあげている。
何とも気持ちよさそうにお昼寝中。
人間を全く意識していない。人間は危害を加えないし、エサもくれない。だから全くシカト。
口の前にはカニの跡。
こんな具合に近づいても、全く無反応。でも触るのは御法度。
ここはまた、ウミイグアナの楽園だ。
なぜか皆、海をただ見つめて佇んでいる。
化石のように動かない。
泣いているようにも見えるし、時々鼻からプシュッと鼻水を飛ばす。
よくよく見ると、その顔はウルトラマンの怪獣の様にも見える。同じイグアナでもウミイグアナと陸イグアナではだいぶ様相が異なる。
アシカの赤ちゃんとウミイグアナのコラボ。
アシカの親子とウミイグアナ。
これはたぶんオットセイ。アシカとオットセイの違いは難しい。
ササゴイ
フィンチ
これもフィンチの一種。それぞれの島でフィンチは独自の進化をしている。
この日のタオルはこんな感じでした。
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3日目の朝はフェルナンディナ島のプンタ・エスピノーサにドライランディング。
クジラの骨がそのまま残っている。
この島にはウミイグアナがうじゃうじゃといる。イグアナ目線で一枚。
もう一回アップで。。なんとも不細工な顔なのだが、愛嬌がある。
この島にはムーミンに出てくるニョロニョロのような、おもしろいサボテンが岩の間に自生していた。
この鳥もガラパゴスを代表する鳥で、ガラパゴスコバネウという鵜の仲間。ちょうどこの時期は雛がかえって、子育て真っ最中だった。
この鳥は飛べない鳥で、羽が退化して小さくなってしまっている。
首を曲げると、確かに鵜の様な感じがする。
ここではガラパゴスペンギンを保護しており、その生態を見ることが出来る。
何ともかわいい。
そして、ガラパゴスの人気者、アオアシカツオドリの登場。
その名のとおり、足が鮮やかに青い。
午後からはイサベラ島に移動し、断崖絶壁に生きる鳥たちを観察する。
見事に切り立った崖。
ボートで洞窟へ入っていく。
ふと見ると、ボートの脇をウミガメがのんびり泳いでいく姿を見つけた。
ボートを意識しているのかいないのか、時々頭を上げながら泳いでいく。
この日の夕刻は船上でパーティー。乗客から選ばれたキャストでの寸劇などを楽しんだ。
船上からの綺麗な夕日。
この日のタオルはこんな感じ。
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四日目の朝、朝食を済ませ、いつものようにゴムボートに乗り込む。
午前の目的地ノースセイモア島へボートで移動する。
リクイグアナともう一度ご対面。ウミイグアナと違いリクイグアナはあまり見られない。同じイグアナといっても顔も形も全く異なる。
この島はアオアシカツオドリや軍艦鳥の営巣地を見ることが出来る。まずはアオアシカツオドリ。
飄々とした表情がおもしろい。
名前の通り足が青い。
これがアオアシカツオドリの雛。雛は足が青くない。
ちょうど産卵時期だったのか、卵を抱く姿も見ることが出来た。
雛にエサをやっていた。
こんな感じで観察する。
こんどはグンカンドリ(軍艦鳥)
雄は求愛のポーズでのどを赤く膨らませる。
飛んでいると、本当に恐竜に見える。
こうしてみると、ディズニーアニメの魔女の傍らにいる鳥のよう。ちょいとヒールなイメージ。
巣では雄が求愛ポーズを取っていた。
のどの袋のような物を膨らませている。
正面から。
これがグンカンドリの雛、何とも愛嬌がある・
面白いポーズをとる。
この日のタオルは親鳥と雛。
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ガラパゴスクルーズもいよいよ終盤になった。4日目の午後は、サンタクルス島へドライランディング。
上陸用のボートへはこんな感じで乗り込んでいく。クルーズ初日にグループ分けがされていて、いつも同じメンバーで動く、我々のグループ名はコルモラン(ガラパゴスコバネウ:第43回を参照)。
今回の主役はゾウガメだ。
亀の顔をまじまじと見たことがないが、これだけ大きいと表情のような物が見える。
妙に目や鼻の穴がリアルだ。
草を食べているようすは、結構ワイルド。
ガラパゴスでゾウガメといえば、ダーウィン研究所のロンサムジョージが有名だが、今回の4泊5日のクルーズには残念ながら訪問機会がなかった。その代わりにこのサンタクルス島のハイランド地区でゾウガメを見ることが出来た。
こんな距離感で観察する。
どこかで見た顔だと思ったら、ETにそっくりだ。ETはゾウガメをモチーフにしたのだろうか。ガメラというよりもETだ。
泥の水場に集まってくるゾウガメたち。
何匹も集まってくると、なかなか壮観だ。
そこにフィンチが飛んできた。
やっぱりETだ。
ゾウガメの甲羅は白人男性がすっぽりと入れてしまうほど大きい。
サンタクルス島は人間の生活感のある島。夕暮れの港はいい感じ。
この日のタオルはなかなかの力作。
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とうとう4泊5日ガラパゴスクルーズの最終日。気持ちの言い朝だ。
最終日はスケジュールもゆっくりなので、のんびりと朝の海を眺めていられる。そうしていると、色んなタイプのクルーズ船とすれ違う。これは帆船タイプのもの。
こちらはクルーザータイプのもの。大小さまざまなタイプがある。船のタイプによって色んな楽しみ方があるんだろう。
最終日の朝はモスケラ島のアシカたちをボートからウオッチング。
のんびり平和なアシカの島。アシカたちは人間を恐れず、ボートに近づいてくる。
何とも愛らしい、昼寝姿。
そしてバルトラ島に上陸し、空港へ。
イグアナマークの飛行機で、エクアドル最大の都市であり、海沿いの港湾都市グアヤキルへ向かう。(ちなみに首都のキトは人口では2番目)
グアヤキルもコロニアルな色合いの強い街で、立派なカテドラルがある。
この街に立ち寄った理由は、このカテドラルの前にある、通称イグアナ公園を見ること。たくさんのイグアナが放し飼い状態で餌付けされている。
イグアナのエサはキャベツ。
こうやって、エサを直接与えることも出来る。決して危険な動物ではない。
公園中,いたるところにイグアナがウジョウジョといる。
このイグアナたちはガラパゴスで見たイグアナとはだいぶん違う。
なんとも、より爬虫類ぽい顔をしている。
木の枝にもイグアナがいて、ベンチに座っていると突然上から落ちてきたりする。何とも微笑ましいガラパゴスクルーズのエンディングだ。
院長のちょいとひとこと:
「ガラパゴス」という単語は最近ではネガティブな意味合いで使われることが多いと思う。
周りから取り残され、独自に進化していく様子を「ガラパゴス化」と評される。日本の携帯電話などがそのいい例で、高機能なわりに、通信方式を世界標準としなかったために、日本だけでしか使用されず、独自に進化した。
ちなみに、スーダンやポーランドで使用していた携帯は、日本以外の世界中何処へ行っても、ほとんどはそのまま使用することが出来た。
これだけ情報が氾濫していて、世界の情報がリアルタイムに入ってくる現在であっても、日本はガラパゴスなのだとよく感じる。この10年で世界はかなり変わってきている。例えば身近な例で、日本から一歩外に出ると、韓国車や韓国製の家電がかなり幅をきかせているということを日本人は知っているだろうか。韓国車がほとんど走っておらず、LGやサムソンの家電製品が一般的でない国は恐らく日本だけだ。もちろん日本ブランドの車や家電が高性能であることは世界の常識である、でもその品質にかなり近づき、しかもサービスやデザインで追い越しつつある韓国製品が、日本製よりも格段に安く売られているのが現状で、海外で働く日本のビジネスマンはそういった厳しい現状と日々戦っている。日本の中にいては、なぜかそういった現状を知ることはない。
こんな政治ではどんどん世界から取り残され、ガラパゴス化が進んでしまうと真剣に危惧している。
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これから、中南米の美しい景色を紹介していく。特に南米の高地の景色は本当に素晴らしい。ただ、日本人が国内では到底経験できない高さを、徐々に高度を上げていく登山とは違って、いきなり体感することになるので、健康上のトラブルが多いのも確かだ。
サンペドロ・デ・アタカマ近郊(チリ)標高4000m
自分は高山病の専門家ではない、また登山家でもアスリートでもない。唯一自慢できることといえば、ペルーで過ごした4年の間に、ごく一般的な旅行者として、ペルー、ボリビア、チリの高地を旅行して、家族と共に標高3500から5000mまでの高度を実際に体感したことと、仕事上で現地の医療事情をよく知っている、日本人としては珍しい医者だということだろうか。
またペルーに勤務中の職務として、高山病で重症化した日本人旅行者の救援保護に関わってきた。その経験と知識を元にこれから南米の高地を旅行する方に、高山病とその予防についてまずは書いてみたい。
マチュピチュ(ペルー)標高2400m
以下の文章は自分が勤務中に大使館ホームページに書いた高山病についての注意書きで、まずは基礎知識として読んで欲しい。
高山病について
低地から高地に上がった時、その低気圧、低酸素状態に身体が順応できないことが原因で起こる一連の症状を言います。低地から2500mの高地に短時間で移動した成人の約25%に、何らかの高山病症状が認められると言われています。特に低地から飛行機で一気に高地へ上がると症状が出やすくなります。観光地として有名なクスコは3400m、ティティカカ湖は3800mの高地にあり、実際、リマからこれらを訪れた旅行者の多くが、何らかの高山病症状を経験すると思われます。軽度の山酔いから、個人の体質によっては比較的重い高山病を起こします。
高山病の初期症状は、頭痛、呼吸浅薄感、食欲低下、腹部の膨満感、などで、就寝後も眠りが浅く、頻回に目を覚ます不眠感も典型的な症状です。高山病は重症化すると肺に水が溜まる「高地肺水腫」や脳がむくむ「脳浮腫」となり、すぐに適切な治療を受けると共に、急いで低地へ下がらないと死亡に至ることがあります。
高山病の発症はその日の体調などによっても左右されるため、無理な日程は禁物です。特に高地に到着した初日は十分な休養を取るようにしましょう。過去に高地で高山病にならなかったことは、今回高山病にならないと言う保証にはなりません。ただし、過去に高山病の経験のある方は、特に注意を要します。また、低酸素状態は心臓や肺に大きな負担をかけるため、心臓疾患や肺疾患のある方は事前に医師に相談されること強くおすすめします。
高山病の予防
1. 高地に到着後、初日は十分な休養をとる。
(余裕のある計画を心がける)。
これがもっとも大事です。"ゆっくり、ゆっくり"を心がける。
2. 空港に着いたら"ゆっくり、ゆっくり"歩き、なるべく階段の使用を避ける。
3. 水分を十分に摂る。
4. 高地では低気圧、低酸素のため消化機能が低下するので、腹8分目に心がける。
炭水化物を多めにとり、脂肪分は控えめにする。
5. アルコールの摂取はできるだけ避ける。睡眠薬の使用も控える。
6. 高山病予防薬について
アセタゾラミダAcetazolamida(製品名ダイアモックス: Diamox)の内服は高山病の予防効果がある他、頭痛や不眠などの高山病の症状を改善させる効果があります。アセタゾラミダは日本では医師の処方箋を必要とする医薬品ですが、ペルーの薬局では処方箋なしでも購入することができます(空港内の薬局でも購入できます)。
薬局では必ず『アセタゾラミダAcetazolamida 250mg』と注文して下さい。
当地では『ダイアモックス』という商品名は一般的ではありません。
予防内服方法は、成人の場合 高地に上がる当日の朝より、
1日2回(朝と寝る前) 125mg (250mg錠ならば半分に割って)内服します。
服用後、手指にしびれ感を感じることがあります。
アセタゾラミダには利尿作用(尿の量を増やす作用)があるので、水分を十分に補給してください。高血圧や心臓病、糖尿病等慢性疾患をお持ちの方は内服前に必ず医師に相談してください。
薬局が勧める『SOROJCHI PILLSソロチピル』は単なる頭痛薬で、高山病の予防薬ではありませんのでご注意下さい。
以上
雨のマチュピチュ(ペルー)標高2400m
特に、食事を少なめに食べることと、高地に滞在中は食事には特に厳重に注意して、決して冒険をせず、お腹の健康を保つことだ。高地でお腹をこわしてひどい下痢をすると最悪のシナリオになる。高級ホテルと言えども、野菜を含め出来るだけ生のものを避けるのが賢明だろう。
ウユニ塩湖(ボリビア)標高3700m
また、ダイアモックという名前が
ペルーの薬局では通用せず、『アセタゾラミダAcetazolamida』という名前しか通用しないことも、おぼえていって欲しい。
特に『SOROJCHI PILLSソロチピル』には気をつけて欲しい。現地の人や薬局は「高山病の薬」としてこの薬を必ず勧めてくる。
では、少しこの『SOROJCHI PILLS:ソローチェピル』に付いて説明する。
決してこの薬を非難するわけではなく、これは単なる頭痛薬であることを知って欲しい。
組成はアスピリン、カフェインなどで、日本の「バファリン」によく似た薬だ。つまりこの薬は鎮痛薬、解熱剤であって、確かに頭痛には効くが、高山病を予防する効果は無いといっていいだろう。
雨期のウユニ塩湖(ボリビア)標高3700m
この『SOROJCHI PILLS』の飲み方には高地にいる間、8時間毎に服用するように書いてある。
通常の日本人が何日間も1日3回バファリンを飲み続けたらどうなるだろう。
高地ではお腹をこわすことは御法度だ、下痢は高山病を急速に悪化させる。胃腸の弱い人がバファリンを1日3回飲み続けたらどうなるか。。。逆に体調が悪くなるだろう。
Lago Querococha(ペルー)標高3980m
現地で頭が痛いというと、薬局だけでなく、現地の人々や旅行関係者までも当たり前のようにこの薬を持ってくるので、十分注意して欲しい。当然、単発で飲む頭痛薬としては何の問題もないのだが。。
ペルーに勤務中によく受けた質問が、高地に子供を連れて行って大丈夫であろうか?と言う質問だ。その多くが南米の駐在員の家族で、せっかく南米に来たのだから、マチュピチュは是非見てみたい、というものだ。
子供は高山病に弱いとよく書かれているが、実際のところはよくわかっていない。ただ、子供が頭痛や嘔気で水分が摂れなくなったら、その悪化は大人より深刻になるだろう。
子供同伴の可否について、自分なりの一つの基準を持っていた。それは、体調の悪さ(頭が痛い、お腹が痛い)を自分で訴える事のできる年齢かどうかと言うことだ。個人差もあると思うが4〜5歳ぐらいが基準になるのではないかと思っている。
パストルリ氷河(ペルー)標高5000m
自分は比較的高地には強い方であった。5000mでも何とか観光をこなすことは出来た。ただし、標高2850mにあるキト(エクアドル)への出張時、いつも到着初日はお腹が張って食事が進まず、夜は熟睡できずに何度も目が覚めた。高地から戻ると数日間は強い全身倦怠感が残った。高地では予想以上に体力を消耗する。
高地にあるホテルや空港には必ず酸素ボンベが用意してある。ホテルで体調が悪いというと酸素ボンベを部屋へ持ってきてくれる。自分は何度も高地へ行ったが、一度だけその酸素ボンベのお世話になりかけたことがある。行きなれたクスコ(3600m)へ友人を連れて行き、調子に乗って、いつになく夕食を腹一杯食べビールを飲んだ。その夜、異常な息苦しさに目を覚まし、もがきながら朝を迎えた。もう少しで酸素ボンベを頼むところだった。
高地では腹7分目が大事であることを、身をもって思い知った次第である。
月の谷:アタカマ(チリ)標高2600m
唯一の高山病予防薬として認知されているダイアモックスであるが、飲んで調子が悪いという人も少なからずいる。できれば旅行前に数日服用してみて、問題ないかどうかを確認しておいた方がよいだろう。
最後にこれはあくまで私見であるが、高山病の予防に漢方薬の「五苓散」がその薬効から有効であろうと考える。
頭痛や吐き気や下痢の薬にもなるし、ダイアモックスよりも副作用が少なく効果があるのではないかと考えている。
高地へ出発する日の朝から1包(2.5g)を1日3回、高地に滞在中飲んでいればよい。
「五苓散」は小児科でも下痢や吐き気に頻用する薬なので、子供にも安心して使用できる。
次回より、アタカマ(チリ)からウユニ塩湖(ボリビア)への4WDでの旅を紹介したい。
※このブログを見てくれた読者から、高山病予防薬の処方についての問い合わせをクリニックにたくさんいただいている。
当院でも2014年4月1日より高山病予防薬(ダイアモックス)の処方を開始することとした。
詳しくは「高山病予防薬の処方について」をご覧下さい。
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テレビ番組で、ボリビアの高地にある、ウユニ塩湖という四国の半分程もある大きな塩の湖が紹介されていた。その白い世界を車で爆走するというもので、雨期には湖面に水が張って鏡の様になり、空が地面に映ってあたかも天空を走っているような感覚になるそうだ。調べてみると、その行程には何とも美しい赤い湖、緑の湖があるという。是非とも行ってみたくなった。
今は首都のラパスから、飛行機でウユニへ行く方法もあるようだが、チリ国境に近い赤い湖(Lago Colorada)や緑の湖(Laguna Verde)を見るのであれば、ラパスから3泊4日の4WDツアーが一般的だ。でもこの旅程は辺境慣れしている我が家にもさすがにきつい。4000mを超える高地を7人乗りのランドクルーザーに目一杯乗って走る。ホテルと呼べるような宿泊施設はなく、夜は氷点下にもなる高地で、暖房もない小屋のベッドに寝袋で寝るというもの。さぞかし夜空は綺麗だとは思うが、さすがに子連れには厳しいと判断した。そこで、最短でこれら全て満喫して帰ってこれる行程をプライベートツアーで組んだ。
チリのサンチアゴから入り、国内線でカラマまで北上し、カラマから車で1時間のサンペドロ・デ・アタカマで一泊し観光を兼ねて高地順応。翌日から車とドライバーを借り上げて、アタカマを朝に出発しチリ側を北上し一路ウユニ塩湖へ向かい、ウユニ塩湖の塩のホテルで一泊、翌日ボリビア側を南下し、Lago ColoradaとLaguna Verdeなどの絶景を満喫しながら夜にカラマに到着する。アタカマ発一泊二日、丸36時間の行程だ。今回の行程はボリビアの旅行会社コルケツアーに依頼した(www.colquetours.com)。
リマから一旦チリの首都サンチアゴまで南下し(空路3時間)、そこからカラマまで北上する(空路1時間)。カラマは鉱山の街、何にもない殺風景な空港だ。
空港の周囲には荒涼な景色が広がる。ここから陸路で1時間のサンペドロ・デ・アタカマへ向かう。
サンペドロ・デ・アタカマ(標高2400m)はチリで最も古い街だそうで、有名な観光スポットの一つ。この周辺だけでも絶景を十分満喫できる。
街の雰囲気はペルーの高地とよく似ている。素朴な街だ。
世界各国からの観光客でにぎわっている。高地順応を兼ねてここで一泊。明日の朝はウユニ塩湖へ向けて出発だ。
せっかくアタカマに来たのだから、アタカマの有名な観光スポット「月の谷」へ。
月の世界は本当にこんな感じなんだろうか。
この月の谷でNASAが月面や火星探査機の実験を行ったという。
奥に見える山の標高は6000m。
影が出来てくると、より宇宙的な景色に見えてくる。
緑が全くない、乾いた景色が広がる。
実際に月の谷を歩いてみる。
浸食で出来た溝は切り立った岩壁になっている。
砂漠の中を歩いていく。
地層がむき出しになっている。アメリカのグランドキャニオンに似た景色だ。
砂山を駆け下りて遊ぶ人達。このアタカマ砂漠は南北に1000kmも続くという。
この地域には浸食で出来た奇岩がよく見られる。
次回は様々に色を変える、夕暮れの様子を紹介する。
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アタカマ一帯は世界で最も乾燥した地域だそうで、日本をはじめ世界各国が天文台を設置している。当然のことながら、星空や夕暮れがきれいだ。
夕暮れどきになると、ビューポイントにツアー会社の車が集まってくる。
見晴らしのいいところまで、岩山の尾根を歩いて行く。
そろそろ日が沈みはじめた。サンセットショーの始まりだ。
日が沈みだすと、気温は一気に下がってくる。砂漠なので日中と夜の寒暖の差が非常に大きい。
茶色一色であった景色が赤く染まり出す。
6000mクラスの山が「赤富士」のように輝き出す。
茶色から赤茶色に変わり、最後は真っ赤に光り出す。
サンセットショーのクライマックス。
下に降りてみると、月の谷に月が出ていた。
夜はレストランの焚き火にあたりながら一日の疲れを癒やす。
さあ、明日はウユニ塩湖へ向けて出発だ。
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さあ、ウユニ塩湖へ向けて出発だ。今回のルートは第56回の地図でも紹介したように、アタカマからチリ側をずっと北上し、ウユニ塩湖近くの国境でボリビアに入る。帰りは逆にボリビア側を南下し、アタカマ近くの国境からチリに戻ってくる。
4月29日午前5時、まだ夜明け前の暗闇の中、借り上げた4WDに乗って、アタカマを出発した。
日が昇ると、何ともすごい景色が広がっていた。
今回の行程はずっと標高3000m以上で、途中最高5000mの地点を走り抜ける。
当然の事ながら、この高さは森林が成育する限界を超えていて、見渡す限り樹木というものがない。緑が無い世界だが、日を浴びて茶色と黄色に輝いて美しい。
近づいてみると、土と岩の世界。
これが今回借り上げた車、三菱の5人乗りピックアップ4WDだ。おんぼろランクルを想像していたが、きれいな車だった。
遠くに何やら動物を発見!
ビクーニャだ。アルパカやリャマの親戚で、ラクダ科の動物。ビクーニャの毛織物は超高級だ。
アタカマを出発して6時間、ボリビアとの国境に着いた。
何とも殺風景な景色だが、空の青さが本当にきれいだ。
ここは国境の駅なのか、たくさんの車両が止まっていた。
止まっているのか、捨てられているのか、駅なのか、列車の墓場なのか。
これが国境。向こうはボリビアだ。
この辺りは、見渡す限りの地面が鉱物資源そのものだ、こういった景色は見たことがない。
塩湖のように美しくはないが、鉱物で出来た湖だ。
途中、トイレ休憩に立ち寄った村。このあたりは標高4000mを超えている、空の青さに吸い込まれそうになる。
素朴で質素な村の様子。
この民家でトイレを借りた。ソーラーパネルがあって驚いた。
看板には、「ここ! ビール、ワイン、ラム酒、コーラ。。。」酒場なのか酒屋なのか、これほどの場末は無いだろう。
村の教会とお墓。
ここにもビクーニャがいた。
なんかすごい景色が見えてきた。今までに見たことのない、不思議な感覚をおぼえる。
とうとう到着、白い海のように広がる景色はウユニ塩湖だ!
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自分が見てきた色んな景色の中で、「白い世界」という表現が似合うのは、トルコのパムッカレとこのウユニ塩湖だ。
ウユニ塩湖には2つの顔がある。一つは乾期の白く干上がった広大な白い世界、もう一つは真っ白な地面の上に水が張り、鏡となって空を写す雨期の姿だ。自分は雨期の姿が何としても見たかったのだが、雨期は道がぬかるんで、今回のルートからのアプローチは困難になると言う。何としても雨期の姿が見たかった自分は、雨季と乾季の両方の姿が見られる、乾期の始まりに行くことにした。これが大正解だった。
まずは乾期のウユニ塩湖から。塩の結晶が地表にも模様を作る。
この広大な白い世界が、四国の半分の面積で広がっている。全く想像できない。
ただ、ただ、白い大地が広がる。
白い大地は、白いサーキットにもなる。この大地の上をランクルが猛烈なスピードで爆走する。
地表にはサッカーボールのような模様が出来ている。
近づいてみてみると。
塩の結晶が自然に作り出した模様、何とも不思議な世界だ。
皆、車を止めて、暫し不思議な空間を楽しむ。
塩湖の上はほとんど何もない世界なので、大きさや遠近感がわからなくなってしまう。
こんな写真をみんな楽しんで撮っていた。
そんなウユニ塩湖で数少ない目標物が、このインカワシ島。
この島を目標に、皆、ウユニ塩湖を走り抜けてくる。
ちょっとした、ドライブのサービスエリアのような感じだ。
この島には面白いサボテンが生えている。ムーミン谷のニョロニョロのようなサボテンだ。
ウユニツアー定番の4WDランクル。通常は7人乗りで、車の上に荷物とプロパンのボンベを積んでいて、ドライバーや同乗のコックが、料理をしながらツアーを進めていく。
これが塩湖の上に立つ、塩で出来た「塩のホテル」。
これはあくまで見物用のホテルと考えた方がよい。恐らく下水もお湯もないだろう。自分たちの泊まる塩のホテル(Luna Salada)が出来るまでは、塩のホテルとして有名であった。
イスやテーブルも塩で出来ている。
ホテルの前に各国の国旗がたなびいていた。もちろん日の丸もあった。
塩の採掘場だ。塩の山がピラミッドのように、整然とならんでいる。
これがまたいい景色になる。
自分も採掘してみようかと。。。
日の当たり具合によって、景色が変わる。
次回は、雨期の塩湖を紹介する。
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乾期の白い世界も素晴らしいが、雨期のウユニ塩湖が見たかった。地面に空が映り、空を車で走るような気分になるという、この時期はまだ乾期の始まりで、塩湖の一部に水の張った部分が残っているらしい。早々ドライバーに探してもらった。
確かに水の張った部分が残っていた。
地面が鏡のようになる。塩の山もきれいに対称にに映る。
まさに鏡の上の車。
塩湖を走りまくって、塩だらけになっている。
地面が鏡になって空を写す。
この景色が見たかった。息をのむ幻想的な風景だ。
確かに、雲の上に立っているような気分になる。
雨期には塩湖全体がこういう風景になり、この景色の中を4WDで爆走する。まさに雲の上を走る。
次回は、自分たちが泊まった、塩で出来たホテルを紹介する。
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今回はウユニ塩湖で、話のネタに宿泊した「塩のホテル」を紹介する。
Luna Salada Hotel (http://www.lunasaladahotel.com.bo)、おんぼろホテルしかないこの周辺では、かなり高級な部類に入るホテルだろう。外観を撮るのを忘れてしまったので、上記のホテルHPを参考にして欲しい。
なんといっても、中のほとんどが塩でできている。
ロビーの様子。椅子も全て塩でできている。
床には塩が綺麗に敷き詰められている。
暖炉の前の共有スペースもみんな塩。
何か身体にいい感じ。
これが実際の室内。塩でできたベッドには毛布とふかふかの布団が敷かれていて、朝夜の冷え込むウユニでは信じられないくらい快適に休むことができた。寝台だけのぼろベッドの上に寝袋で寝るのとは大違いだ。
ちゃんとバスタブもある。なんとこのバスタブにはジャグジーが付いていた。お湯のシャワーが使えるだけでも珍しいこの辺で、何とも贅沢な話だが、さすがに湯量はシャワーを浴びるのが精一杯というところだった。
レストランのテーブルや椅子も塩でできていたが、ちゃんとクッションがおかれていた。ここでは結構まともなコース料理とワインを楽しむことができた。
ホテルの軒先にフクロウがいて、夕日に光っていた。
ホテルから見た夕焼けの様子。
塩湖が真っ赤に染まっていく。高台から塩湖を見下ろす立地にある、このホテルならではの景色だ。
翌朝、早起きして日の出を拝んだ。今度は塩湖が青白く浮かんでくる。
大地が赤く、塩湖が白く輝きだした。
次回はウユニの街から赤い湖、緑の湖を目指す。
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塩のホテルで一泊し、翌朝ウユニ塩湖で少し写真撮影して塩湖を後にした。これからボリビアを南下して、チリ国境近くの天空の湖を見て、夜にはカラマまで戻る12時間の行程だ。
まずは標高3700mにあるウユニの街へ立ち寄った。小さな素朴な街だが、太陽の光が燦々と降り注いでいる。
街の市場をのぞいてみた。
結構色んなものが売られていた。ここでウユニ塩湖の塩をおみやげに買って帰った。
ウユニの街を出発し、次の目的地、標高4000mにあるサンクリストバル村を目指す。
何もないオフロードを突っ走っていたら、突然村が現れた。
スクールバスが止まっている。村の学校か?
これは村の中心に位置する教会。藁葺き屋根が素朴でいい感じ。
どうやら学校の下校時間なのか、子供たちが出てきた。
面白いのが、ここの制服なのか、皆、白衣を着ている。
どこの国も子供たちの様子はよく似ている。
日本から遠く離れたボリビアの4000mの高地にあるこの小さな村が、日本と深い関係があるということに驚く。この村の近くにはサンクリストバル鉱山という世界屈指の亜鉛と銀の鉱山があり、日本の住友商事が出資している。
サンクリストバル村を後にして再びオフロードを突き進む。
緑のない世界だが、土が陽に輝いて、何とも美しい景色だ。
途中で川渡り、このあたりが標高5000mらしい。ドライバーは何度も何度もこの川を行ったり来たりする。塩湖で付いた車の塩を落とすためだという。
突然現れた奇岩群。
皆面白い形をしていて想像をかき立てる。
次回はシリーズ最終回、天空の湖を紹介する。
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明けましておめでとうございます。
2013年最初の更新はアタカマからウユニ塩湖シリーズの最終回だ。標高4200mを超える天空の世界に、何とも美しい湖があるという。このシリーズのクライマックスを紹介したい。
標高4000m以上、樹木の生息出来ない森林限界を超えた世界をひた走る。
何もない世界だが、つい写真を撮りたくなるぐらい美しい。空に吸い込まれそうになる。
殺風景な景色の中に突然、赤い湖が見えてきた。これが標高4200mにある天空の湖の一つ、その名もLago Colorada (Red Lake)「赤い湖」だ。
赤く見えると言うよりも、本当に赤い。その赤さが周囲の景色に何故かマッチしている。
赤い湖にピンクの鳥が飛んでいる。フラミンゴだ。
この辺の湖どこにでもいるというのではなく、何故かここにしかいない。
ここの景色を見ていると、赤い湖の水を飲んでピンクに染まったかのように思える。
こんな絶景を同時に見ているのは我々だけだというのが、何とも贅沢である。他には誰もいない。
しばらく走ると、今度は湯気が立ち上る地帯に着いた。
地面にクレーターのような穴が何カ所もあいていて、そこから湯気がモクモクと上がっている。
周囲には硫黄の臭いが立ちこめて、いわゆる温泉の匂い。
恐る恐るのぞいてみると、マグマのようにゴボッゴボッとどろどろの地面からガスが吹き上げている。
再び、何もない大地をひた走る。
また湖が見えてきた。
右端はいわゆる天然露天風呂、観光客がしばし休憩している。この景色の中で露天風呂とは何とも贅沢だ。
6000m級の山々を横目に、ひた走る。
鮮やかなエメラルドグリーンが目に飛び込んできた。もう一つの天空の湖Laguna Verde (Green Lake)「緑の湖」だ。
底抜けに青い空、茶色い山とのコントラストが本当に美しい。
アンデスの山々を見渡す景色は本当に贅沢だ。
バスの残骸も何故か絵になってしまう。こんなところをバスが走っていたのか?走れるのか?
アンデスの山々を見渡しながら、オフロードを突き進む。
ボリビアとチリの国境、ボリビア側のイミグレーションだ。何とも素朴な小屋なのだが、ちゃんと常駐の職員がいて、パスポートにスタンプを押してもらった。
夕日で地面が輝きだした。
もうすぐチリのアタカマだ。
アタカマ近くの国境からチリに入国し、アタカマ経由でカラマには夜8時に帰着した。我々が今まで体験した旅行で最も苛酷な36時間であったかも知れないが、満足度200%の絶景であった。
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「ドクトル・イトウの地球の果てまで」も3年目。そろそろ、2006年から2010年までの丸4年間を過ごした、ペルーの魅力を紹介していきたい。あまりに思い出が多すぎて、何から紹介したらいいのか迷ってしまうのだが、旅行者とは少し違った視点で、ペルーの美しい風景、面白い風景を紹介できたらと思う。
ペルーというと高地というイメージがあるが、実際には首都のリマは海岸部の低地にあり、クスコやマチュピチュなどはアンデスの高地、その内陸部はアマゾン川が流れる熱帯雨林地域で、一つの国に様々な気候帯がある。それだけに色んな景色や食べ物が楽しめる。
ペルーといえば、まずマチュピチュが思い浮かぶだろう。この景色は本当に神秘的ですばらしい。これは晴れた日のマチュピチュ。この角度から見ると、バックの山(ワイナピチュ)がインディアンの横顔に見える。真ん中の高い山が鼻で、左の低い山があご。偶然にしては面白い。
雨のマチュピチュはまた幻想的ですばらしい。何も見えない真っ白な霧の中から、徐々に姿を現してくる様子は「天空の城ラピュタ」の世界。
これはリャマ、アンデスに成育するラクダの仲間。とぼけた顔が何とも愛らしい。
インカ帝国の都クスコ、標高3400mにある。富士山の頂上に近い高さにこんな街があるというのは、来てみないとなかなか実感できない。赤煉瓦の街並みが美しい、
クスコの中心部、朝のアルマス広場。
夜のライトアップされたアルマス広場(クスコ)。
ペルーの南の端、ボリビアとの国境にある湖、チチカカ湖(標高3800m)。定期航路が就航する、世界で一番標高の高い湖。
リマの北400kmにあるワラス。ペルーのスイスと呼ばれていて、ペルー最高峰の山ワスカラン(標高6768m)をはじめ、6000mクラスの山々が連なる美しい地域。写真はケロコチャ湖(Laguna Querococha:標高3980m)
パストルリ氷河(Nevado Pastoruri:標高5000m〜5400m)を目指して、9合目まではバスで登り、そこから馬で9.5合目まで登って行く。後は氷河までの地獄の登山。
初めて体感した標高5000m。氷河自体よりも、そんな場所にいる自分に驚いた。空気が薄く、一歩一歩が本当に苦しく、周りが黄色く見えた。
ワラスの高山地帯に自生するプヤライモンディ(Puya Raymondi )、百年に一度だけ花を咲かすという不思議な植物で、高いものは10mにもなるという。青い空に金色に輝き美しい。これがパイナップルの仲間というのがおもしろい。氷河よりもこの植物の方に感動した。
ペルー第2の都市、「白い街」アレキパの夜景。
ペルーのアマゾン地帯、プエルト・マルドナード(Puerto Maldonado)。ジャングルにあるロッジに宿泊して、ジャングルツアーを楽しむ。
アマゾンの夕暮れ。これも忘れられない美しい景色だ。
ペルー北部の海岸地帯チクラーヨ。トトラ葦で作られた小船で今も漁が行われている。
ナスカの地上絵をセスナから見物する。これはハチドリで、一番見つけやすい地上絵の一つ。多くの地上絵は、地面と線のコントラストが薄くてなかなか見つけることができない。
この装甲車のような車は? リマではよく見かける車で、いわゆる銀行の現金輸送車で、少々の爆発物でもびくともしないらしい。馬鹿げているようだが、武装集団対策で運転席に扉はない。何気ない風景だが、これがペルー、南米の実情。ツアーの団体行動をしているには問題ないが、一歩場所を間違えると危険が待っている。
これからじっくりとペルーの魅力を紹介していきたい。
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ペルー観光のメインイベントはもちろんマチュピチュ。自分が色々見てきた絶景の中でも、ベストテンに入るのは間違いない。日本からは、アメリカの都市を経由してまずリマへ入る。これがほぼ丸一日の行程だ。リマは海岸部にある都市で低地にある。このリマから、インカ帝国の都であったクスコへ一気に高度を上げる。
上から眺めたクスコ市街の様子。赤煉瓦で統一されていて美しい。
クスコ空港に到着。ターンテーブルの前では「コンドルは飛んでいく」の生演奏をやっていたりして、ペルームードは盛り上がっていく。でもここは標高3,400m、富士山の頂上に近い世界。慌ててスーツケースを運んだりすると、とんでもなく息切れする。高地に身体をならすため、ここから1日の過ごし方が非常に重要。あせらずに、ゆっくりゆっくり動く。詳しくは第55回「南米の高地へ:高山病とその予防について」をご参考いただきたい。
クスコの中心部、アルマス広場(Plaza de Armas)。ペルーではどの街にもその中心部にはこのような「アルマス広場」と呼ばれる広場がある。「アルマス」とは「武器」という意味。争い事が起こった際に、住人が武器を持って集まった場所だかららしい。
クスコのアルマス広場は、少し坂を上がって、高台から見下ろした景色が好きだ。写真左が大聖堂、正面がラ・コンパーニャ教会だ、
ラ・コンパーニャ教会。インカ帝国の時代の建物の土台の上にスペイン人が建てた教会。
数奇な歴史をたどった都市だが、インカ帝国の文化とスペイン文化が妙にマッチしていて、これが興味深い。
イースター(復活祭)はキリスト教国では春の大きなイベント。その前の一週間(聖週間)はスペイン語圏ではセマナ・サンタと呼ばれ、日本のゴールデンウイークの様な連休になる。この聖週間にクスコでは、セニョール・デ・ロス・テンブローレス(地震の主:黒いキリスト像)の御輿を担いで行進するお祭りが行われ、アルマス広場が人で埋め尽くされる。
石畳の路地。何とも趣がある。
街の綿菓子売り、その数と色のど派手さが節操なく、それがペルーらしくて良い。
ペルーの高地で当たり前のように飲まれる「コカ茶」。現地のポーターはこのコカの葉をしがみながら山を登る。コカとはもちろんコカインのこと。麻薬の原料になる葉っぱで、間違って土産に持って帰ったら大変なことになるかも知れない。ちなみにコカコーラのコカもこのコカの意味、当初は疲れた軍人の元気を付ける飲み物であったらしい。もちろん、今のコカコーラにコカインは入っていない。
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朝のアルマス広場。朝日に輝いて美しい。
民族衣装を着たインディオのおばちゃん達もひと休みで井戸端会議。
クスコの街並みでよく目にするのがこの「インカの石組み」。何でもないようにも見えるのだが、これがインカ帝国の技術力、科学力の結集されたもの。
インカの石組みは、「カミソリの刃1枚も通さない」と評されるほど、本当に精密で、こんな小さい石まで、きっちりとはめ込まれている。相当高度な石切の技術があったのだろうと想像されるのだが、なんと、インカ帝国には「鉄」というものがなかった。それが、銃や剣をもったたった200名のスペイン人に、いとも簡単に征服されてしまった原因とも考えられるのだが、鉄器なしで、どうやってここまで精巧に石を切ったのか。本当に謎だらけだ。
その代表作がこのクスコ名物「12角の石」。知らなければ、通り過ぎてしまうような光景なのだが。
手前から三番目の大きな石。確かに12角に切り出されている。鉄が無かったと知ると、本当にどうやって加工したんだろうと考えてしまう。
ライトアップされたアルマス広場。
何とも雰囲気があって美しい。
教会もきれいにライトアップされる。
坂の路地もいい雰囲気になる。
夜の「12角の石」。
高山病の予防について、「第55回 南米の高地へ:高山病とその予防について」で、高地では下痢は厳禁と書いた。つまり高地では「食の冒険」は御法度。マチュピチュ観光を無事に終わらせたいのであれば、食事と飲み物には十分に注意が必要だ。ただ、この露店のアンティクーチョ(牛の心臓の串焼き)は本当に美味そうだった。日本で言うところの「ハツ」が、大きめに切られ、照り焼きになっている。もちろん、この料理は、リマのちゃんとしたペルー料理のレストランでも味わえる。でもこういった屋台の雰囲気で食べるのがおつというものなのだが。。。食べる勇気は無かった。
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今回はクスコ周辺の観光スポットを紹介する。
クスコ郊外を流れるウルバンバ川。アマゾン川の源流の一つでもある。このウルバンバ川の流れる渓谷は「聖なる谷」と呼ばれ、インカ帝国の遺跡や村落がたくさん残っている。
この景色にはリャマがよく似合う。アンデスに生息するラクダ科の動物。アルパカや高級毛織物のビクーニャはその仲間。山々にはしましまの模様がある。よく見てみると。
これは「アンデネス」と呼ばれる段々畑。平地の少ない山岳部で効率の良い農業を発展させた、インカの技術力だ。
ジャガイモやトウモロコシなどこの地を原産地とする農作物は多い。
山間の渓谷の街の中心に、何やらテントがたくさん張られた区域がある。これが観光地としても有名な「ピサックの市場」だ。
所狭しと露店が広がり、地元の人はもちろんのこと、観光客でにぎわっている。
野菜から民芸品までありとあらゆるものが売られている。
民族衣装で着飾った娘達。
八百屋で売られていたトウモロコシ。色んな色と形がある。
特にこの濃い紫色のものが、「チチャ・モラーダ」というペルーの代表的な紫色のジュースの原料となる。
ピサックの市場で有名な窯焼きのパン屋さん。
その軒先に、何故かかわいいモルモットのようなネズミが飼われていた。これはテンジクネズミの一種で、ペルーでは「クイ」という。何と食用なのである。
これが代表的な「クイの窯焼き:cuy al horno」。ペルーの山岳部ではよく食べられる料理で、クイの丸焼きというか、姿焼きというか、クイを開いてオーブンで焼いてある。顔が付いているので、睨まれたような気になる。自分も当然の事ながら、あまりにグロテスクで最初は食べられなかったが、日本人を含め食べた人が皆結構いけるというので、恐る恐る食べてみた。肉は少ないのだが、ゼラチン質で、味はたしかに結構美味しかった。
今回の行程で、最も標高の高い3800mにあるチンチェーロという村に立ち寄った。まさに富士山の頂上よりも高い村だ。この坂道の上に毎週日曜日に開かれるバザール(市場)があるという。短い坂なのだが、空気の薄いこの地では結構きつい。
坂の上には広場が広がり、その向こうには侵略者であるスペイン人が造った教会がある。
何とも素朴なバザールだった。
結構きれいな織物が売られていた。
次回からはいよいよマチュピチュを紹介したい。
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いよいよマチュピチュへ出発。まずはクスコからマチュピチュの麓の村アグアス・カリエンタスまで、約3時間の列車の旅だ。
ペルーの列車といっても、このPERU RAILはあの有名なオリエント急行の会社が運営している観光列車で、運行も比較的きっちりしている。
少し前まで、このマチュピチュ行きの列車はクスコの市街にあるサン・ペドロ駅から出発し、スイッチバックといって、登ってはバックで下がりを繰り返して高度を上げていく、なかなか風情のある世界でも有数の高原列車であったのだが、如何せんこのスイッチバックは時間がかかるので、観光客を効率よく運ぶために、2009年からはクスコから陸路で30分程高地にあるポロイ駅まで車で移動し、そこから列車に乗り込むという、スイッチバック区間を短縮した行程に変更になっている。
この列車はなかなかエンターテインメントも充実していて、列車の中に突如クスコの伝統的なお祭りの衣装をまとった人が登場したり。
いきなり、アルパカセーターのファッションショーと実演販売が行われたりと面白い。もちろんこの登場人物達はれっきとしたこの列車の乗務員達。なかなかの役者魂だ。
列車はウルバンバ川の渓谷ひた走る。
前方にはアンデスの山々がそびえ立つ。
マチュピチュの麓の村アグアス・カリエンタスに到着。この「アグアス・カリエンタス」とは「暑い水」、つまり「温泉」の意味、その名の通り温泉の村だ。何か日本の温泉街のような風情がある。
何かちょうちんが似合うような、川の流れる、ひなびた田舎の温泉街のたたずまい。
村の公衆浴場へ行ってみた。もちろん水着着用で温水プールのようなものなのだが、壁にマチュピチュの絵が描いてある。銭湯の富士山と同じ発想なのか?面白い。
今回一緒に行った日本の料理人M君と「クイの丸焼き(第67回参照)」を食べに行った。彼はこの行程中、ずっとこの「クイの丸焼き」を食べ続けた。一度食べただけの先入観で、その料理の美味いまずいを評価したくないというのが彼の考えで、この店では、実際に調理をさせてもらった。こういった何でもありなところが「ペルー」だ。
薪で焚いたオーブンでじっくり焼く。結論的に彼が出した評価は「クイの丸焼きは美味い」ということだった。
翌朝、いよいよマチュピチュへ。
マチュピチュはアメリカの探検家ハイラム・ビンガムによって1911年に発見されたとされている。
少し離れて遠景でマチュピチュを見るとこんな感じ。マチュピチュとは「古い峰」という意味。後ろの山はワイナピチュ「若い峰」。
上から見ないと決してその存在に気づかない、マチュピチュが空中都市と呼ばれる意味がわかるだろう。誰が、なんの目的でこんなところに都市を造ったのか?諸説ある様だが、真実はわからない。
マチュピチュへ続くつづらおりの道、これがアグアス・カリエンタスからマチュピチュへ続く道、発見者にちなんで「ビンガム・ロード」と呼ばれる。アグアス・カリエンタスからバスで約30分の道のりだ。
山の峰を見てみると、こんなところにまでアンデネス(段々畑)が造られている。これは凄い。
次回から、マチュピチュを「晴れのマチュピチュ」と「雨のマチュピチュ」に分けて詳しく紹介する。
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ペルー観光の大きな目玉は何と言ってもマチュピチュであろう。これを見るためにペルーまで行くと言っても過言ではない。そういった意味で、マチュピチュの観光は是非、現地(アグアス・カリエンタス)で1泊はして欲しい。クスコから日帰りのツアーもあるのだが、それでは混雑しているマチュピチュを見て終わってしまう。特に雨期ではマチュピチュを見れずに終わるという最悪のことも起こりうる。
アグアス・カリエンタスで1泊すると、到着当日と翌朝の2回マチュピチュを訪れる機会がある。特に翌朝はクスコからの最初の列車が到着するまでの、マチュピチュが空いている時間帯に、朝靄がたちこめる景色をゆっくりと見学することができる。
前日に一通り見て回っているので、遺跡内の様子もだいたいわかっていて、なおさら効率的に要所を見ることができるからだ。
もう一つ、マチュピチュにはふたつの顔がある。晴れのマチュピチュと雨のマチュピチュだ。当然、晴れた日にマチュピチュの全景を見ることは必須事項なのだが、この写真のような雨のマチュピチュも幻想的で非常にすばらしい。山の天気なので、一日中雨と言うことは珍しい、午前中が雨でも午後から晴れてくることが多い。ガスで何も見えない世界から、徐々に全貌を現してくる様子は、「天空の城ラピュタ」そのものだ。雨期にはこのふたつのマチュピチュが見られるチャンスがある。
まずは、晴れのマチュピチュから紹介する。一番高所にある「見張り台」からは全体像か見渡せる。
雨期のマチュピチュは緑が鮮やかでより美しい。
遺跡内で保護されているリャマが、アンデスの雰囲気を盛り上げてくれる。
この角度から見ると、遺跡の後ろの山々が「インディアンの横顔」に見えるのがわかるだろうか?真ん中の山が鼻で、左の山が口元。偶然にしてはよくできている。
徐々に下りていく。その高さ高さで遺跡の見え方が変わってくる。
リャマ君をアップで一枚。目元を見ると「ラクダ科」の動物であることがよくわかる。何とも癒し系の動物だ、
リャマと一緒に遺跡を見ると。何か雰囲気が変わってくる。
遺跡のあちこちに居るのだが、景色と妙にマッチしている、
「天空の城ラピュタ」の様に廃墟に緑が茂り、穏やかな空間になっているのがわかるだろうか。
さらに下りていく。遺跡のダイナミックさが伝わるだろうか。次の写真とは同じ角度から撮ったモノだが、違う時期(4月と9月)に撮ったもので、光の当たり具合と緑の濃さが異なる事で少し違った感じに見える。これは9月末で乾期から雨期へ移り変わる時期。
これは4月で雨期の終わりの時期。
太陽の門が見える高さで。これは9月末のもの。
遺跡の高さまで下りてきた。
次回は遺跡内部の様子を紹介する。
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では、マチュピチュ遺跡内部の様子を紹介していく。
マチュピチュのアンデネス(段々畑)は近づいてみるとこんな感じで、これがいわゆる「農耕区域」
アンデネス自体は、観光客の通路になっている。
この辺が、人々が生活していた「居住区域」。
アグアス・カリエンタスで一泊して、翌朝、朝一番に遺跡に向かうと、この様な朝霧がたちこめる静寂の中の遺跡を見ることが出来る。
朝一番は多くの観光客が、この正面の山、ワイナピチュへの登山に向かうので、遺跡の中は人がまばらだ。
リャマ達ものんびりと過ごしている。
アンデネスは人の背丈ほどの高さがある。
遺跡の中はインカの石組みで出来ている。
遺跡内をリャマは縦横無尽に散歩している。結構大きいので突然現れるとびっくりする。
外の風景と対比させると、何でこんな山の中に、人工的な都市を造ったのだろうかと考えてしまう。
下から遺跡を見上げるとこんな感じ。
こうやってみてみると、ここが奥深い山の中であることがわかる。
これは山小屋ではなく、都市の家なのだから。
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自分はマチュピチュを2度訪れたが、雨期の始まりと終わりの時期であったので、2度共に初日は雨、2日目が晴れというパターンだった。
雨の日のマチュピチュは、ガスの中に全てが隠れて何も見えない。山の上から雲を見下ろしている様な感じだ。
雨がっぱを着て、ガスで覆われた遺跡の中を登っていく。折角やってきたのに、あいにくの天気で皆テンションが低い。
上から、リャマたちと遺跡を見下ろすとこんな感じ。ガスで何も見えない。日帰りツアーだとこのままで帰らなくてはならない。1泊ツアーだと、ガスが晴れるのをのんびり待つことができる。
雨がやみ、しばらくすると、ガスの中にうっすらと遺跡の姿が見えてきた。
ガスが風にのって流れていく。
ガスの動きで、見えたり隠れたりを繰り返す。
何とも幻想的な風景だ。
「晴れのマチュピチュ」は「静」の景色だが、「雨のマチュピチュ」はダイナミックに刻一刻と風景が変わっていく。動きのある景色だ。
同じ風景を2度と撮ることはできない。
遺跡の上に腰を下ろし、のんびりとこのパノラマショーを楽しむ。何とも贅沢な時間だ。本当に来て良かったと感じる。
一度目に来た時は、この「雨のマチュピチュ」を上手く写真に納めることができなかった。
写真の知識に乏しい自分は、すべてオートフォーカスで撮っていたのだ。ピントが前の水滴やガスに合ってしまうので、肝心の遺跡が皆ピンぼけになってしまっていた。
今回はリベンジの時、マニュアルフォーカスにして、何とか写真に納めることができた。
雲の中から徐々に姿を現してくる姿は、「天空の城ラピュタ」そのものだ。
次回からは、「ペルーのスイス」とも呼ばれる高原の街ワラスから、6000mクラスの山々が連なる、世界自然遺産の「ワスカラン国立公園」と文化遺産「チャビン・デ・ワンタル遺跡」を紹介する
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ペルーといえば、マチュピチュやナスカの地上絵ばかりが有名どころだが、この国は砂漠、高山、熱帯雨林と様々な気候帯があり、それぞれに素晴らしい景色がある。今回はペルーのスイスと呼ばれる、ワラスを紹介する。リマの北420kmに位置し、世界自然遺産のワスカラン国立公園、世界文化遺産のチャビン・デ・ワンタル遺跡観光の起点の街である。リマからはバスで8時間だ。
今回利用したMOVIL TOUR車のバス。ビジネスクラスのようなリクライニングシートで非常に快適であった。ペルーはバス路線が発達しており、また値段が安い。ただし、悲惨な交通事故や車内での盗難などのトラブルも頻発しており、安いバスは厳禁。必ず「Cruz del Sur」、「MOVIL TOUR」や「Ormeno」などの大手のバスを利用して欲しい
今回は行きリマからの夜行で朝にワラスに到着。帰りはワラスを昼に出発する便を利用した。
帰路は、夕日が沈むリマの海岸線を楽しむことが出来た。
ワラスの街は標高3,052m、周囲の山々は6,000mクラスだ。スイス観光の拠点グリンデルワルトが1,050m、ツェルマットが1,605 m、スイスアルプスの山々が4,000〜4,500mであることから考えても、こちらの標高はかなり高い。
ワラスは素朴な小さな街、しかし面白いことにイタリア料理やスイス料理の店が多い。こんなペルーの田舎町で本格的なチーズフォンデュが食べられたりする。その理由は、ヨーロッパのアルピニスト達が、ここ山に魅せられて住み着いてしまったからだそうだ。
今回の宿はワラス近郊にあるモンテレイ温泉へ。田舎道をしばらく行くと。
今回宿泊した温泉ホテル「Hotel Monterrey」
ここは温泉プールで有名。鉄分を多く含んでいるため、泥水の様な色で見た目は悪いが立派な温泉。当然の事ながら水着を着けての利用となる。
この温泉プールの横には個室温泉が併設されていて、
大小様々な個室の温泉があり、家族単位で利用が出来る。
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これから、世界自然遺産のワスカラン国立公園にある、パストルリ氷河へ向かう一日ツアーのはじまり。
ワラスのツアーバスターミナルからオンボロミニバスで出発する。
サングラスを売る少女。確かに日差しが強い。
行き帰りに必ず立ち寄るドライブイン。ここのチキンスープ(caldo de gallina:カルド・デ・ガジーナ)は絶品、高地で食欲のない胃に染み渡る美味しさだった。
峠の山の上にマリア像。このあたりは標高4000Mを超えている。
ガードレールも何もない山道をオンボロバスでぶっ飛ばす。一歩間違えば谷の底。実際にそういう事故がたびたび起こっているのも事実なのが、ペルーだ。
森林限界を超えているので、木というモノがない世界。
雪を冠した山が見えてきた。このワスカラン国立公園は6000mクラスの山々が連なる、世界で最も高い国立公園だそうだ。広さは四国の半分とスケールがでかい。
何もない秘境の公衆トイレ。
リャマも営業中。
何やら細長い、サボテンのような植物が見えてきた。
これはプヤ・ライモンディというこのあたりに自生する非常に珍しい植物。
サボテンのようだが、何とパイナップルの仲間。10m以上に育つ。
100年以上生き続けて、100年に一度花を咲かせるという、何とも神秘的な植物。高地の強い光を浴びて、金色に輝く様に見える。自分は、これから向かう氷河より、この植物の光り輝く様子が非常に印象に残った。日本の大学もこの植物を研究されているという。
池のように見えたが、湧き水だ。
目的地が見えてきた。
次回は標高5000mにあるパストルリ氷河へ。
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おんぼろバスはガタガタ山道を爆走していく。景色があまりに雄大で、スピードを感じない。
雪を冠した山が見えてきた。6,000m級の山だ。
これから向かうパストルリ氷河は、その裾が標高5,000m。自分たちには想像を絶する高さなのだが、気軽な装備で行けてしまうところが、何ともペルーなのだ。防寒さえできていれば、特別な山の装備は要らない。靴もトレッキングシューズで十分だ。でも空気は非常に薄く、気軽に行ける非常に苛酷な場所なのだ。
ここはツアーバスの駐車場、ちょうど9合目あたりになる。向こうには目的地の氷河が見えている。
この9合目から9.5合目までは馬で登っていく。
雄大な景色を見ながら、馬に揺られていく。
こういった景色はスイスの景色そのものだ。でも、優雅な登山はここまで。
道しるべには「行くのは困難だ、でも、不可能ではない」と書かれている。この9.5合目からは、自力で登って行かなくてはいけない。
そんなに長い道のりでもないのだが、これがとてつもなくしんどい。酸欠で目の前の景色が黄色く見えるようになった。そんな我々に付き添うように、おじさん達がニコニコついてくる。ギブアップした登山客を背負って登るポーター達だ。
そんなオッサンの世話にはなるわけにはいかんと、何とかたどり着いた。これがパストルリ氷河だ。
氷の柱が見えるだろうか。
ベースが5,000mで頂上が5,400m。でも、当時9歳のうちの娘でも来れてしまうのだ。マッターホルンが4,478m。ヨーロッパ最高峰のモンブランが標高4,810mなわけであるから、この高さは尋常ではない。
帰路は雄大な景色を満喫しながら、馬の背に揺られて下っていく。
写真では伝わりにくいのだが、とんでもなく豪快な景色だ。
高地独特の景色を見ながら、ワラスの街へ帰っていく。
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今回は、ワラスからのもう一つの観光スポット、世界文化遺産にも登録されている、チャビン・デ・ワンタル遺跡へ向かう。この遺跡は、標高3200mにある神殿遺跡で、紀元前1500年から300年頃に栄えた古代アンデス文明のチャビン文化の遺跡だ。
遺跡に向かう途中で立ち寄った、ケロコチャ湖(Lag. Querococha)、なんと標高3980mと富士山よりも高い。
標高4000mから望む山々は、もちろん5000〜6000mクラスの山々。湖の水は澄んでいて、幻想的な雰囲気だ。
おんぼろバスに揺られて、チャビンの村に到着した。
アンデスの田舎そのものという素朴な風景。
これは、村の薬屋さん。どこにでもある、よろずやといった感じだ。
遺跡にはいると、博物館のようになっており、数々の出土品が展示されてあり、これが結構興味深い。これは動物を模ったレリーフ。
これは「カベッサ・クラバ」、直訳すると「頭の釘」。この遺跡の代表的な出土品だ。
これは遺跡のミニチュアモデル。左上の壁を見てみると。
この「カベッサ・クラバ」が壁に突き刺してある。
実際にはこんな感じだ。
ここは遺跡の広場。
このあたりは何か生活感を感じる。
このチャビン・デ・ワンタル遺跡は地下回廊があることで有名で、地下に「ランソン」と呼ばれる巨大な石塔の主神体がある(高さ約4.5m)。このあたりから地下に入っていく。
こんな感じで地下に回廊が張り巡らされている。1996年の在ペルー日本国大使公邸がテロリストに占拠された事件で、当時のフジモリ大統領が、地下道を掘って武力突入した作戦名を「チャビンデワンタル作戦」としたことでも有名だ。
この向こうに「ランソン」がある。
遺跡周辺の風景。のんびりとロバが橋を渡っている。
橋の袂では、村のお母さん達が、洗濯をしていた。
次回からはがらりと変わって、ペルーのアマゾン・ジャングルを紹介する。
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ペルーというと「高地」というイメージが強いが、実際には3つの気候帯がある。首都のリマがある海岸部は砂漠地帯、アンデスの高山地帯、そしてアマゾンの熱帯雨林と、一つの国土に様々な気候帯が存在する。
今回は、アマゾンの熱帯雨林ジャングルを紹介する。アマゾン川は世界最大の流域面積を持つ川で、多くの支流があり、北はコロンビア、エクアドルからペルー、ボリビア、ブラジルを流れる。
飛行機の窓から、雪を被ったアンデスの山々を眺めていたら。
景色が一転して、眼下に緑のジャングルが広がってきた。
蛇行しながら流れているのが、アマゾン川だ。
流れは緩やかで、独特の色をしている。
アマゾン・エコツアーの玄関口、プエルト・マルドナードに到着した。高山地帯にあるインカ帝国の都クスコから、空路30分程度で、熱帯雨林ジャングルに来てしまう。何とも不思議な感覚だ。
車にエアコンなど求めてはいけないこの地域では、風を切って走る、このモトタクシーが住民の足だ、
HONDAのマークが何とも怪しい。
ファンキーにペイントされたボンネットバスも、現役で活躍している。
村の桟橋から、小型ボートに乗って、ジャングルの中にあるロッジへ向かう。
ボートから眺める空の景色が、高地とは全く違う。乾いた青ではなく、夏の青だ。
今回宿泊したフランス人が経営しているロッジ「Lodge Corto Maltes Amazonia」。寝室には蚊帳が張られている。
室内はなかなか快適だ。
部屋のバルコニーにあるハンモックで昼寝。
何気にオウムがやって来る。
シロムネオオハシにも気軽に出会える。
ロッジ内にいるシロムネオオハシは人懐っこい。
もちろんタランチュラもいる。
そうこうしているうちに日が暮れてきた。
アマゾンの夕暮れはすごく絵になる。
夜中のボートサファリ。きらりと光った眼は小型ワニのカイマンだ。
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アマゾン・エコツアーの2日目。早朝から歩いてジャングルの中に入っていく。
エコーツアーには、必ず専属のガイドがついて、ジャングルの動植物の生態系について解説をしてくれる。
今回は乾期に訪れた。雨期は緑が鮮やかでより美しいが、地面がぬかるんで大変らしい。
朝の目的は、インコの見物。もの凄い数のインコが土の壁に集まり、土をかじっている。
土に含まれている塩分を摂るためで、土のミネラルはジャングルの貴重な塩分源なのだ。一斉に飛び立っては集まりを繰り返し、中々のエンターテインメントだ。
ロッジに戻って、今度は船でアマゾンを進み、ジャングルに入っていく。
鳥や獣の鳴き声があちこちから聞こえる中、船は静かに奥に入っていく。
あまり見たことのない果実を発見。
これはスターフルーツだ。輪切りにすると星の形をしている。
このジャングルには、色んな種類の猿が生息している。
アマゾンの支流を進んでいく。
途中、何やら作業をしている人達を発見。近づいてみると。
これは川の泥から砂金を採る作業らしい。
泥をくみ上げて、ビニールシートでふるいにかけるといった、きわめて原始的な方法で砂金を集めている。
砂金集めはこの地域の大事な産業なのだ。
漁をしている人を発見。
網には大きな魚がかかっていた。見せてもらったお礼にガイドさんが、手巻きたばこを1本プレゼントしていた。
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アマゾンのエコ・ツアー2日目。
ジャングル内の支流での魚釣り、なんとピラニア釣りだ。道具はいたって簡単、枝の棒っ切れに釣り糸と針。エサは牛肉の切れ端。
こんなモノで釣れるのかと半信半疑であったが、まずは下の娘が難なく1匹目をゲット。
上の娘も2匹目をゲット。
本日の釣果はこの2匹のみ、後はみんなボウズであった。
釣った魚は夕食の席に調理されて出てきた。食べてみると、淡泊な白身で美味であった。
エコ・ツアーも終わり、再び船でプエルト・マルドナードの街を目指す。
バナナを満載したモトタクシー。ジャングルの街らしい光景だ。
その街を知りたければ市場に行けと言う。確かに自分もそう思う。ということで、プエルト・マルドナードの市場をのぞいてみた。
南国らしく、色鮮やかな野菜や果物がならんでいる。左下の茶色いモノはタロイモ。
米は主食で食べられていて、色んな種類の米が売られていた。
ここは、香辛料屋さん。左下の白に赤字の袋は、味の素。アマゾンのジャングルにも"だし"文化が定着していた。そういえば、アンデスの高地、ボリビアのウユニの市場(第62回)にも味の素が売られていた。ちなみに"AJINOMOTO"はブラジルやペルーに大工場を持っていて、サトウキビを原料に味の素を製造している。
豚肉や豚の顔、アマゾンで捕れた魚が売られていた。
鶏肉やさん。何ともグロテスク。
野菜は何か巨大だった。
市場のタクシー乗り場。
次回からは、南米大陸の南の果て、最も南極に近い"パタゴニア"を紹介していきたい。
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自分が行った旅先で、日本から最も遠い場所、南の果て、パタゴニア。今回からはこのパタゴニアをシリーズで紹介したい。
こうやって地図で見てみると、南米大陸はアフリカ大陸よりも、かなり南にまで位置しているのがわかる。その南米大陸の、アルゼンチンとチリにまたがった南の端の地域は、「パタゴニア」と呼ばれている。大陸でもっとも南極に近い場所なのだ。
パタゴニア地域を拡大してみると、その右側にある島が、あのフォークランド諸島。1982年にイギリスとアルゼンチンが領有権を争った「フォークランド紛争」の舞台だ。イギリスはこんなところにまで領土を持っていたんだと改めて感心する。
今回の行程は、ペルーのリマから空路アルゼンチンの首都ブエノスアイレスに入り、市内観光。ブエノスアイレスから空路3時間半南下してエル・カラファテへ、カラファテではペリト・モレノ氷河、ウプサラ氷河を見学。次にカラファテからチリ側のプエルトナタレスへバスで移動し、そこから船でパイネ国立公園へ入る。公園内のホテルに宿泊して朝焼け、夕焼けのパイネの絶景を満喫。帰りは陸路プエルトナタレスを経由して再度アルゼンチン側のカラファテに戻り、空路1時間南下して南の果てウシュアイアへ。ビーグル水道クルーズでペンギンやアシカの群れを見物し、南の果てを実感。そして、ウシュアイアから空路3時間半北上し、ブエノスアイレスへ戻るというもの。
アルゼンチンの首都ブエノスアイレス。昔は「南米のパリ」と呼ばれ、すごく繁栄していたんだろうと、その面影を感じる。寂れた大都会といった感じ。
世界自然遺産のペリト・モレノ氷河。船から見ると青白い断崖絶壁。
見晴台からみたペリト・モレノ氷河。氷河の上を歩くツアーもある。
これはウプサラ氷河見学の途中に船から見たスペガッツィーニ氷河。ウプサラ氷河では4WDと乗馬から氷河を楽しんだ。
チリ側の主役パイネ国立公園。夕日に染まるクエルノス・デル・パイネ(Cuernos del Paine:パイネの角)
パイネ国立公園を象徴する、3本の岩峰 トレス・デル・パイネ(Torres del Paine)
サルトグランデの滝から望む、トレス・デル・パイネ(Torres del Paine)。
ウシュアイアからのビーグル水道クルーズで、船でペンギン島び接近。
アザラシの群れ、大きな声で求愛する。
夕暮れ時の灯台を見て、ウシュアイアの港へ戻る。この港から南極へのクルーズ船が出航する。いつかは乗ってみたい。
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パタゴニアへの第一歩として、まずは、アルゼンチンの玄関口、ブエノスアイレスに入る。
アルゼンチンは第二次世界大戦までは、日本を遙かにしのぐ世界でも有数の経済大国であったわけで、その首都ブエノスアイレスは南米のパリと呼ばれるほど繁栄していたそうだ。
日本から最も遠くにある大都市であるが、日本との関係は結構深い。
1913年には宗主国スペインよりも早く、地下鉄が開通しているのだが、日本初の地下鉄銀座線は、このブエノスアイレスの地下鉄をモデルにしたというのには驚きだ。だが、今は日本の地下鉄の中古車両が走っており、この国の没落度がわかる。
パリのオペラ座、ミラノのスカラ座に並び、世界三大劇場のひとつとされる、コロン劇場。
ブエノスアイレスのシンボル、オベリスコ。
路線バスも発達している。
街を歩いていると、まるでヨーロッパの街並みそのもの。
どことなく寂れた感じがするのだが、かつての繁栄ぶりがうかがえる街並みだ。
ここはレコレータ墓地というブエノスアイレス最古の墓地で、大統領をはじめ著名人が眠っている墓地だ。
ここは立派なブエノスアイレスの観光地のひとつでもある。
団体でやってくる観光客のそのお目当ては?
ミュージカルや映画の題材にもなった「エビータ」のお墓だ。「エビータ」の愛称で呼ばれる、エバ・ペロンは、私生児から女優、大統領夫人にまでのぼりつめ、33歳で病死したという、波瀾万丈の人生を生きた女性で、アルゼンチンでは今も根強い人気があるそうだ。
アルゼンチン・タンゴ発祥の地、港にほど近いボカ地区へ。
カラフルにペイントされた家が並ぶ、ボカ地区の有名なポイント。
生活の匂いがしておもしろい。
タンゴショーを楽しめるレストラン。ボカ地区にはタンゴショーを見ることができる大小様々な店がある。
今宵はアルゼンチンワインを楽しみながら、本場のタンゴを満喫する。
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いよいよパタゴニアに向けて出発。ブエノスアイレスから国内線で空路3時間半南下する。
何もない海岸線。
荒涼とした景色の中を着陸していく。
ペリト・モレノ氷河で有名な、世界自然遺産ロス・グラシアレス国立公園の玄関口、エル・カラファテ空港に到着。
なかなか近代的な空港だ。
この街の名前にもなっている、カラファテの実。ジャムなどで売られている。
街を歩くと、食事処はステーキハウスとイタリアンばっかり。ステーキハウスの店先にはどこもこの様な光景が見られる。これは「コルデロ」といわれる子羊の丸焼きで、パタゴニアの名物料理だ。開いて遠火で焼いているのが特徴で、同じ子羊の丸焼きでも、ボスニア・ヘルツェゴビナで見た、串刺しの丸焼き(第49回)とは大きく異なる。肉食文化の発達したアルゼンチンならではの料理だ。確かに肉の臭みがなく、香ばしくて美味しい。
今回の目的の一つ、ペリト・モレノ氷河を陸路目指す。街を一歩出ると、荒涼な景色が続く。
遠方にペリト・モレノ氷河が見えてきた。
まずは船から氷河を鑑賞する。
断崖絶壁に近づいてきた。
その高さと規模に圧倒される。
パタゴニアの天候は目まぐるしく変わり、天気の状態で氷河の色が変わる。
曇っていると、白く見える。
晴れてくると、青白く輝き出す。アルゼンチンの国旗が妙にマッチする。
氷河の裂け目が、神秘的な濃いブルー染まる。
この氷河は毎日2mずつ移動しているらしい。耳を澄ますと、あちこちで氷河の崩れる音が聞こえる。
なかなかシャッターが追いつかないのだが、氷河が崩落する景色が見られる。
晴れてくると、氷河は輝き、全く違う光景を見せてくれる。
次回は見晴台からの氷河の景色を紹介する。
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陸に上がり、遊歩道から氷河の全景を展望する。
青白くそびえ立つ絶壁。
南極の氷河はまだ見たことがないが、この氷河の大きさは、自分が今までに見てきた氷河とは比べものにならないスケールだ。
こんな具合に、氷河の対岸に展望用の遊歩道がある。
遊歩道を上っていくと、だんだん全景が見えてくる。
遊歩道の高さや左右の位置で見え方が大きく変わる。
氷河のきしむ音、崩れる音があちこちで聞こえるのだが、なかなかファインダーに納めることができない。
これは、さっき崩れた後。
最上部から氷河を見下ろす。氷河の上をアイゼンを付けて歩き、氷河の氷でウイスキーを飲むというツアーもある。
パタゴニアの天候は、晴れたり曇ったり目まぐるしく変わる。天候によって景色も大きく変わる。
崩れた氷河のかけらが浮いている。
ここからのショットが一番豪快な景色が撮れる。
また晴れてきた。氷河が白く輝きだした。
真正面からこんな具合に見学できる。
今度は間に合った。
崩れるところをやっと撮ることができた。
そびえ立つ氷河と、サファイア色に輝くその割れ目。
次回はまた違った楽しみ方ができる、ウプサラ氷河を紹介する。
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今回は、ロス・グラシアレス国立公園で、もう一つの観光ポイントであるウプサラ氷河を紹介する。ウプサラという名前の由来は、スウェーデンのウプサラ大学がこの氷河の研究をしていたことから命名されたらしい。
港から双胴船に乗り込む。
遠くに雪山を眺めながら、静かな湖を進んでいく。
あちらこちらに青白い塊が浮いている。
氷河のかけらだ。
大きさは大小様々で、色んな形をしているところが、なんか可愛らしい。
眺めていると、色んなモノに見えてくる。
これは全体的に丸みのある氷河。
季節は夏だが、スキーウエアを着ている。いつもこんな感じで写真を撮ってます。
青い氷が層になり、縞模様に見える。
ピラミッドのような氷。
恐竜が湖から頭を出しているかのような氷。
遠くにウプサラ氷河が見えてきた。
ソフトクリームのような氷、結構でかい。
そうこうしているうちに、スペガッツィーニ氷河が目の前に見えてきた。結構な迫力だ。
山の谷間に見えるのがウプサラ氷河だ。次回は陸に上がって、4WDと乗馬でウプサラ氷河に向かう。
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船から上陸して、ウプサラ氷河に向かう。
このツアーでは氷河までの道のりを、4WDで行くか乗馬で行くかを選ぶことができ、ここから別れて出発する。
自分と長女は4WDでオフロードを突き進んでいった。
家内と次女は乗馬コースを選択した。
雄大な景色を間近に見下ろしながら、なかなか満足できるツアーであったらしい。
パタゴニアの静かで荒涼とした景色の中を進んでいく。
雪山と湖が美しい。
ウプサラ氷河が見えてきた。
こうやって見下ろすと、なんとも雄大な氷河だ。
見渡す限りが氷河だ。
だが、地球温暖化の影響でこの氷河もどんどん後退して行っている。ガイドさん見せてくれている写真の上が70年前の様子で、現在の氷河がかなり後退しているのがわかる。こういう極地にやってくると、地球規模の異常がよくわかる。
近くには、なにげにアンモナイトの化石があったりする。ここが昔は海であった証拠だ。
再び4WDに乗り込んで港へ戻っていく。おんぼろ橋で川を渡る。
砂埃を巻き上げて、原野を爆走していく。
乗馬グループの娘達も颯爽と帰ってきた。
パタゴニアの原風景を見ながら、再びカラファテの街へ向かう。
日も暮れてきた。明日はバスでチリ側のプエルト・ナタレスへ移動し、パイネ国立公園へ向かう。
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いったんカラファテをあとにして、チリ側にあるパイネ国立公園へバスで4時間半の道のりを移動する。
これがアルゼンチンとチリの国境だ。
この民家のような建物がパスポートコントロール。ここで出入国のチェックを受ける。
木々も何も無い、パタゴニアの大平原を走っていく。
大地と空と雲だけの世界だ。
パイネ国立公園の起点の街、プエルト・ナタレスに到着した。
何も無い小さな街だが、世界中から観光客が集まる。
湖のほとりの公園でブランコ。子供達もややお疲れ。
プエルト・ナタレスからパイネ国立公園へ、行きは船で向かうことにした。あいにくの天候だが、虹が出た。
ペンギン!と喜んだが。。。
近づいてみると、これは鵜の仲間だった。
バルマセーダ氷河が見えてきた。
岩にへばりつくように、氷河が広がっている。やはり青い色をしている。
いったん陸に上がって、セラーノ氷河を目指す。湖に氷河のかけらがぷかぷか浮いている。
湖に流れ出すかのように、セラーノ氷河はある。
最初にすごい氷河を見てしまっているで、あまり感動は無いのが残念。
ここからはゾディアックと呼ばれる、頑丈なゴムボートでセラーノ川を上っていく。
防水、防寒のコートに身を包む。
ゾディアック乗り込んで出発だ。
雪山を望みながら川を上っていく。今回はあいにくの天候で、景色も曇って見えにくかったが、ようやく少し晴れてきた。
遠方に氷河が見える。
こんな感じで、激流の中も進んでいく。
上陸し、陸路、本日の宿を目指す。遠方にクエルノ・デル・パイネ(パイネの角)が見えてきた。
パイネでは国立公園内ホテルのひとつ、HOSTERIA PEHOEへ滞在した。ホテルの前から、夕暮れどきのクエルノ・デル・パイネを望む。
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プエルト・ナタレスから、日帰りでパイネ国立公園の主要ポイントを回るツアーもあるのだが、パイネでは是非とも国立公園内のホテルに宿泊して、朝焼けと夕暮れ時のパイネの山々を見て欲しい。
今回宿泊したHosteria Pehoe、ペオエ湖の中に建ち、橋を渡っていく。目の前にパイネの山々が迫る、絶景のホテルだ。
ホテルのレストランから、湖越し向かって左にパイネグランデ、右にクエルノス・デル・パイネ(パイネの角)のパノラマが広がる。
朝日に輝くクエルノス・デル・パイネ(パイネの角)
パイネ国立公園内には初級者から上級者用まで様々なトレッキングコースがある。我々はイタリアキャンプからフランス渓谷展望台までのトレッキングコースを選択した。ボートでペオエ湖を対岸に渡り、トレッキング開始。まずはイタリア・キャンプを目指す。
パイネの山々を望みながら山道を登っていく。
イタリア・キャンプに到着。その名の通りここはキャンプ場になっていて、たくさんのテントが張られていた。
帰路はペオエ湖を望みながら、けもの道を下っていく。
人工物のほとんど無い、壮大な景色だ。
湖がエメラルド色に輝く。
パイネの風は半端なく強い。本当に吹き飛ばされそうになる。その強い風の影響で、天気がめまぐるしく変わる。
帰りのボートが到着した。
夕暮れどきのクエルノス・デル・パイネ(パイネの角)。
ホテルにも灯がともった。
翌朝、朝焼けのパイネの山々。
風が強く、雲がものすごい速度で流れ、すぐに山の頂上を隠してしまう。最後に、クエルノス・デル・パイネ(パイネの角)をもう一枚。
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今日はパイネ国立公園の最終日、車で国立公園内の見所を巡りながら、プエルト・ナタレスへ向かう。
少し離れて、クエルノス・デル・パイネ(パイネの角)を望む。この山は本当に美しい。
これがサルトグランデの滝、規模は大きくないが、水量が多く、豪快で迫力がある。
野生のグアナコの群れ。リャマやアルパカの仲間で、ラクダ科に属する。その毛から作られる毛織物は、ビクーニャと並んで超高級品だ。
サルトグランデ越しにパイネの山々を望む。真ん中に突き出た3本の岩山がトーレス・デル・パイネ(パイネの塔)だ。
身体が飛ばされそうになるくらい風が吹き荒れる原野から、クエルノス・デル・パイネ(パイネの角)を見上げる。
また違った角度から、パイネの山々を望む。岩山なので、見る角度によって、その景色は大きく異なる。
湖越しの正面に3本の岩山、トーレス・デル・パイネ(パイネの塔)を望む。
トーレス・デル・パイネ(パイネの塔)に少し近づいて一枚。
オバケの様な形をした雲を眺めながら、プエルト・ナタレスの街へ戻っていく。
もう一度、チリからアルゼンチンへ陸路入国し、カラファテの街へ戻る。そこから空路さらに南下し、南の果て、最終目的地のウシュアイアへ向かう。
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エル・カラファテから飛行機でさらに1時間20分南下し、パタゴニアの最終目的地ウシュアイアへ向かう。
ビーグル水道が見えてきた。飛行機ならもう少しで南極だ。
世界最南端の都市、ウシュアイアへ到着。街の中心街は特に特徴も無く、素朴な田舎町といった雰囲気。
ウシュアイアはもちろん観光地として有名なのだが、もう一つの顔があり、国の経済特区となっていて、輸入品が免税で買える街なのだ。やけに電器店やアウトドアグッズの店が目につく。SONYなど日本ブランドの看板もよく見かける。
この街の名物料理も、やっぱりコルデロ(子羊の丸焼き)。肉とワインは確かに美味しいが、それしか無いところが、日本人にはきつい。この街にはもう一つの名物として、セントージャというタラバガニに似た大きなカニがあるのだが、取り立てて美味いというモノでは無かった。
ご当地ビールは、ビーグル水道にちなんで、その名も"ビーグル"
郊外に出ると、まるでカナダのような風景が広がる。これはビーバーが小川をせき止めたダム。その昔、毛皮が取れるとのことで、カナダからビーバーを輸入したそうだ。しかし、ビーバーの毛皮は売り物には成らず、結局、野生化してしまって、このようにあちこちで川をせき止めて困っているのだそうだ。笑い話のような実話。
ここはシベリアンハスキーの繁殖場。ここで数を増やして輸出するそうだ。
ここは世界最南端の鉄道の駅で、「世界の果て号」というミニSLが公園内を走っている。
「世界の果て号」だ。
列車で公園内を巡り、先住民達の昔の生活の様子を垣間見る。
先住民族、フエゴ人の記録だ。この寒い土地で、裸で生活をしていたというのには驚きだ。
20世紀前半、この街は刑務所として発展したそうで、隔離された流刑地であった。
街には縞々の囚人服の絵や人形をよく見かける。今では、囚人服もこの街のみやげ物になっている。
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ウシュアイアでのメイン・イベント、ビーグル水道クルーズの様子を紹介する。
ビーグル水道という名前は、「進化論」で有名なダーウィンがビーグル号で世界一周航海をした際の経路であったことに由来している。
この日は快晴。船の進行方向に、雲が縦に長く伸びて、何とも気持ちのよい空だ。
マゼラン・ペンギンの営巣地を船の上から観察。
すごい数のペンギンで、よく見ると雛も混じっている。
横たわるもの、海に入っていくもの、ボーっと立っているものなど、見ていて飽きない。
顔とおなかの白黒の帯模様がマゼラン・ペンギンの特徴。
雛は白黒の模様がまだ無く、図体は大人とあまり変わらないが、何か愛らしい。
日も暮れてきて、クルーズも終盤。
何やら、生き物が群れた小島に近づいた。
アシカの仲間のオタリアとペンギンの様な白黒の鳥が共生している。
白黒の鳥はペンギンではなく、鵜だ。
このオタリアたちは親子だろうか?
有名なエクレルール灯台。夕暮れ時が美しい。
ウシュアイアの港に帰ってきた。この港は南極クルーズの出航地としても有名だ。
外国航路の豪華客船も泊まっている。いつかは参加したい南極クルーズ。再びこの港に帰ってくることを夢見て、パタゴニアシリーズを終了する。
ウシュアイアから、空路ブエノスアイレスへ戻り、そこからイグアスへ向かう。次回はイグアス大瀑布。
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パタゴニアからの帰路、ブエノスアイレス経由でアルゼンチン側のイグアスを訪れた。アフリカのビクトリア・フォールズ(第10回で紹介:ザンビアーボツワナ国境)、北米のナイアガラ・フォールズ(カナダーアメリカ国境)、そして南米のイグアス・フォールズ(ブラジルーアルゼンチン国境)は世界三大瀑布と呼ばれているが、それぞれ国境になっているぐらいで、日本の滝とはスケールが全く異なる。中でもビクトリアとイグアスはナイアガラとは比べものにならない。
私見として、スケールと迫力はビクトリアが一番ではないかと思うが、イグアスは、滝という景色を色んな角度や距離から楽しめるようによく工夫され、整備されている。
国境の橋を渡って、アルゼンチンからブラジル側へ入る。まずはブラジル側から見学する。
世界遺産、イグアス国立公園。
カラフルなバスに乗って、国立公園の入口から滝の見学場所まで移動する。
ブラジル側の公園内にある唯一のホテル、ホテル・ダス・カタラタス。滝の目の前にあって、絵になるホテルだ。
ブラジル側からは主に滝の遠景を楽しむ。
いくつもの滝が立体的に奥行きのある景色で楽しめる。
この様な写真が撮れるのがブラジル側の特徴だ。
遠景といっても非常に迫力がある。
公園内にはアナグマがうろちょろしている。人間に慣れていて、エサを求めて寄ってくる。
エレベータに乗って展望台から滝を見下ろす。
あちらこちらに大小様々な滝がある。
ここは、落ちていく滝を間近に見ることのできるビューポイント。
滝の水しぶきで虹が出ていた。
次回はアルゼンチン側の滝の景色を紹介する。
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11月1日で伊東内科クリニックは開院3周年。本当に沢山の方々に助けられて、ここまで来れたと思う。心から感謝したい。
「ドクトル・イトウの地球の果てまで」も4年目に突入。まだまだ紹介するネタが残っていることに、自分でも驚く。
もうしばらくお付き合い願いたい。
今回はアルゼンチン側から見た、イグアスの滝を紹介する。
この地図を見ての通り、ブラジル側からは、滝から少し離れて遠景を見る感じで、アルゼンチン側からは滝に近づいて近景の迫力を楽しめるように、遊歩道が整備されている。
これは「姉妹の滝」という並列して流れる滝。
よく整備された、ジャングルの中の遊歩道を進んでいく。
大小様々な滝が流れている。
静けさの中に、あちこちから水しぶきと轟音が聞こえてくる。
今から、写真左下の滝の中へボートで突入していくツアーに参加する。
イグアス名物の滝の中へ突入していく、ボート・サファリツアー。もちろんずぶ濡れになるので、カッパを着て、貴重品は防水袋へ入れる。でも、カッパを着たところで、全身ずぶ濡れになってしまうのだ。自分は今回が二度目であったので、是非この様子をビデオに収めようと、ジップロックを工作して、カメラカバーを作って挑んだ。
濁流をさかのぼって、滝へ進んでいく。
こんな感じで、ボートは滝に近づいていく。
左下の滝壺へ、ボートは突っ込んでいく。
ずぶ濡れになるのだが、遊歩道を歩いているうちに自然と乾いてしまう。そうこうしているうちに、アルゼンチン側のメイン・イベント「Garganta del Diablo(悪魔の喉笛)」に到着。
一番大きな滝を、上からのぞき込むビューポイントだ。
轟音を立てて、滝が落ちていく。何か吸い込まれそうな勢いだ。
こんな感じで展望デッキが造ってある。迫力の絶景を目の前に見ることができる。
滝壺は水しぶきで見えない。
ものすごい迫力だ。
滝壺に虹が出来ていた。
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舞台を一旦ペルーに戻して、自分が4年間生活した、ペルーの首都リマの様子を紹介する。
リマの新市街、サン・イシドロ地区。高層ビルの多くは、富裕層や外国人が暮らすマンション。リマに駐在する日本人の多くが、このマンション群に暮らしている。高層ビルの奥に見える緑は、ペルーで一番の名門ゴルフクラブ、リマ・ゴルフ。サン・イシドロ地区の住人は、この街中に広がるゴルフ場を見下ろして生活している。さぞかし便利か?と思いきや、日本人を含め白人以外はほとんど会員にはなれないのだ。目の前のゴルフ場でプレーが出来ない現実。ペルーが白人社会であることを目の当たりにする光景だ。
写真中央の土の盛り上がりはインカの遺跡。こんな街中にも遺跡がある。
夜は遺跡がライトアップされる。
ここはもう一つの新市街、ミラフローレス地区。海を見下ろすように高層マンションが立ち並ぶ。ハワイやマイアミのような光景なのだが。。。夏はいいが、冬は写真のように霧に覆い隠されてしまう。住人曰く、雲の上で生活しているようとのことで、湿気が高く、カビに悩まされる。リマは地理的には砂漠気候でほとんど雨が降らず、緯度からは本来、気温の高い場所なのだが、リマの沿岸には寒流のフンボルト海流が流れていて、海上の大気が冷やされ、雲が発生する。
写真のように、海から、霧が覆い被さるように発生する。これが、砂漠地帯で雨が降らないにも関わらす、高湿度でカビになやまされるというリマの特殊な気象条件だ。
リマの旧市街、セントロ。
歴史的な建造物が多く、見る価値は高いのだが、治安が悪く、なかなか訪れる機会は少なかった。
これは大統領府の衛兵交代式。国歌が流れて、なかなか壮観な催しだ。
セントロの中華街。
リマには多くの中国系移民が生活していて、中華料理がしっかりと根付いている。いわゆるチャーハンはチャウファと言って、すでにペルー料理になってしまっている。日本人の味覚に合うおいしい中華料理だ。
このおじさんは何をしてるか?犬を売っている。
美味しい中華レストラン、サロン・カポン。
ここの北京ダックは自分が今まで食べた中で一番美味しかった。スキンヘッドのおじさんは、リマでおなじみの日本食レストラン「TOSHIRO」のオーナーシェフ、トシさん。ペルーでは超有名人。
黄色い車はタクシー。リマで走っているタクシーの大半は日本車の中古車。何でも有りのペルーでは簡単に左ハンドルに変えてしまう。自分が子供の頃の車が現役で走っている。
おんぼろビートル。部品の組み合わせで色までまだら、これがペルーそのもの。
女性下着もこんな感じで売られている。
何とも不思議な感じがする。
これは銀行の現金輸送車。テロ対策で、装甲車のようになっていて、扉がない。見かけは何でもない平穏な街並みなのだが、危険はいっぱいなのだ。
セントロから一歩離れると、ゴミが散乱している世界に直面する。
バラックが連なる。これがペルーの現実だ。
リマのきれいな夕日を一枚。
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南半球にあるリマのクリスマスは夏。ホワイトクリスマスとは無縁だが、夜は街のあちこちでイルミネーションが美しい。でも、夜のリマは危険がいっぱい。なかなか夜の風景をゆっくり楽しむのは難しい。
旧市街の日も暮れてきた。
ステーキハウスの牛にも、クリスマスの首飾りが。。
「リマの危険な夜を、安全に見物したい!」という要望にこたえて登場したのが、この「ミラバス」。2階建て観光バスで、日暮れ時に旧市街を出発し、リマの主要な観光名所をめぐる。
この「ミラバス」に乗ってみた。2階はこんな感じでオープンエア。
4年間生活して、夜の旧市街を見るのは初めてだ。
屋根が無いので、景色がすごく近くに感じる。
街中にも大きなクリスマスツリーのイルミネーション。
最初の目的地は、2007年に突如造られた、噴水公園(Circuito Mágico del Agua)だ。
世界一大きな噴水の公園として、ギネスに認定されている?そうだ。。
地方では、水道がまだ行き届いていないところも多いというペルーに、なんで噴水公園??という感じであったが、
リマっ子には大人気のようであった。
これが結構なスケールで、楽しめる。
なかなかのアトラクションなのだ。一見の価値はあり。
最後は大きなクリスマスツリーを。
一歩外に出ると、おんぼろミニバスが車線を奪い合う、喧騒の街、リマ。
古い建物がライトアップされてきれいだ。
街の汚れを、暗闇が隠してしまう。リマの夜がこんなにきれいとは知らなかった。
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「ミラ・バス」はクリスマスのイルミネーションで飾られた、夜の旧市街を走っていく。
見慣れた旧市街の建物も、何か雰囲気が違って見える。
上品か、下品かは別として、古い建物もイルミネーションで飾られている。
このクリスマスの時期には、アルマス広場が特に美しく飾られ、一見の価値がある。
夜のリマ旧市街は危険なので、見たくても見れなかった人たちに、この「ミラ・バス」はありがたい。
好調なペルーの経済状態を反映してか、企業広告を兼ねた大小さまざまな電飾ツリーが飾られている。
大統領府も派手に飾られている。
カテドラル(大聖堂)もきれいにライトアップされている。
喧噪の街、リマで、少しおしゃれなクリスマスを楽しんだ。
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またまた中南米に戻って、今回からはカリブ海の島国、キューバを紹介する。北朝鮮などと並んで「ならず者国家」などと呼ばれ、アメリカとは犬猿の仲、すごく近くて遠い国だ。親米国の日本からも、なんか遠くに感じる国だ。
現地通貨への両替も米ドルは手数料が高く、カナダドルやユーロで持って行くのが現実的で、アメリカ系のクレジットカード、アメリカン・エクスプレスは使用できない。
アメリカからこんなに近いにもかかわらず、アメリカからの商用航空路線はなく、カナダやメキシコ、パナマなど、アメリカ以外の国を経由して行くことになる。
こう書くと、なんてやっかいな国だと思われるのだが、アメリカ以外の国からは非常にメジャーな旅行先で、観光は砂糖産業と並んで、この国の大きな産業なのだ。
空港には色んな国旗が掲げてあったが、アメリカ合衆国は見あたらなかった。右奥に北朝鮮はあった。
では、キューバの首都で世界文化遺産に指定されているハバナ旧市街を紹介する。
ホテルから街を見下ろすと、何かタイムスリップしたかのように感じる。何がそう感じさせるのか、それがこの国の魅力なのであるが、それはこの国が歩んできた歴史的背景にある。
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スペインの植民地として、砂糖産業で発展し、中南米の植民地と本国スペインを結ぶ中継地として発展した。
その後、アメリカの力で独立し、アメリカの庇護の下に発展したが、政権は汚職で腐敗し、1959年に起きたカストロらによるキューバ革命で社会主義国家となり、米国と断絶することになる。
つまり、スペイン植民地下でコロニアルな街が形成され、その後に自動車やジャズなどアメリカ文化が急速に流入し、1959年で止まった。街はその、止まったままなのである。
ビルは老朽化し、屋上には新たな生活の場が出来ている。
ハバナ旧市街には、観光用の馬車が行き交っている。
旧市街の建物はなかなか立派。
古びた建物が、いい雰囲気を醸し出している。これがキューバの魅力なのかも知れない。
馬車で優雅に街を見て回るもよし、人力タクシーもよし。
古びたスペイン統治時代の建物があちこちにある。
世界遺産への登録名は「ハバナ旧市街とその要塞群」。海賊や外国からの攻撃に備えるために四つの要塞が造られた。その一つ「フエルサ要塞」。
では、街の中心部を歩いてみよう。こんな具合で、古いビルの間の路地といった感じの通りが入り組んでいる。
こんなオンボロなサイドカーが現役で走っていて、嬉しくなってくる。
きれいに手入れされたモノもある。
アルマス広場の青空市には年季ものの本が並んでいた。
商店のウインドーには、革命やカストロ議長(当時)を祝う、政治的なポスターが貼られていた。こんなところはロシアと同じだ。
青空市では、こんな軍帽がおみやげに売られている。
キューバのもう一つの産業が「医療」。キューバは「医者」を旧共産圏の国々に輸出している国だ。確かに自分はポーランドの病院で働くキューバ人医師にあったことがある。その医療レベルは計るすべがないが、医学教育に力を入れているというのは確かなようだ。この女性は本物のナースなのかコスプレなのかはわからない。
海側に出て、これはモロ要塞。
この風景に異様にマッチするおじさん。
海岸線沿いのマレコン通りの夕暮れ。波しぶきが道にまで溢れてくる。
知らずに立っていると、ずぶ濡れになってしまう。ハバナの有名な光景だ。
夜は古い建物がライトアップされて、また違った雰囲気を醸し出す。
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では、ハバナ旧市街の様子を紹介していきたい。
旧市街の目抜き通り、奥に見えるドームの建物は旧国会議事堂。ワシントンD.C.の連邦議会議事堂を模して作られたそうだ。
ガルシア・ロルカ劇場。
こんなクラシックカーが現役で街を走っている。
ハバナ大聖堂。バロック建築の教会で、左右の塔の高さが異なるのが特徴だそうだ。
中心部から少し離れるとこんな感じ。
ホテルの窓から旧市街を眺めた様子。車好きにこの景色は堪らない。今様なただの古い車、化石の様な車、思わず写真を撮りたくなるクラシックカー、皆普通に走っている。
人力タクシーも一緒に走っていて。
こんな、わけのわからない車まで走っている。何とも面白い。
これが、所謂、化石のような車。現役で走っている。
人力タクシーもひと休み。
このトレーラーのような長い車は?これには驚いた。これは市民の足のバス。もの凄い人数が一度に乗り降りしていた。
では、もう少し市民の生活の姿をのぞいてみよう。下町の住宅街に入っていった。
ハバナ市民は皆、こういったアパートに住んでいる。
バルコニーから生活の匂いがする。
何気にサイドカーが走っていたりする。これも日常の光景。
「ならずもの国家」などと、北朝鮮と同じように言われているが、ここにはゆったりとした時間が流れていて、市民の顔は皆明るい。
こんな下町を一人歩きして、特に危険は感じなかった。アメリカでは考えられないこと。日中の治安は概して良好だ。
バルコニーに干された洗濯物が、何かいい感じ。
バルコニーから何やら声をかけてきたおばさん。
隣のおばさんとバルコニー越しにおしゃべり。
夕暮れ時になってきた。
カストロを称えるペナントが。
街のスーパーマーケットをのぞいてみた。これにはさすがに驚いた。
これは肉売り場。あんまり美味しそうに見えない豚肉が。。。たったこれだけ??
タバコもショーケースの中にこんな感じで陳列されていた。
その隣には、なぜか子供用の歯ブラシが。
リボン飾りも同じようにショーケースの中に。
その隣には何故か、鍵やケーブルも。。。わけがわからない。とにかく物資は不足している様子。何かスーダンの様子が蘇った。
おじいさんと子供たちが何かを楽しんでいる様子。「射的」だ。何だか懐かしい。
バットにグローブ引っかけて、日本では何でもない野球少年の姿。でも、中南米ではすごく珍しい光景。そもそも野球というスポーツがメジャーな国は世界できわめて少ない。中南米でもヨーロッパでも凄くマイナーなスポーツだ。
何といってもメジャーなのは、やはりサッカー。ボール一つで大勢が楽しめるというのが、貧しい国でも受け入れられるのだろう。野球は道具が必要だ。野球で有名なキューバ。これはアメリカの残した大きな遺産だろう。カリブの国では他にドミニカ共和国やオランダ領の島などが有名。ワールド・ベースボール・クラシックでオランダが出てくるが、本国のオランダではなくて、カリブ海のオランダ領の島々の選手達なのだ。
空き地で野球に興じる子供たち。全力で投げて打っている。ボールはどんな球なのと尋ねてみると、なんとガムテープを丸めたモノだった。遊びの知恵というのは凄いと感動した。この中から将来の大リーガーが出るのかも知れない。
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ハバナの観光スポットについてもう少し。観光はキューバの重要な産業、物資の少ない国内事情とは真逆で、贅沢に観光客をもてなす。
キューバと言えば、革命家「チェ・ゲバラ」。彼はアルゼンチン人だが、キューバ革命での活躍とその格好良さから、キューバでは英雄。ちなみに彼は医師でもある。チェ・ゲバラのTシャツはおみやげの定番。自分も買ってしまった。
もう一つ、キューバと言えばシガー、葉巻だ。COHIBA(コイーバ)やパルタガスなど、世界の一級品がここで造られている。自分は既に禁煙していたので、買うことは無かったが、その値段の高さに驚いた。
そして、ラム酒。スペイン語では「ロン」と読む。キューバのロンは何といっても「HABANA CLUB」。自分はロンが大好きなので、その博物館へ行ってみた。
安いモノから、15年以上熟成されたものまで、色んなHABANA CLUBがある。
昔の工場の様子がジオラマで展示されている。
HABANA CLUB博物館の隣にある、バー「DOS HERMANOS」。ここでモヒートを飲んで、格好つけてみる。
現代と昔が入り混じって存在する街、ハバナ。こんな光景は世界中探しても、ここにしかないだろう。島国だからガラパゴス的にこうなったのだろう。奥に見える赤いバーが、有名な「ラ・フロリディータ」
「ラ・フロリディータ」は文豪ヘミングウェイ行きつけのBARとしても、フローズン・ダイキリ発祥のバーとしても有名。
中の様子はこんな感じ。
ヘミングウェイがいつも座っていた、カウンターの一番奥の席には、今もヘミングウェイが座っている。
夜の旧市街はライトアップされて美しい。
キューバの誇るエンターテインメント。夜のハバナを彩る、キャバレーショー。
その二大キャバレーが、「Hotel Nacional de Cuba」と「Tropicana」。まずは「Hotel Nacional de Cuba」から。
ここはホテル内にある屋内ステージでのショー。
ラテン音楽と踊りに酔いしれる。
もう一つのキャバレー「Tropicana」。ここは大きな屋外ステージ。
豪華絢爛とはこのことか、素晴らしい踊り。
物資不足のこの国で、美味しい酒を飲みながら、華麗なショーを楽しむ。このギャップがほんとに不思議。
「Tropicana」のおみやげ袋にはシガーが入っていた。
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車に興味のない人には申し訳ないが、ハバナはクラシックカーの宝庫のような街。ちょいと、街の車の様子について書いてみた。
アメリカの庇護の下、スペインから独立し、その後に車を始めとしてアメリカ文化がどっと入ってきた。そして、1959年のキューバ革命以後、時間が止まっている。
島国であるが故に、1950年代のアメリカ車が今も現役で走り続けている。
その光景が街の様子と妙にマッチしている。
まさに、アメリカン・グラフィティの世界。
こんなタクシーが走っていたり。
きれいに手入れしたオープンカーが走っていたり。
故障して、ボンネットを開けていたりと、ほんとにおもしろい。
きれいに手入れされた車たち。
この時代のアメリカ車はとにかく大きく、派手。
ピンクのタクシー。
リアの形が独特だ。
似ているようで、少し違う。
顔の表情のように、皆違う顔をしている。
この車は特にきれいに手入れされていた。
リアの感じが、また独特だ。
こんな派手な塗装もよく似合う。
車がどんどん大型化していった時代。大きいことがかっこよかったのか。
この辺から、ぼろっちい車たちを。。。フェンダーミラーに何故かベンツのマークが。
モクモクと排気ガスを吐きながら、とにかく、現役で走っている。
これはLADAだろうか?ソ連や東欧でよく走っていた車だ。
ボンネットを開けて、何やら修理している。こんな光景を街のあちこちで見かける。
今の車と違って、何か、愛嬌がある。
瀕死の状態の車も。。。
サイドカーもよく見かける。
こんな感じで街を走っている。
観光用のこんなカワイイのも走っている。
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では、キューバの有名なリゾート地、ヴァラデロへ陸路移動する。
途中に休憩で立ち寄ったドライブイン? 観光客目当ての楽団が演奏を始める。
ヴァラデロは各々のホテルがプライベートビーチを所有していて、人気も少なく、のんびり、ゆったりしている。
まさしく、エメラルドグリーンの海が広がっている。
水の透明度も高い。
ビーチにはこんなみやげ物の出店が出たりしている。
今回宿泊したのはスペインのMERIA系列のホテル、"PARADISUS"。
ヴァラデロのリゾートホテルの中では上の下くらいのクラスだ。
部屋はコテージ風で、中はとにかく広い。
ヴァラデロのホテルはオール・インクルーシブ制がほとんどだ。つまり、ホテル内は飲み食いの他、マリンアクティビティーもすべて無料なのだ。
よく似たシステムの所は他に色々あるが、たいていはアルコールやジェットスキーなどは別料金であったりする。ここでは全て無料だ。しかも、レストランはビュッフェだけでなく、本格的なイタリアン、フレンチ、鉄板焼のレストランがあって、何を頼んでも、何を飲んでも無料なのだ。これには驚いた。
プールもゆったりしていて落ち着く。
ハバナのマーケットの様子を紹介したが、この国は慢性的な物資不足だ。なのに、このヴァラデロのホテルにはモノが溢れている。味の善し悪しは別として、朝食バイキングにはステーキまであって、自分が今までに泊まったどのホテルよりも、豪勢だった。
ジャグジーの後ろにはボトルのシャンパンが冷えていて、それももちろん無料。ほんとに不思議な国だ。
ビーチもこんな具合で、ゆっくりと時間が流れる。
バナナボートなどマリンアクティビティーもすべて無料
ほんとに自分のしたいように楽しめるリゾートだ。
子供達にはこんなアクティビティーも。
口が縛ってあるのが、何ともリアルだ。
院長も昔取った杵柄で、ウインドサーフィンを。
子供はすぐに友達を作れるので羨ましい。
カリブ海のリゾート地では、こんな具合に髪の毛を結ってくれる。後で外すのがたいへん、たいへん。
海辺のチャペルで結婚式が行われていた。何とも贅沢。
日が沈んできた。
のんびりとした雰囲気でのサンセット。
まだ泳いでいる人もいる。
白いチャペルが夕日色に染まってきた。
海に日が沈んでいく。
印象的なサンセットだった。
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キューバへは、コパ航空を利用してパナマを経由したので、帰路の乗り継ぎ時間を利用して少し立ち寄った。
パナマと言えばパナマ運河。スエズ運河と共に、名前だけはよく知っている。そのパナマ運河を見に行くことにした。
海岸線の道路から、パナマシティーのビル群が見えてきた。
新市街は高層ビルが立ち並び、なかなかの都会だ。この国は、パナマ運河のお陰で中継ぎ貿易や金融で栄えており、日系企業も多く進出している。
旧市街はやはりコロニアルな雰囲気。
結構立派な大聖堂
こじんまりとしているが、なかなかいい感じの旧市街だ。
とにかく暑い。人影もまばらだ。日中に出歩く人はあまりいないのだろう。
かき氷の屋台
いろんなシロップがあって美味しそう。灼熱のパナマによく似合ってる。
生活臭のする街並みだ。
これがパナマ運河のミラフローレス閘門(こうもん)。ここにはビジターセンターがあって、パナマ運河の仕組みを学ぶこともできるし、展望台からパナマ運河を通過していく船の様子を見ることができる。
パナマ運河は大西洋と太平洋を結ぶ水路で全長80km。以前はアメリカ東海岸のニューヨークから西海岸のサンフランシスコへ行くのに、南米大陸の南端、マゼラン海峡をぐるりと廻る必要があったが、パナマ運河ができてからは航程が3週間短縮したそうだ。
パナマ運河の幅は約30m、大型の船が壁ぎりぎりに通過する様子が、迫力満点だそうだが、今回は残念ながらこの小型ヨットだった。
船が通過し終わると後ろの水門が閉まる。
パナマ運河の仕組みは閘門(こうもん)式といわれていて、水門を開け閉めすることによって、水位を変えて、船を上げ下ろしする仕組みだ。太平洋と大西洋の水位はもちろん同じだが、パナマ運河自体に高低差があって、海抜26mにあるガトゥン湖まで水位を上げ、また通過後に水位を下げる必要がある。
こんな具合に水門が開閉する。
向かって右の水位の高い方から船がやって来て、3段階で水位を下げていく。
船が通過後に後方の水門が閉まり
徐々に水位が下がっていく。
外の水位と同じになったら、
水門が開いて、
船は無事に閘門を通過して、外に出て行く。
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キューバを紹介したついでに、カリブ海の隠れ家的な島を紹介したい。
サン・アンドレス島というコロンビア領の島だ。本国のコロンビアからは結構離れていて、中米ニカラグアの近くに位置する。
サン・アンドレスは島全体がTAX-FREEとなっていて、目抜き通りには、お酒や化粧品、ブランド衣料品などの店が並ぶ、買い物の島として知られている。
そもそもリゾートとしては開発されておらず、素朴な島だ。有名チェーンのホテルなど無く、島で一番のホテルでもこんな具合で庶民的、ホテルの前の入り江が天然のプールになっている。
桟橋に並んだデッキチェアで、日がな一日のんびり過ごす。
でもここはカリブ海。何でもない入り江なんだが、シュノーケリングでいろんな珍しい魚を見ることができる。"さかなクン"のトレードマークの「ハコフグ」なんかも泳いでいる。
島の周囲にはきれいなビーチがある。
非常に遠浅で、遙か向こうにある岩礁まで、歩いて行くことができる。
島自体は素朴でも、その周囲にはとんでもなく美しい海が広がっている。本当に綺麗なエメラルドグリーンの海だ。
島の近くにある、珊瑚礁でできた小島(ジョニー・キー)に渡るエクスカーション。
簡単な飲食施設があって、ここではシュノーケリングを楽しむ。
透明度の高い海だ。
ビーチに移動して、
のんびりお昼寝タイム。豪華さはないが、素朴でのんびりした雰囲気。
そこで見つけた、おもしろいオバチャン。
スイミングキャップに水中めがねが、なんかおもしろい。なぜかひとりで、ひたすら携帯をいらってた。
しまいには寝てしまった。
ボートで少し沖に出ると、こんな綺麗なリーフが広がっている。
よく見るとエイが泳いでる。
あちこちにたくさん泳いでいる。
野人のようなおじさんが、エイを捕まえて、触らせてくれる。ちなみにエサは肉だった。
もう一つのエクスカーション。Cayo Bolival(カヨ・ボリヴァル)というかなり遠くに離れた小島まで、スピードボートで行くというツアー。
恐らく人生で一番怖い思いをした乗り物であったかもしれない。高波に逆らって飛び跳ねるように高速で突き進む。悲鳴のような声が轟き、数分で限界を感じたが、それが1時間以上続いた。本当に泣きそうになってしまった。
でも、その先には天国のような島が待っていた。
本当に何も人工物のない無人島。
海と空と白い砂浜しかない世界を、しばし楽しんだ。こういった島は、観光ではなかなか行けるモノではない。
ただし、帰りもこの恐ろしいボートに乗らなくてはいけない。
次回からは、メキシコの世界遺産を巡る旅を紹介していく。
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メキシコは世界遺産の宝庫。マヤやアステカ文明の遺跡や美しい海など、見どころ満載の国だ。
今回からしばらく、メキシコの世界遺産を中心に、メキシコの魅力と穴場を紹介していきたい。
首都メキシコシティー、標高2240mの高地にある、ラテンアメリカ最大の都市だ。
旧市街は世界遺産に指定されている。 ソカロ(中央広場)
カテドラル(大聖堂)
国立人類博物館。自分は美術館や博物館にはあまり興味が無いのだが、この博物館は結構おもしろかった。
古代宗教都市遺跡、テオティワカン。月のピラミッド
太陽のピラミッド
"メキシコで一番美しい街"といわれるグアナファト
銀山で栄えた街で、スペイン植民地時代の美しいコロニアル建築で有名で、世界遺産に登録されている。
地下道の発達した、おもしろい街でもある。
マヤ文明の遺跡、古代都市チチェン・イッツァ(世界遺産)。
神秘的なピラミッドだ。
ジャングルの中の都市遺跡、ウシュマル(世界遺産)
丸みを帯びたピラミッドが特徴だ。
遺跡の住人、イグアナも登場。
夜のライトアップショーは、また違った魅力がある。
カリブ海に面した城塞都市遺跡、トゥルム
青い海とのコントラストが美しい。
メキシコ観光の穴場、HOLBOX(ホルボッシュ)島。エメラルド色の海に囲まれた、素朴な島なのだが。
この島の周辺は、ジンベイザメが集まってくる、世界有数の場所として有名だ。
シュノーケリングでジンベイザメと泳ぐことができる。ほんとに大迫力だ。
メキシコから一旦グアテマラに移動して、マヤ文明の都市遺跡、ティカル(世界遺産)を紹介する。
鬱蒼としたジャングルの中にあり、マヤ遺跡の中では、群を抜いたスケールと神秘さを持っている。
最後にビーチリゾートのカンクンに戻って。(写真は院長)
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まずは首都のメキシコシティーから紹介していこう。
ラテンアメリカ最大の都市で、標高2240mの高地にある。地形が盆地状になっており、以前は大気汚染で悪名高かったが、自動車の排ガス規制が進んだお陰で,今はだいぶ改善されているようだ。
街には高層ビルと古い街並みが混在している。
旧市街は世界遺産に指定されている。
街のシンボル、大聖堂。アメリカ大陸で最古かつ最大の大聖堂だそうだ。貫禄のある教会だ。
中はいたってシンプルで上品だった。
祭壇は重厚感のある造りだ。
大聖堂は"ソカロ"と呼ばれる中央広場に面している。
ソカロは歴史的にメキシコの政治的、宗教的中心となってきた。正面は国立宮殿(大統領府)だ。
宮殿内の壁には、ディエゴ・リベラの壁画『メキシコの歴史』が描かれている。
階段を上りながら見ていく。壮大なスケールの壁画だ。
ソカロから一歩街中へ入っていくと、そこは中南米独特の街並み。
何かゴチャゴチャしていて、危険な香りがして、でも、何か明るくて楽しい雰囲気だ。
日用品の商店が中心で、大したものを売っているわけではないのだが、自分はこの雰囲気が結構好きだ。
民族衣装で焼きトウモロコシを売ってるオバチャン。
プロレスはメキシコの国技とも言われる人気スポーツ。露店でプロレスのマスクが売られていた。
自分は美術館や博物館に、あまり興味がある方ではないのだが、リマの天野博物館と、この国立人類学博物館は、本当に印象深い博物館だった。
各文明毎にセクションが別れて展示されている。ここは第7室、メヒカ(アステカ)の部屋。一番奥の丸い石が有名なアステカ・カレンダー「太陽の石」。
この何とも奇妙な石像は、大地の女神、コアトリクエ。蛇のスカートをはき、頭は2匹の蛇が向かい合った顔をしている。
これはジャガーの石像。なんか、かわいく感じてしまう。
この何とも。。。なのは「死の神の司祭」。どうしても股間に目が行ってしまう。
この何か怖そうなのは、ショチビリという「花の王子」なのだそう。イメージと名前が全く違う。。
テオティワカンのセクションにある、ケツァルコアトル神殿のレプリカ。
テオティワカンの月の神殿の前に建っていたという「水の女神像」
オルメカの巨大人頭像
花の形や唇の辺りが、黒人の様な顔つきに見える。これも謎。。
こんな具合に発掘されたのだそうだ。
チャクモールと呼ばれる人物像で、真ん中の皿のような場所に生け贄を供えたらしい。
ここからはコミカルな土偶の数々。ほんとに見ていて飽きないし、謎がいっぱいだ。
豊穣のシンボルである女性の土偶
ペルーでも似たような土偶を見たような。
「アクロバット像」と呼ばれる土偶だが、なんか人を馬鹿にしたような顔つきがおもしろい。
退屈そうにも見える。
高嶋政伸に似ている。
何とも芸術的な、阿修羅男爵のような顔面像。
これはいかにも東洋系の顔つき。
何でこんな古代に中国人が??と考えてしまう。
これはどうみても相撲の力士に見える。
まわしをしめているようにも見える。そもそも原住民の体つきではないような。。。
この博物館ではほんとに、何で??と思うようなことにいっぱい出会える。記憶に残る博物館だ。
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メキシコシティーの北東50kmに世界遺産「テオティワカン遺跡」がある。
テオティワカンは紀元前2世紀から6世紀頃まで存在したといわれる、テオティワカン文明の巨大な宗教都市遺跡だ。ピラミッドが見えてきた。
メキシコといえばサボテン。
地元の小学生達が遠足に来ていた。
これが「太陽のピラミッド」。
「太陽のピラミッド」を裏側から。
このピラミッドは、非常にいい状態で保存されている。
「月のピラミッド」側から、「太陽のピラミッド」を望む。右側の通りは「死者の大通り」。
もう少し寄ってみると。
このピラミッドは頂上まで登ることが出来る。高さは65 mだが、元々2300mの空気の薄い中、この登りは結構きつい。
頂上が遙か彼方に感じる。
頂上から「月のピラミッド」を望む。
少しずつ寄ってみて、
これが「月のピラミッド」。頂上付近がかなり崩れている。
真下からの「月のピラミッド」。
「月のピラミッド」は途中まで登ることが出来るが、これもかなりの急勾配。
途中から頂上を望む。
「月のピラミッド」の上から、「太陽のピラミッド」と「死者の大通り」。
下りもかなりの急勾配で、鎖を持ちながら下りていく。
ケツァルパパロトルの宮殿の、ジャガーの壁画。
ケツァルパパロトルのレリーフ。
ケツァルコアトル神殿
ケツァルコアトル(鳥と蛇の合体)のレリーフ。
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今回はメキシコシティーの北西370km、メキシコで一番美しい街と言われている、グアナフアトを紹介する。
グアナフアトまではバスで約5時間。座席はゆったりして、リクライニングできる、中々快適なバスだった。
途中、メキシコシティーの郊外を抜けていく。これは車のパーツ屋さん。ビートルのボディー部品などが山積みされている。何ともメキシコらしい光景。
グアナファトに到着。街を見下ろすように、ピピラの丘と呼ばれる、小高い丘が街の正面にある。
丘の頂上へは、年季の入ったケーブルカーで登っていく。
丘の上からは街が一望できる。この街は銀山で栄え、一時は世界の銀の3分の1を産出していたと言われる。スペイン植民地時代のコロニアル建築が美しく、世界遺産に登録されている。
カラフルに彩られた家がこの街の特徴。
正面の緑のスペースは公園だ。木々が屋根のように茂っていて、その下で人々は思い思いの時間を過ごしている。
街中の様子。
テアトロ(フアレス劇場)だ。
少し横道にそれると、こういったいい感じの空間がある。
ヨーロッパ調の美しい街並みだ。中南米特有のごみごみした感じがなく、スッキリしている。
これはグアナフアト大学、1732年にイエズス 会によって設立された、歴史的にも有名な大学。この階段やフアレス劇場を利用して、国際セルバンテス祭が毎年行われている。
エストゥディアンティーナという、中世スペインの学生服を来て、セレナータを歌いながら夜の街を歩く楽団。ちなみに「エストゥディアンテ」とは「学生」の意味。
カラフルな住宅街を歩いてみた。
山肌に沿って街が広がっているので、坂の小道が多い。
これは動物病院。看板がいけてる。
この街のもう一つの特徴は「地下道」。街のいたるところに、こういった「地下道」への入口がある。
「地下道」といっても単純な地下通路ではない。
地下に石畳で出来た、自動車用の交通網が整備されている。
基本的には自動車用だが、ところどころ歩道もある。
この街でもう一つ有名なのが、このミイラ博物館(Museo de las Momias)。
この地の特殊な土壌と乾燥した気候で、普通に埋葬したらミイラ化するのだそうで、100体近くが展示されている。
服を着たままのミイラもあって、凄くリアル。一見の価値有り。
商魂たくましく、お土産にミイラの形をした「ミイラ飴」が売っていた。
街の胃袋、イダルゴ市場。中々立派な建物だ。
教会風の建物の中には色んな店が出ていて、人でごった返していた。
色とりどりの果物。
カモテといわれる、サツマイモの原種の料理。
トウモロコシの屋台
双子の目玉焼きが2つ。これは珍しい、
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では、いったんメキシコシティーへ戻って、ユカタン半島のリゾート地カンクンへ空路移動。そこからマヤの遺跡をレンタカーで巡る旅をスタート。ユカタン半島は世界遺産の宝庫だ。
まずは、カンクンから一番近い、チチェン・イッツァ 遺跡(世界遺産)へ。カンクンから車で2時間半程度だ。
「カスティーヨ」(スペイン語で城の意味)と呼ばれるピラミッド。高さは24メートルあり、最上段に神殿がある。
保存状態のいい、立派なピラミッドだ。でも、本来はジャングルの中にあったはずで、観光用にあまりにも整然と整備されているのが残念と言えば残念だ。この辺の雰囲気は、今後紹介していくウシュマル、ティカルのピラミッドを見ると、本来の姿が見えてくると思う。
ピラミッド北面の最下段に、ククルカンという羽毛のある大蛇の姿をした神の頭がある。頭だけがあることに意味がある。
ピラミッドの4面には9段の階層があり、各面に91段の階段があって、最上段の1神殿の一段を足すと、4 X 91+ 1 = 365段となり、暦をあらわしていることになる。
春分の日と秋分の日の日没時、西日がピラミッドの階段側面に影をつくり、その陰がククルカンの頭とつながって、大蛇が姿を現す。9段の階層が作る影が、あたかも身をくねらせる胴体の様に見える。この現象は「ククルカンの降臨」と言われ、これを見るためにこの時期には大勢の観光客が押し寄せるそうだ。その様子はYoutubeでたくさん紹介されているので、一度見ていただきたい。
こういった自然現象も計算に入れて建造されているわけで、この文明が非常に高度な天文学を持っていたことがわかる。
ピラミッドの下で、パン!パン!と手をたたくと、ピラミッドにこだました音が、ピューン!ピューン!と電子銃のような音で返ってくる。これも面白い現象だ。これも計算されたモノなのだろうか。
遺跡の中を散策する。これは高僧の墓。やはり階段の最下段にククルカンの頭がある。
戦士の神殿と 千本柱の部屋
これは何のために造られたのか。。
金星の台座。
カラコル(かたつむり)と呼ばれる天文台。
これは尼僧院。
こんなところにも、チャクモールが(生け贄を乗せる台座)。
イグアナに遭遇。
何か、遺跡とイグアナが妙にマッチしている。
こんな蛇にも遭遇。
セノーテといわれる「聖なる泉」。ユカタン半島に多数見られる、石灰地層が作る自然の井戸の様なもの。
このセノーテはマヤの遺跡では最大のものであるらしい。
遺跡内にある、土産物の露店。
何処も同じようなものを売っているのだが、見ていて結構楽しい。
仮面は特に面白かった。
何処にでもある、パチモン。
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次はユカタン半島を西へ移動して、マヤ文明が最盛期にあった7世紀から10世紀にかけて繁栄した古代都市、ウシュマル(世界遺産)へ。
ウシュマルといえば、この「魔法使いのピラミッド」。
魔法使いが暖めた卵から生まれた小人が、一日で造ったと言われる。角が丸いのが特徴だ。マヤの数あるピラミッドの中でも、この丸いピラミッドは珍しい。
他のピラミッドと同様に、上部に神殿がある。
高さ36.5メートルの巨大なピラミッドだ。
側面から。
こちらが正面らしい。
尼僧院の方角から、ピラミッドをのぞき込む。
ピラミッドと他の建造物が繋がっている構造というのも珍しい。
少し離れて見たら、こんな感じ。
この遺跡の特徴である、プウク様式といわれる、ブロックを組み合わせた幾何学模様。
雨の神「チャック神」。雨の少ないこの地方では、この雨の神を崇拝したらしい。
これはウサギ??
途中で毛のない犬に遭遇。このあたりでは「アステカ犬」と言うらしい。同じような犬がペルーにもいるが、ペルーでは「インカ犬」と言われる。体温が高く、抱くと暖かいので、暖房代わりに重宝されてきたとのことだ。
高台よりピラミッドを望む。
ジャングルから頭が飛び出したピラミッド。これが本来の姿なんだろうと思う。
アーチから「尼僧院」の中庭をのぞく。
中庭の四方に特徴的な建物があるが、保存状態はあまりよくない。
上方から「尼僧院」の中庭を望む。
「総督の館」。上部の壁面が見事なモザイクで出来ている。
壁だけが残っている、「鳩の家」。
やはり、マヤの遺跡にはイグアナがよく似合う。
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強い日射しの中での日中の見学を終え、一旦ホテルに戻って、夕暮れ時に再び遺跡に戻る。
夕暮れ時の「魔法使いのピラミッド」
こういった大きな遺跡は、日の出と夕暮れ時が、日中とはまた違った姿を見せてくれる。
これから「音と光のレーザーショー」が始まる。
尼僧院の中庭を見下ろす高台に、座席が用意されている。
エジプトのピラミッドでも、同様のレーザーショーがあった。現地に宿泊しないと見ることが出来ない。
当時は儀式の折りに、松明で照らしたのだろうか。
光りが当たると、レリーフやモザイクがより鮮明に浮かび上がってくる。
どんどん日が暮れて、真っ暗になっていく。
音楽に合わせて、ライトアップが変わっていく。
暗闇の中に、遺跡だけが浮かび上がる。
「魔法使いのピラミッド」もライトアップされている。
最上段の神殿が照らされ、階段の一段一段が、日中よりもよりはっきり見える。
何とも幻想的だ。
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メキシコのユカタン半島を、マヤの遺跡を巡って移動してきたが、最大規模のマヤの遺跡はメキシコではなく、隣国グアテマラにあった。一旦カンクンに戻り、空路グアテマラの都市、フローレスへ移動した。
鬱蒼としたジャングルの中に、マヤの最大の神殿都市、紀元4世紀から9世紀頃にかけて栄えた、世界遺産"ティカル遺跡"はあった。
今まで見てきたマヤの遺跡とは異なり、ティカル遺跡は、自然に近いままの姿で発掘されていた。
グランプラサ(大広場)から見たI号神殿。
I号神殿、別名ジャガー神殿。
ティカル遺跡にはいくつものピラミッドがある。
グランプラサ(大広場)の北側に、北のアクロポリスと呼ばれる神殿群がある。
正面から見た、北のアクロポリス。
グランプラサ(大広場)を挟んで、I号神殿の正面にII号神殿がある。
IV号神殿に上り、ティカル遺跡を見下ろす。
ジャングルから突き出た神殿の先。左奥がI号神殿、次がII号神殿。右端がIII号神殿だ。
V号神殿。
なかなか立派で、きれいなピラミッドだ。
発掘される前はこんな感じであった。
このV号神殿には登ることができる。
ピラミッドの横には、かなり急な階段がついてあり、これを登っていく。
結構キツイ。
V号神殿の上から見下ろした景色。
右端がI号神殿。ここからは少し異なった角度から、神殿群を見下ろすことができる。
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翌朝、朝焼けのティカルを撮影しようと、早朝から出かけた。
ピンぼけで残念だが、月と1号神殿。
朝霧に包まれたティカルは幻想的で、これはまたいい感じ。
IV号神殿に登っては見たけれど、一面モヤに包まれていた。
少し晴れてくると、ジャングルの中から突き出た、神殿の尖端が見えてきた。
こんな日は観光客も少ない。現場で遺跡の修復作業をしているおじさん達と仲良くなってしまった。ティカル遺跡には日本政府からの文化無償資金協力が行われていることもあって、日本人と聞くと、えらく好意的に接してくれる。
ティカル遺跡付近には宿泊施設が少なく、遺跡内に数カ所あるだけだ。今回の宿は「TIKAL INN」
このホテル、夜は早くに電気が切れると書かれていたので心配していたが、なかなか雰囲気の良い、素朴なホテルだった。
緑で覆われた、神秘的な「7つの神殿の広場」。
まだ半分埋もれている遺跡。
「失われた世界:ロストワールド」の神殿。
この神殿は登ることができる。
ハナグマの一種。遺跡内には多くの野性動物が生息している。ライオンの声の様に吠える、サルの雄叫びがこだましていた。
今回訪れたマヤのピラミッド遺跡の中では、やはりティカルが断トツにすばらしかった。
ここから空路、再びメキシコのカンクンへ戻る。
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マヤ遺跡巡りの最後は、海辺の城塞都市、トゥルム遺跡を紹介する。
カンクンから海岸沿いを車で走ること2時間弱で、トゥルム遺跡に到着。
ジャングルのピラミッド遺跡を立て続くに見て、少々食傷気味であったところに、海辺の遺跡は新鮮だ。
輝く太陽、青い海、青い空、緑の大地と遺跡のコントラストが美しい。
ジャングルの遺跡とは違って、明るく開放的な空間を歩いて行く。
海風の影響か、遺跡の保存状態はあまり良くない。
遺跡の中央にある大宮殿。左後方は「エル・カスティージョ(城)」だ。
大宮殿を別角度から。
左端が「降臨する神の神殿」、中央が「エル・カスティージョ(城)」
ビーチと断崖絶壁にある遺跡のコンビネーションがすばらしい。
遺跡にあるみやげ物屋。入口には「チャックモール」が。
遺跡内のATM。遺跡に調和するようにうまく工夫されている。
今回利用したホテル、Hotel Cabanas Luna Maya。素朴な海辺に面したホテルだった。
マヤの遺跡シリーズはこれで終了。次回は、ジンベイザメと泳げる島へ向かう
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メキシコ旅行を計画している時、カンクンの近くにジンベエザメと泳げる島があるとの情報を得た。調べてみると、ジンベエザメが産卵のために集まってくるポイントだそうで、世界でもフィリピンとここの2カ所しかないそうだ。是非行ってみたくなった。
ユカタン半島の素朴な景色を見ながら、カンクンから車で3時間ほどでCHIQUILLA(チキーラ)の港に到着。そこからフェリーに乗って、今回の目的地、HOLBOX(ホルボッシュ島)へ向かった。
本当に何もない、素朴な島だ。エメラルドグリーンの海、あまり見たことのない美しい色だ。
地元の人達ものんびりムード。
島の交通手段はタクシーではなくて、このカートだ。
ゴルフ場のカートといった感じ。
こんな感じで、カートタクシーはビーチを走っている。
緑の海と白い砂浜しかない素朴な景色を見てると、本当に癒される。
今回の宿はVillas Delphines。
海側から見たホテル。
素朴なバンガロータイプのホテルだ。
バンガローにはコテージがついていて、
ハンモックでのんびりすることも出来る。
人影はほとんど無く、プライベートビーチのようだ。
ここのサンセットは格別。
カートも妙にマッチしている。
いよいよ明日はジンベエザメに会いに行く。
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翌朝ボートに乗り込み、いよいよジンベエザメに会いに出発だ。
エメラルドグリーンの海を沖へ向かっていく。
沖に出ると海の透明度は落ち、濁ってきた。ジンベエザメのエサであるプランクトンが豊富ななのだろう。
なんか鮫のようなひれが見えた。ジンベエザメだ。
ちなみにジンベエザメは英語では「Whale shark」と書く。つまり「クジラのような鮫」。最も大きな鮫であり、最も大きな魚だ。
背びれだけを見ていると、大きな鮫が近づいてきたのかと思ってしま。
ボートを怖がることもなく、大きな口を開けて近づいてくる。
この大きな口から海水を大量に取り込んで、プランクトンを濾し取ってエサにするらしい。
いよいよジンベエザメとのランデブーに出発。
ぷかぷか浮いていると、ジンベエザメの方から近づいてくる。
手を伸ばせば、ジンベエザメに触れる。
あっちからもこっちからも、どんどんジンベエザメが集まってくる。
巨大なジンベエザメが自分たちに向かってくる。これは凄い!
潜って水の中から見てみると、その大きさに圧倒される。遠いところを来てよかった。これは一見の価値がある自然のアトラクションだ。
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メキシコシリーズの最終回は、有名なリゾート地、カンクンビーチ。
メジャーな観光地ではあるが、海はきれいだ。
今回宿泊したのは「Marina El Cid Riviera Maya Spa & Beach Resort」。カリブのリゾートホテルに多い、All inclusive タイプのホテルで、宿泊費に全ての飲食代、マリンアクティビティー料金などが含まれていて、施設内ではすべて無料というシステムだ。日本のリゾートホテルのように、お酒や一部のアクティビティーは別料金などという野暮なことはない。ホテル内にはいくつもレストランがあって、レストランではアラカルトやコース料理も注文でき。何を飲んでも無料だ。
下の娘とシーカヤックに挑戦。もちろんこれも無料。
エメラルド グリーンの海を、の〜んびりと。
ホテルのビーチはほとんどがプライベートビーチ。オンシーズンでも混雑することはない。
院長も昔取った杵柄で、ウインドサーフィンを。
カリビアンヘアーに編み上げてくれるサービスもある。ビーズの色も好きなように選べる。
カンクンの市街地、青い空と白い建物のコントラストが美しい。
カンクンの夕日。
そんなこんなでメキシコ編は終わりにしたい。
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再び南半球に戻って、今回からは、改めてイースター島をシリーズで紹介していきたい。
イースター島は南太平洋の孤島。チリ領なのだが、首都のサンチャゴから空路6時間近くかかる遠い島だ。オランダ人がイースター(復活祭)の日に発見したので、この名前が付いたそうだ。ちなみにスペイン語では「Isla de Pascua (イスラ・デ・パスクゥア)」、現地の言葉では「ラパ・ヌイ」と呼ぶ。
イースター島へのフライトはラン・チリ(LAN)航空がサンチアゴからとタヒチのパペーテから定期便を就航している。
基本的に日本からは、アメリカの主要都市を経由してサンチャゴに入り、乗り継いでイースター島へ向かうのが一般的だ。
チリという国は、ドイツ系移民が多い影響なのか、ラテンの国の中では異質にきっちりしている国で、このLAN航空も意外と信頼性の高い航空会社だ。海産物も豊富で、ペルーで食べる寿司ネタのウニやサーモンはチリで採れる。また、日本企業が「和牛」も飼育しており、食材は非常に豊富な国なのだが、食事は残念ながら概して不味い。それもドイツの影響なのか?
サンチャゴ空港のマッサージチェアでちょっと一休み。
イースター島が見えてきた。
浜辺が少なく、断崖絶壁の孤島であることがわかるだろうか。
素朴な空港に無事着陸。
空港にもモアイのレプリカが建っている。
のんびりと歩いて入国審査へ進んでいく。
ターンテーブルの前で荷物を待っている様子。麻薬犬が荷物をチェックする。
この係官のように、原住民の人はチリ人というよりも、南太平洋のポリネシア人だ。
空港の壁には独特の絵柄が描かれている。
今回の宿は、島で唯一の日本人ご夫婦が働かれている、Taha Tai Hotel。
海辺に面した、居心地のいいのんびりとしたホテルだ。
庭にはあまり見たことのない、不思議な植物が生えている。
美味しかった、ちぎって食べれるパイナップル。
島内に公共交通機関はなく、ツアー会社の車かレンタカーが足となる。今回は自分たちのペースで島を巡りたかったので、このジープをレンタルした。日本車だ。
街の中心部の様子。ここにもモアイのレプリカが。。
街のレストランへ食事に。
チリの食事は不味いと書いたが、ここイースター島の食事は意外といける。マグロなどの魚介類を美味しく調理してくれる。
これはマグロのタルタル。結構美味しかった。
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イースター島は周囲約60km、北海道の利尻島とほぼ同じ大きさだそうだ。島には三つの休火山がある。
今回巡った島内の遺跡を地図で示してみる。島内唯一の村が青丸で示したハンガロアで、宿泊施設やレストランはこの地域にある。ここから島内をレンタカーで巡る。
まずは島の最南端にあるオロンゴ岬へ。岩には文字のようなものが彫られてあり、眼下に見える島ではかつて鳥人儀式「鳥人レース」が行われていた。ここから岩山を駆け下り、海を泳いで、島に飛来する海鳥の卵を採って帰ってくるという過酷なレースであったらしい。勝った部族の長が1年間島の長となるというものであったらしい。
反対側にはラノカウ火山の火口湖が拡がっている。
湖面と海とのコントラストが美しい。
片手にビデオ、片手にカメラのいつもの姿。
次は「アナカイタンガタ」という洞窟へ。
波打ち際にぽっかりと空いた自然の洞窟だ。
断崖絶壁を階段で下りていく。
洞窟の入り口だ。
洞窟から海を見た様子。
洞窟内には鳥の壁画がある(これが有名らしい)。「アナ・カイ・タンガタ」とは「食人洞窟」という意味らしく、鳥人レースの勝者が敗者を食べる「食人儀式」が行われたといわれる洞窟なのだそうだ。
何とも荒々しい景色だ。
この島が絶海の孤島であるということがわかる。
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では、これからいろんなモアイ像を紹介していきたい。
まずはモアイの製造工場として知られる、ラノ・ララクから。
ラノ・ララクの山が見えてきた。この山でモアイが造られ、運び出されていった。
山肌に近づいていくと、斜面にポツポツと立つ物体が見える。
ここがラノララクの入口だ。ここから山を登っていく。
緩斜面に無造作に立つ物体。モアイだ。
間隔も、向きもばらばらだ。
倒れているモノもある。
道しるべのようになっているモアイもある。
ここのモアイには帽子が乗っていない。帽子は別の場所で造られたからだ。
山の斜面から見下ろすと、島の地平線が拡がる。何とも荒涼とした景色だ。
その先には紺碧の海が拡がっている。
これがモアイの制作現場だ。
斜面の岩肌を彫ってモアイを製造していく。
できたモアイは斜面の傾斜を利用して、下に運ばれていくというシステムだ。なるほど。
モアイはみな少し違った顔をしている。これが何とも癒し系で、ずっと見ていても飽きない。
見る角度によっても違ってくるし。
陽の当たり方によっても違ってくる。
同じモアイでも、朝夕とでは違う顔をしているし、晴れた日と雨の日では全然違う顔をしている。
顔の長い、典型的なモアイ。
顔の短いモアイもある。」
倒れかけ、寸止めのモアイ。
うなじがかわいいモアイ。
何とも落ち着いた光景だ、
あごの張った、男前のモアイ。
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ラノ・ララクのモアイの風貌をもう少し。みんな、それぞれに個性がある。
何か男前なモアイ。
のっぽなモアイ。
見る角度によって、雰囲気が変わる。
この角度からみると、何かを訴えかけているような、悲しい感じがする。
かなり朽ち果てたモアイ。
倒れてしまっているものもある。
何のために造られたのか?
前倒れのモアイは、何か悲しい。
朝と夕の陽の当たり方によっても表情を変える。
同じ顔が二つ。
影が伸びてきた。
モアイの後ろ姿は、何か哀愁を感じる。
海辺に15体のモアイが見えてきた。トンガリキのモアイだ、
ここのモアイは唯一、海を背中にして立っている。
荒波の前のモアイもいい感じだ。
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当院ホームページの院長プロフィールに使っている写真。後ろに並んだ15体のモアイがトンガリキのモアイだ。
アフ・トンガリキの標識のそばには、何か古びたモアイが立っている。どこかで見たような。。。
「千と千尋の神隠し」の「カオナシ」みたいなモアイが荒涼とした原野にポツンと立っている。
トンガリキのモアイ。大小15体のモアイが海に背を向けて並んでいる。
島内には色んなモアイがあるが、海に背を向けて立っているのは、ここトンガリキだけだ。
ここにも倒れたモアイが一体。
この15体のモアイには日本の技術が深く関わっている。
香川県にある「タダノ」というクレーン会社が自腹で、倒れたモアイを起こし、修復するというプロジェクトを1991年に立ち上げた。
台座の上に整然と並んだモアイたち。このトンガリキのモアイは日本との友好のシンボルだ。
今ではイースター島で一番のシンボルになっている。
こんな具合に、手乗りモアイ。
初日の出の様子を何枚か。
島の方角から、日の出はトンガリキ、夕日はタハイが美しい。
海と雲と太陽が織りなす、早朝のスペクタクルショーだ
日が昇ってきた。
モアイ達がご来光を拝んでいるようだ。
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では、島内の色んなモアイを巡って行きたい。
まずは「アフ・アカハンガ」。ちなみにアフとはモアイが建つ祭壇のことだ。
といっても、ここのモアイは建っていない。というか倒されている。
部族間の争いで起こった「モアイ倒し戦争」で、島内の多くのモアイが倒された。
モアイの目には霊力が宿ると考えられていたため、皆、うつぶせに倒されている。
モアイの帽子(プカオ)だけがポツンと残されている、
何か寂しい光景だ。
次はアフ・アキビのモアイ達。
7体のモアイが丘の上の祭壇に整然と並んでいる。
ほとんどのアフ(祭壇)が海辺にあるのに対して、ここの祭壇はかなり内陸にある。
トンガリキのモアイとは違って、皆、顔がよく似ている。
ここのモアイも海の方角を向いている、数少ないモアイだ。
次はモアイの帽子(プカオ)の製造工場である、プナパウだ。
このあたりでとれる赤い岩でプカオが造られた、今も主のないプカオだけが散乱している。しかし、モアイ本体の製造工場であるラノ・ララクからは10数キロ離れており、何でこんな離れたところで造ったのかも不思議の一つだ。
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お次は海辺にある、アフ・ビナプへ移動。
転がっている赤いプカオ(モアイの帽子)が何かもの悲しい。
ここのモアイも全て倒されたままだ。
プカオだけが主から離れて転がっている。
紺碧の海だ。
イースター島周辺は波が高い。
空港ではサーフボードを持ち込む観光客を多く見かけた。モアイ見学ではなくて、サーフィンをする目的でこの島にやって来るようだ。
波しぶきが豪快だ。
次はイースター島では珍しい、海水浴のできるビーチ、アナケナ・ビーチだ。
きれいな白砂のビーチに青い海、人影もまばらで、最高のムードだが、日陰がどこにも無い。ここで遊ぶのには、かなりの日焼け対策が必要だ。
椰子の木が植えられていて、南国ムード満点だ。
このビーチのアフにもモアイがいる。
アフ・ナウナウのモアイだ。7体のモアイが海を背にして立っている。
そのうちの4体はプカオを載せている。
少し離れて、ちょっと変わったモアイが立っている。
ホツ・マツア王のモアイだ。
最初にこの島へ渡ってきたホツ・マツア王が、このビーチから上陸したと言われている。
島には牛が放牧されている。
次はアフ・テピトクラへ
この倒れているモアイは島内で唯一名前が付いていて、「パロ」と呼ばれる。アフに立っているモアイでは、一番大きなモアイらしい。
この近くに、テピト・オテヘヌア(地球のへそ)と呼ばれる丸い石が置かれた"パワースポット"がある。この石の上にコンパスを置くと針が回るそうだ。。。またこの石に額をつけて願いごとを念じると叶うらしい。
充電できるとでも思っているのだろうか?携帯電話を置いている人がいた。娘達は頭が良くなるようにと、石に額を付けていた。
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サーフィンなどの目的で訪れる場合を除いて、この島では、モアイを見ること以外にすることがない。
オプショナルツアーが充実しているわけはなく、レンタカーやレンタサイクル以外に移動手段がない。
そこでおすすめなのが、この"乗馬ツアー"だ。
乗馬体験などという甘い代物ではない、各自が馬に乗って、半日かけて島を巡る。
馬は躾けられているので、コースを大きく外れることはないが、それでも乗り手の動きに反応するので、かなりスリリング、おまけにこのコースがアップダウンに富んでいる。
ちょいと一服。おしりが痛くなってきた。
通常の観光では行くことのない、変わった場所にも連れて行ってくれる。
これは海辺の崖に連なる洞窟だ。真っ暗な中を恐る恐る這うように進んでいくと、光が見えてきた。
そこは断崖絶壁だ。
ツアーも終盤、道路に出てきた。
そろそろ夕暮れ時が近づいてきた。
後ろにハンガロアの街が見える。
最終目的地のタハイに到着だ。ここの夕日は絶品なのだ。
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イースター島の最後は、夕日の美しさで有名なタハイから。
タハイには3つのアフがあり、向かって右端にあるのがアフ・コテリクのモアイ。島内で唯一、目が入っているモアイで、帽子(プカオ)を載せている。目が入ることで、今まで見てきたモアイとは何か違う感じがする。
向かって左端がアフ・バイウリで5体のモアイが並んでいる。
アフ・バイウリの右に一人立っているのが、アフ・タハイのモアイだ。
これら3つのモアイと海と夕日が、格別なサンセットを見せてくれる。
バックの船がまたいい感じを醸し出す。
空がだいぶ赤く染まった。
日が沈んでしまった。空の色がどんどん変わっていく。
少し違った角度から。
夕日がモアイに反射する。
どこから見ても美しい景色だ。
少し引いてみる。
アフ・タハイのモアイから。
波が結構激しく打ちよせる。
空が輝いている。
アフ・コテリクのモアイから。
二つのモアイを入れて。自分はこの方向からの景色が一番気に入った。
モアイをバックに日が沈んでいく。
雲の様子がめまぐるしく変わっていく。
少し角度を変えて。
日が沈んだ。サンセットショーの終了だ。
船の明かりが、なんかしんみりとしていい感じ。
モアイの上と月と星。
イースター島は本当にモアイしかないような島だ。「モアイだけしかない」と否定的な感想を言う人もいるが、ゆっくり滞在して、島の風景や自然と共にモアイを見て欲しい。自分は滞在中にラノ・ララクに何度も足を運んだ。
日の当たり方によって、朝と夕方の風景が全く違うのだ。日中にさらりと見て終わりではあまりにもったいない。アナケナ・ビーチで海水浴なんてのもいいのかもしれない。馬での散策は特にお勧めだ。チリの食事は概して美味しくないのだが、イースター島の食べものは比較的美味しいので、是非、ゆっくりとした日程で訪れて欲しい。
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帰りに立ち寄った、サンチャゴの街と近郊のワイナリーを紹介する。
サンチャゴには主に仕事で、かれこれ18回程訪れた。サンチャゴは立派な近代都市だ。南米の都市の中では治安も比較的いい。ただし、正直なところ観光的な魅力は。。。だ。
奥に見えるのは旧市街のシンボルである大聖堂だ。
左奥の立派な建物は中央郵便局。
モネダ宮殿、現在は大統領府として使用されている。サンチャゴ旧市街はこんな感じで、南米他国の旧市街と比べると、やはり見劣りする。
サンチャゴ市内にも一体、本物のモアイ像がある。イースター島から持ち出されたモノらしいが。本場で見てきた後では。。。
チリと言えば、やはり"ワイン"。安くて美味しいワインが楽しめる。ワイナリー見学はお勧めの観光コースだ。今回はサンチャゴから車で45分ほどの"Santa Rita" ワイナリーを紹介する。調べてみると、ここSanta Rita のワインは、日本ではサッポロビールが販売している。
荘園風の建物で、「Casa Real」というホテルを併設している。中庭には花がいっぱいだ。
実際のブドウ畑はこんな感じ。
これが、ワイン用のぶどうだ。果物として食べるブドウとは少し違う。
ツアーでワイナリー内の作業工程を見学できる。これは昔使用していた、ブドウを絞る装置だそうだ。
現在の近代的な設備。
ここで樽に詰め替えられる。
樽の貯蔵庫。
実際にはこんな感じ。
ワインボトルが積まれていた。
このワイナリーにはレストランがあって、ここで料理と共にここのワインが色々楽しめる。そして気に入ったワインを買って帰るという仕組み。料理も美味しく、雰囲気も非常によかった。見どころの少ないサンチャゴで、お勧めの観光スポットだ。
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もう一つ、サンチャゴ近郊の観光ポイント紹介したい。サンチャゴからバスで2時間程度、海辺の街、バルパライソだ。
どこか、タイムズスクエアに似ているような。。。
なぜか、トロリーバスが走っている。
カラフルな家があったりと、どこか小粋でアートな街だ。2003年に世界遺産に登録されている。
何でもない家がパステルカラーにペイントされている。どこか、ブエノスアイレスのボカ地区、カミニーニ似ている。
これも小粋??
この街は、海辺から続く丘にまで家が密集している。丘の上から眺めると、アートな家と近代ビルが混在していて、なんか面白い。
丘の上から海を見下ろしていると、何やら厳つい船団が。。。
軍艦だ!あまりこういった光景を見ることはない。バルパライソはチリ海軍の軍港としても有名なのだ。
バルパライソは丘の街。住人の足として、アセンソールと呼ばれる、ケーブルカーのような乗り物があちこちにある。
どこか、ポルトガルのリスボンに似ている。
これがアセンソール乗り場の標識。通り過ぎてしまうような、さりげない入り口だ。
中に入るとこんな感じ。
切符売り場。
クラシックな木箱のような乗り物だ。
中はこんな感じになっている。
丘の上の乗降口だ。
丘の頂上から海を見下ろす、白亜のカフェ "Cafe Turri"。
ここの庭から、海を眺めながらの食事は最高の雰囲気だ。
これでチリ・シリーズは終了としたい。
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本当に久しぶりの更新だ、『ドクトル・イトウの地球の果てまで』もとうとう10年目に突入。これは我ながら凄いことだと思う。
院長は2006年からの4年間を、ペルーのリマにある日本大使館に医務官として在勤した。すでに中南米編でペルーやボリビアの街の様子や絶景を紹介してきたが、今回は9年ぶりにペルーとボリビアを訪れた。
ある時、大学時代の友人から『マチュピチュを見てみたいなあ』と言われ、『ほんなら行こか!』とツアコン役を買って出て、2019年5月の大型連休を利用した全9日間の日程で、ペルー、ボリビアの絶景を見て回り、最後にリマでゴルフをして帰るという、50歳半ばを過ぎたおっさんには、かなりきつい行程の弾丸ツアーを決行した。
9年前には、マチュピチュとウユニ塩湖を9日間で回ることは不可能だったが、クスコから直接ボリビアの首都ラパスに飛べるようになったこと、ウユニに空港ができて、ラパスから飛行機で行けるようになったことで可能となり、最近は両方を組み込んだツアーが増えている。ただしかなりきついので、院長が見どころだけを凝縮してツアーを組み直し、まだ行けてなかった『マラスの塩田』やウユニ塩湖では日の出と日没、星空ツアーも満喫した。
日本を土曜日午後に出発し、ロサンゼルス経由でほぼ丸一日かけて深夜0時にリマに到着、空港に隣接するホテルで仮眠を取り、翌朝、クスコへ移動し、早速、数時間でクスコの市内観光。いきなり標高3400mの世界だ。
到着した日はアルマス広場で大きなパレードが行われていた。
走っている車は9年前より少しマシにはなっていたが、旧市街の様子は昔と一緒。
定番の『12角の石』。一見、何が凄いの??という感じなのだが。。インカ帝国には鉄が無かった。つまり鉄を使わずに石を切り、12角も合わせて、カミソリの歯一枚通らないといわれるぐらい、隙間なく積み上げているということが凄いのだ。
これは以前にも紹介したが、単なる黄色い車ではない。現金輸送車だ。馬鹿げているようだが、武装集団に襲われても、爆弾を仕掛けられても大丈夫なように、装甲車のような構造で、扉がない。観光客には実感しづらいが、これがペルーの現実なのだ。
これも観光業の地元のみなさん。
ここも定番、コリカンチャ(太陽の神殿)の中庭。侵略者スペイン人が略奪した黄金の多くが、ここコリカンチャから持ち出されたそうだ。
コリカンチャの回廊、当時は黄金で覆われていたそうだ。
重厚感のある建造物だ。
時間節約のため、昼ごはんは車中でお弁当にして、マチュピチュ行きの列車に乗り込むオリャンタイタンボ へ向けて車で移動。『聖なる谷』、アンデスの絶景を眺めながら、『ピサックの市場』が見えてきた。
街を知るには市場を見ればいいとよく言われるが、アンデスの市場『ピサックの市場』の様子。ペルーはじゃがいもの原産国で、その種類は数百あると言われている。
市場の様子は9年前と何ら変わらない。
かまどでパンやエンパナーダ(パイ)を焼くお店も昔と変わらない。
これがクイというモルモットの仲間。アンデス地方では食用で、精力のつく「ごちそう」なのだ。
こんな姿(丸焼き)で売られている。院長はこのクイを何度も食べた。見る姿にひいてしまうのだが、味は結構美味しい。
今回、久しぶりにペルーを訪れるにあたり、是非行ってみたかった所の一つが、「マラスの塩田」だ。ペルー在勤中に、仕事や旅行でクスコには何度も来ていたのだが、何故か今まで行く機会がなかった。「マラスの塩田」はクスコから車で1時間半、ピサックの市場を経由して、マチュピチュ行きの列車に乗り込むオリャンタイタンボへ向かう途中で立ち寄ることができる。
美しく素朴なアンデスの絶景を見ながら進んでいく。
"聖なる谷"と呼ばれるウルバンバ渓谷に突如、白い「マラスの塩田」が現れた。何でこんな所に、ここだけ?という感じだ。
アンデネス(アンデスの段々畑)の様に、白い塩田が広がる。
塩にまつわる景色は色々見てきたが、今までに見たことのない光景だ。
塩田の仕組みの説明を聞きながら、畦道を進んでいく。
この地域には高濃度の塩水が湧き出ており、インカ帝国以前の約600年前から製塩が行われていたらしい。
いわゆる用水路を通して、塩水が塩田に送り込まれ、これを天日で乾燥させる。今も昔と変わらない製法で塩が作られているらしい。水路の開閉は石ころで。。。確かに昔と変わらないようだ。
我々が訪れた5月初旬はまだ乾期が始まったばかり、これからもっと白くなっていくんだろう。
標高3200メートルに広がる塩田の光景は圧巻だ。
売店では、ちゃんとお土産の塩を売っている。
マラスの塩田から陸路でオリャンタイタンボへ移動。
ここからマチュピチュの麓の村、アグアスカリエンテス行きの列車に乗り込む。以前はペルーレイルしか無かったが、今はインカレイルと2社が運行している。今回はインカレイルに乗り込む。
車内はこんな感じで、窓を大きくとってある。ペルーレイルのビスタドームとあまり変わらない。
マチュピチュ目指して、ウルバンバ川に沿って渓谷を走っていく。夕暮れ時には夕焼けに燃えるような景色が楽しめる。
2時間半ほどでマチュピチュ村と呼ばれている、アグアスカリエンテスに到着。ちなみにアグアスカリエンテスとは「熱い水=温泉」という意味で、村には温水プールのような温泉がある。今回の宿はINKATERRA MACHUPICCHU、コテージタイプの素敵なホテルだ。
今回の旅で初めてのまともな夕食。ここに来たら、ビールは「クスケーニャ」。ボトルにマチュピチュがデザインされている。
コースのメインは「クイ」を選択。
前々回にも紹介したが、「クイ」とはモルモットの仲間。
丸焼きとか開きのオーブン焼きが一般的なのだが、流石にホテルでは上品に調理される。味は美味。
これからマチュピチュを訪れる方へ、これだけは絶対参考にしてほしい情報。マチュピチュは早朝と午後とではその見え方がかなり違ってくる。また、山の天候は不安定で、朝が雨で午後から晴れるということも多い。この「雨のマチュピチュ」というのも幻想的で「天空の城ラピュタ」そのもので本当にすばらしい。でもそれだけではやっぱりもったいなく、晴れたマチュピチュは必ず見なくてはならない。クスコから日帰りのマチュピチュツアーだと、午前後半のマチュピチュのみしか見られない。もしそれが雨だったら、晴れたマチュピチュは見ることができず仕舞いで帰らなくてはならない。
そういうことで、マチュピチュ観光では必ず、マチュピチュ村に一泊して、早朝と午後の2回マチュピチュを見てほしい。以前は1枚の入場券で何度も出入りできたのだが、今は1枚の入場券で4時間の滞在時間という制限が設けられるようになってしまった。そこだけは贅沢して早朝と午後の2枚の入場券を購入してほしい。
朝一番にマチュピチュへのバスのりばへ向かう。もうかなりの列が出来ている。
出遅れた様相だったが、我々はプライベートガイドを頼んでいたので、ごぼう抜きでバスに乗ることが出来た。
マチュピチュの入り口、世界中からの観光客でごった返す。懐かしい!、自分にとっては3度目のマチュピチュ。
アメリカの探検家ハイラム ビンガムが1911年にマチュピチュを発見したプレート。
マチュピチュが見えてきた。
最初に見えるマチュピチュの全景。これには流石に息を呑む。
リャマとマチュピチュ。
この日は晴天。少し朝霧がある方が雰囲気が出るのだが。。。
マチュピチュがインディアンの顔に見える角度。左の小山(マチュピチュ)が顎、右の高い山(ワイナピチュ)は鼻、
そして右端が眼で、インディアンの横顔に見える。
朝のマチュピチュは雲の様子がまた面白い。
コンドルが飛んできた。
左下の渓谷には、マチュピチュ村へ向かう列車(インカレイル)が走っている。
少しずつ下っていってマチュピチュを眺める。左下が太陽の門。
子リャマとマチュピチュ。
遺跡の入り口、太陽の門。
マチュピチュの農業セクターであるアンデネス(段々畑)。
整然と並んでいて、この景色も美しい。
アンデネスにリャマがよく似合う。
遺跡の中の様子。
腰掛けて、ぼーっと眺める。雲がきれいだ。
朝日とリャマ。
ワイナピチュの登山口。これから登る人たちでごった返している。我々はパス。
一旦遺跡を出て、サンクチュアリ ロッジで早めの昼食を食べて、再度マチュピチュへ入場。
早朝のマチュピチュは朝霧や朝日の加減でややぼやけた感じだが、午後はくっきりと見える。
早朝の方が写真としては面白いのだが、やはり、くっきりと見えるマチュピチュも見ておきたい。
思う存分写真を撮って、マチュピチュ観光は終了。
マチュピチュ村(アグアスカリエンテス)へ戻る。線路に沿って、レストランや土産物屋が並ぶ。
アグアスカリエンテスの街並み。奥が教会。
建物のすぐ後ろに、山がそそり立つ。
夕方発のインカレイルで、オリャンタイタンボへ向かう。
帰りも夕暮れ時、夕日のきれいな光景が車窓から見られる。
オリャンタイタンボに到着。青い列車はペルーレイル。
外は真っ暗。ここから車でクスコへ戻る。
さてさて、マチュピチュ観光を終えて、次の舞台、ボリビアへ移動する。
今はクスコからリマに戻ることなく、直接ボリビアの首都、ラパスへ飛ぶことができるようになった。今回利用したのはアマゾナス航空でボリビアの航空会社。クスコーラパス間、ラパスーウユニ間のフライトは、ボリビアの航空会社を使用せざるを得なく、航空会社の信頼性が低いので、突然のフライトキャンセルや遅延などにハラハラドキドキ。
予定通りクスコを立ち、無事にラパスに到着。ボリビアの首都ラパスは標高3600mで、世界一標高の高い首都として有名だ。ラパスはすり鉢状の地形をしていて、街はすり鉢の底、空港はすり鉢の縁にあって、さらに標高が高い。空港の名前は「EL ALTO」、日本語で「高い」という意味でそのままだ。
空港からラパス市街へ向かう道路、空港が市街より高くにあることがわかる。
展望ポイントからラパス市街を見下ろす。街のすぐ外は荒涼とした原野が広がっている。森林限界を超えているので、木々が生えないのだ。
標高3600mに高層ビルが林立する都市がある。まるで月面に都市が現れたようだ。
街の中に入ると、そこは他の南米の街並みと同じで、標高3600mであることを忘れてしまう。アンデスの民族衣装を着た人たちもよく見かける。
日本では見ることもなくなった、ボンネットのあるバス。レトロ感満開だが、こちらでは現役で走っている。
街角の様子。ボリビアは「ウユニ塩湖」などの観光で有名にはなったが、南米では最貧国なのだ。
ナースのような格好をした学生さん。
物売りのおばちゃん。
土産物屋が並ぶ通り。
店内にはぎっしりと土産物が陳列されている。
雰囲気のあるおばあちゃん。
見所のあまりないラパスで、郊外にある定番の観光地、「月の谷」。
木々のない、ガタガタの光景が、月面の様子に似ているという。その奥に見えるのがゴルフ場で、恐らく世界一標高の高いゴルフ場だろう。よく飛ぶのだろうか?
スマホアプリの高度計を見ると、4000mを超えていた。そんな高度の地に、登山することもなく、普段着で観光している事に改めて感動した。バタバタと半日のラパス観光を終えて、そのまま空港へ向かう。いよいよウユニへ発つ。
ラパスを午後7時に発って、1時間ほどでウユニへ到着。現地はもう真っ暗だった。
今回のホテルはクリスタル・サマーニャ、現在ウユニに3件ある、いわゆる塩のホテルの一つだ。
基本的に塩のブロックでできていて、イスやテーブル、ベッドなども塩でできている。
壁も塩のレンガでできていて、床にも塩が敷き詰めてある。
ソファーやテーブルも塩でできている。
部屋の様子はこんな感じで、必要な物は最低限そろっていて、意外と快適に過ごせる。遅めの夕食を済ませて、早速、星空ツアーに出かけた。5月は乾期の始まりで、もう水溜まりが少ないのだが、ドライバーに頼んで、水の残っている場所に行ってもらった。
車の外に出てみると、もう絶句!。
天の川がはっきりと見える。
塩湖にまだ水が残っている場所なので、塩湖の表面にも星が映り、360度全面に星が広がる。
これだけたくさんの星を見たのは生まれて初めてだ。
星空を見ると言うよりも、星空の中に立つという感じだ。
この時期のウユニの夜は結構冷える。氷点下を想定したような防寒着で望んだが、それでちょうど良かった。
本当に自然のプラネタリウムだ。
星空を見るにも色々条件が必要であると言うことがわかった。もちろん晴れて雲が少ないことが一番なのだが、月の影響も大きく、満月だと明るくて星が見えづらい。我々が行った日は偶然にも新月に近い日で、星がよく見えた。
もちろん見えているのは太陽のような恒星だけで、その周りには地球や火星のような惑星があるわけで、そうかんがえると、とてつもない数の星が存在するわけで、まさに天文学的数字とはこのことなんだと。。
たった数十分だがインターバル撮影をしてみた。
弾丸ツアーはまだまだ続く。ホテルへ戻ってしばし休息を取り、早朝からのサンライズツアーに備える。
早朝に再び防寒着に着替えて、サンライズツアーに出発。睡眠時間も短いので、疲れはそろそろマックスだ。
ふたたび、水が残っている場所へ。
ウユニ塩湖は四国の半分ほどの大きさがある。5月は乾期の始まりだが、まだ水が残っている場所がある。
塩湖の表面の水が鏡となって空を映すため、地平線で対称になり、どこまでが空かがわからなくなる。
空がだんだん明るくなってきた。しばし日の出を待つ。
同じホワイトバランスで撮っているのだが、
空の色が見事に変わってく。
そろそろ夜明け。
雲が湖面に映って美しい。
地平線が輝きだした。
何とも幻想的な光景だ。
少し太陽が見えてきた。
院長は三脚2台を駆使して、必死で撮影していたのだが。。
肝心の瞬間になって、突然風が出てきた。湖面が風で波立つと、鏡でなくなってしまう。
ご来光!!
ホテルに戻って朝食を食べ、今度は日中の白い世界へ。
朝食を摂り、しばし休憩して、今度は日中のウユニ塩湖ツアーへ出発
ランドクルーザーの上に、イスやテーブルを積んで、塩湖の中を爆走する。
延々と白い世界と青空が続く。乾期のウユニ塩湖だ。
四国の半分もある大きさの塩湖に目標物などほとんど無く、いったい何処を走っているのか何故わかるのだろう?
塩湖の表面は塩の結晶で、蜂の巣のように、なぜか六角形の模様ができる。
水が残っている場所にやって来た。
塩湖は一変して、水鏡になる。
何やら衣装を着て、パフォーマンスをしている集団がいる。
どうやら結婚式の写真を撮っているようだ。正装の下は長靴(笑)。
同行してられる友人達が色とりどりの衣装でパフォーマンス。
以前は集めた塩で作られた小山が小さなピラミッドのようで美しかったのだが、今はあまりない様子。
これが元祖塩のホテル「プラヤ・ブランカ」。塩湖内の唯一のホテルで、元々は「塩のホテル」というとこの建物を指したが、下水が無く、環境問題等で、今はホテルとしては営業せずに、休憩所のようになっている。
「プラヤ・ブランカ」の前に、世界各国の国旗がたなびく風景は有名だ。
ウユニ塩湖に浮かぶ島「インカワシ」に到着。乾期には「島」というよりも「小山」の様なのだが。。
どのツアーも必ず立ち寄る場所で、
トイレが有りドライブインのようになっている。もちろん店など無いのだが。
驚いたのが、定期運行しているバスがあるということ。地元の人たちが使うバス路線なのだそうだ。
この島、サボテンで有名なのだが、なんと珊瑚でできている。
つまり標高3700mのこの地が、海の底にあった証拠でもある。地殻変動で海がせり上がって、残った海水が塩湖になったのだから、当然と言えば、当然なのだが。。自然の凄さを再認識した。
たいした高さでは無いのだが、この小山を上るのは結構大変。さすがに空気が薄い。
パルスオキシメーターを持参して、時々測定していたが、酸素飽和度82%なんて、通常ではすぐに酸素吸入!の世界だ。
ウユニ観光も終盤戦、午後8時のフライトでラパスに戻る。それまでの時間、ギリギリまでウユニのサンセットを楽しむ。
何処の景色でも、日の出と日没時は美しい。
夕暮れが近づいてきたので、水のある場所に戻ってきた。
ガイドさんがボリビア産のワインとスナックを用意してくれて、一杯やりながら夕暮れ時を楽しむ。
ウユニでは、星空-朝日-昼-日没と丸一日を観光した。
ウユニの〆に、サンセット。
何とも美しい。
日が沈むにつれ、空と雲の色が変わっていく。
静かな時間が流れていく。
水鏡も澄んで綺麗だ。あちこちでサンセットを楽しんでいる。
結婚カップルの一行も撮影をしていた。
逆光で光と影の光景も美しい。
皆、何かパフォーマンス写真を撮っているようだ。
塩湖と空と雲の素朴な景色、
刻々と変わる、色の変化を楽しむ。
自分はこういう風景が好きだ。
名残惜しいが、そろそろおしまい。
塩湖を後にして、急ぎ空港へ向かう。
アマゾナス航空のラパスへのフライトは、無事に定刻に出発してくれた。
ウユニから夜にラパスにもどって一泊し、翌朝のフライトでペルーのリマに戻る。
リマの空港に戻ってきた。初日の到着時は深夜だったので、始めて到着した感じだ。9年前と空港はそんなに変わっていないし、空港周辺の空気感も以前と何も変わっていない。
喧噪の街の様子はあまり変わりない。プロパンガスのボンベをバイクに積んで走る人。事故に遭ったらどうなるのか?自爆テロのようなバイクだが、これがペルー。
信号待ちでのパフォーマンス。赤になるといきなり出てきて、ジャグリングを始める。絶妙のタイミングで終了し、車の窓越しにチップを集める。ジャグリングがミスって長引くと、チップを貰う暇が無くなり終了。ペルーらしい懐かしく感じる光景だ。
ペルーというと、すぐに高地をイメージされるのだが、リマは平地で海岸がある。
ここはミラフローレス地区という、海岸沿いに広がる高級住宅街。夏に来ると、リゾート地のような雰囲気でここに住みたくなるのだが、1年の半分は海岸線から押し寄せる雲のような霧に包まれた街となる。
南米で一番旨いと言われるペルー料理を楽しむ。ペルー人は貧困層から金持ちまで、皆、食事にはうるさい。ペルーの食文化の歴史は面白く、契約奴隷として中国人が入ったことで、米食文化が入り、日本人移民が生魚を食べる文化を持ち込み、それらが融合して、面白いフージョン料理を生み出した。間違いなく日本人の口に合う。
写真は代表的なペルー料理、右が「セビッチェ」で、魚介のマリネだ。ペルー独特の酸味の強いレモンが決め手となる。使われる魚はヒラメやメロ(クエの一種)で、日本では高級魚だ。ちなみに院長の学友はリマに滞在中、ずっと「セビッチェ」を食べ続けていた。真ん中が「アローシュ・コン・マリスコス」で魚介のパエリアの様な食べ物。院長の大好物だ。左が「チチャロン」で魚介や鶏肉の唐揚げだ。いわゆるチャーハン(焼飯)も庶民のペルー料理で「チャウファ」と呼ばれる。日本の焼飯とそっくりで、ペルー中、何処でも食べられるので、旅行中、日本食が恋しくなった時に助かる。
院長が好きだったビール、「ピルセン」を久しぶりに楽しんだ。
翌日はペルー時代の友人達も含めて、朝からゴルフに向かった。ペルーに住んでいた時に会員になっていたゴルフ場、「ラ・プラニシエ」。
中は少し改装されてはいたが、雰囲気は昔と同じ。ペルー人は週末に家族でやって来て、父親はゴルフ、母親はテニスやエクササイズ、子供はプール遊びを楽しみ、食事をして帰るというのが、お金持ちのペルー人のスタイル。
リマ独特の荒涼とした岩山を背景にしたゴルフ場。
各自にキャディーがついてくれる。
スコアは散々だったが、目的であったペルーでのゴルフも達成できた。
午後から土産物屋を巡り、深夜リマを発ち、帰路についた。高地が続くので、体力的にも厳しく、まさしく弾丸ツアーであったが、特にトラブルも無く無事に終えることができた。さすがに60過ぎたらしんどいかな。。。