大阪 城東区の内科、循環器内科クリニック。循環器疾患、生活習慣病の管理、花粉症などアレルギー疾患、禁煙外来対応。
“ドクトル・イトウの地球の果てまで“ 世界60ヶ国以上を訪れた、院長のちょっと変わった見聞録
2002年夏、灼熱の国スーダンからポーランドのワルシャワに異動した。東ヨーロッパの大国ポーランドで2006年までの4年間を家族と共に過ごした。我が家にとっては非常に思い出深い国。今回からはヨーロッパに舞台を移して、ポーランドの美しい風景と是非行って欲しいヨーロッパの「穴場」を紹介していく。
砂漠の街ハルツーム、赤茶けたスーダンからヨーロッパの都市に降り立つと、緑の多さに身体が驚く。大げさな言い方ではなく、むせ返ると言う表現がぴったり来る。
ワルシャワ、ポーランドの首都。ショパンが生まれた国、コペルニクスの国、ワルシャワ条約機構など歴史で名前を覚えた記憶がある。いったい何語を話すの?
ワルシャワに着いてさっそく向かったのがマクドナルド。スーダンにはマクドナルドなど、欧米のファーストフード店は皆無であったので、何故かハンバーガーが食べたくなった。そこでまず驚いた。
ポーランド語など全く話せない我々は、マクドナルドで写真を見てオーダーぐらいは出来るだろうと思っていたが甘かった。なんとワン、ツー、スリーが全く通じない!! ちなみにポーランド語ではイエデン、ドゥヴァ、チシッ。この国では英語がほとんど通じないということを痛感した。
まずは世界遺産のワルシャワ旧市街へ。
ポーランドの主要都市には必ずこのような旧市街がある。ではなぜこのワルシャワ旧市街が世界遺産なのか?
それは第二次世界大戦中、ドイツ軍によって完全に破壊され、その後に破壊前の姿に忠実に再建されたからであって、今の旧市街は所謂究極のコピーなのである。
地方都市の旧市街は住民の生活の一部として機能しているのだが、このワルシャワ旧市街はその歴史が物語るとおり、全く生活の匂いがせず、観光地としてのみ機能している。
一見の価値はあるのだが、普段にあまり行くことはなかった。
これは2006年当時のワルシャワの中心部。御覧のとおり、あまり美しいと言える街並みではない。
ただ、この国は非常に美しい四季の姿を持つ。確かに日本の四季の風景は美しい。芸術的と言って良いほど繊細な美しさだ。これと比べて、ポーランドの四季の美しさはダイナミックな美しさだ。
四季折々の美しい姿をこれから順次紹介していく。
自分の職場(日本大使館)の目と鼻の先にワジェンキ公園という大きな公園がある。
自分はこの公園が大好きで、昼休みにカメラ片手によく散歩に出かけた。
この なにげにリスが出てくるような公園だ。
この公園の奥にショパン像が置かれた広場がある。自分はクラシックとは全く無縁の男であるがこの場所が大好きで、四季の風景を撮り続けた。これは春の風景。緑がグングンと伸びてくる。
夏には一面にバラが咲き、
ショパン像の下で屋外ピアノコンサート(無料)が行われる。
ワルシャワの秋は「黄金の秋」と言われる。非常に美しい風景だ。ショパン像のバックも見事に色づく。
冬は白黒、モノトーンの世界となる。これがまた美しい。街の汚い部分を雪がすべて覆い隠してくれる。
日本がゴールデンウイークの頃、ポーランドでもイースター(復活祭)の休みがあり、本格的な春の訪れと共に季節は一気に初夏へ向かっていく。5月のワルシャワで非常に気にいった風景があった。不思議なことに、ワルシャワの住人にはあまり知られていない場所だった。
ワルシャワで有名な住宅地の一つであるヴィラノフ地区。その郊外に、ワルシャワでは恐らく唯一のゴルフ練習場、いわゆる"打ちっ放し"がある。
ネットなど無く、本当にオープンエアの打ちっ放しなのである。確か2004年頃に出来たものと記憶しているが、その当時、ゴルフはまだまだ外国人の娯楽で、日本人や韓国人がその大半の打席を占めていた。
そのすぐそばに、5月のこの時期だけ様相を変える畑があった。林の中を走る道路の脇にその景色はあり、木々で隠れているので、見ようと思わなければ通り過ぎてしまう。
ただ、一歩その世界に踏み込むと、辺り一面が真っ黄色の世界になる、菜の花畑だ。
晴れた日は特に美しい。
ポーランドでは何気ないこういった自然の景色が何ともすばらしい。四季折々に色んな風景を楽しませてくれる。
これからどんどん日が長くなり、太陽の季節がやってくる。
素人写真ではこの黄色のダイナミックさがなかなか伝わりにくいのだが、しばしご覧あれ。
徐々に日が長くなり太陽の光がまぶしくなってくる。5月のポーランドは一気に陽気な季節となる。太陽を待ちこがれていた人達は、裸で日光浴を楽しむ。
ポーランドでは良い思い出をたくさん作ってきたが、その中でもお気に入りの一つが初夏のカヤックだ。自分はアウトドアに詳しいわけではなく、ポーランド人の友人から是非行ってみろと勧められたのだ。
ワルシャワから北へ200kmほど行ったところにマズーリという湖水地方がある。ポーランドでは有名な夏の保養地で、その中の小さな村が今回紹介するクルティン(Krutyn)だ。ワルシャワからは車で3時間程度だったと思う。よく地図を見ていないと通り過ぎてしまうくらいの小さな村だ。
その村には森の中を流れる浅い川があり、そこをカヤックで下っていくのだ。浅く流れも穏やかなのだが、水は澄んでいて底がはっきりと見える。万が一転覆しても安全な深さで、カヤック初心者でも子供でも十分に楽しめる。
村には民宿が何軒もあり、そこでカヤック一式をレンタルでき、もちろん日帰りで楽しむことが出来る。午前中に出発し、半日カヤックを楽しんだ後、宿の主人に電話をかけると車で下流に迎えに来てくれるという仕組みになっている。
では、二人乗りカヤックでスタート。
前半は森の中を進む。灌木をよけながら、自分のペースでのんびりと進む。マイナスイオン満タンだ。
鳥のさえずりや牛の鳴き声だけが聞こえてくる。
緑の匂いがぷんぷんして、心も体も癒される。
かもの親子に出会うこともあるし、
時には野生の鹿が出てくることもある。
これはポーランドらしい風景で、真ん中の柱の上の籠はコウノトリの巣だ。ちなみにポーランド語でコウノトリのことを「ぼっちゃん」という。日本人にはなじみやすい名前だ。
後半は湿地帯の中を進んでいく。これも何とものどかな風景だ。
そろそろ終わりが見えてきた。3番目の橋のたもとが目印だ。
ワルシャワから日帰りで楽しめるリラックスタイム。ポーランドの自然は本当に素晴らしい。
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一旦ポーランドから話題はそれて、このあたりでドクトル・イチオシの絶景をひとつ紹介する。
LOTポーランド航空を利用して出張中のある日、機内誌の表紙に目を奪われた。なんじゃこれは!! それはノルウェーにある、プレーケストーレン(Prekestolen)というフィヨルドに突き出た断崖絶壁の写真であった。
色々調べてみると、凄い景色のわりに一般の観光コースには入っておらず、あまり知られていない。この断崖絶壁を見に行くには、スタヴァンゲルという街に最低2泊はしなくてはいけないと言うことがわかった。なかなかアクセスが大変そうだが、何とか行けそうだ。
ノルウェーのフィヨルドはソグネ、ガイランゲル、リーセなどが有名で、船から、山からなど、それぞれいろんなアプローチの仕方がある。最も有名なのは、山岳鉄道やフェリーを組み合わせてソグネ・フィヨルドを観光するナットシェルと呼ばれるコースであるが、フィヨルドの景色としては残念ながらこれが一番劣るように思う。概してそんなものだ。
フィヨルドの圧倒的な美しさを味わうのであれば、このプレーケストーレンから眺めるリーセフィヨルドと次回に紹介する雄大なガイランゲルフィヨルドが何とも素晴らしい。特にこのプレーケストーレンはこれだけを見に行っても十分に価値のある絶景だ。
北欧というと日本からは遠いイメージがあると思うが、実は航路的には一番近いヨーロッパなのだ。FINNAIRやスカンジナビア航空で北欧の主要都市から乗り継ぐことも可能だし、他のヨーロッパ主要都市から直接スタヴァンゲルへ乗り継ぐこともできる。
スタヴァンゲルの美しい港。
プレーケストーレンは5月から9月頃の限られたシーズンしか観光することはできない。
まずは、スタヴァンゲルの港からフェリーに乗ること30分ほどで対岸のタウの港へ渡る。
そこからローカルバスで40分ほどでその麓まで行く。バスの本数は少なく、人気も少ない。
それから2時間半、山道を登らなくてはならない。自分が行ったのは5月初旬の、正式にはまだ山開きをする前で、山道には雪がかなり残っており、途中急な山道もあって、当時8歳の下の娘には結構苛酷な行程であった。
まだ氷がはっている。
最初は緩やかな登山道を上っていく。徐々に気温が下がり、雪道となる。
途中で一休み。ふと後ろを振り返るとフィヨルドの景色が広がる。
後半は結構きつい道のりが続く、満足げに下山してくる人達を頼りに、ただただ黙々と上っていく。少し先から歓声が上がった。ゴールは近いらしい。
そして登り切った後、こんな絶景が顔を出した。これがフィヨルドというものなんだと改めて認識した。
その直ぐそばに、お目当てのプレーケストーレンがあった。
フィヨルドに突き出た断崖絶壁で600メートルの高さがあるそうだ。
周りに柵など何も無いというのには本当に驚かされる。自分は高所恐怖症なので、なかなか近づくことが出来ないのだが、このプレーケストーレンの上で皆、様々な行動を取る。
今にも飛び降りそうな人、
なにげに足を投げ出して座る人。
腹ばいで下をのぞく人。etc...
我が家族も平気で腰を掛けている。自分には絶対出来ない芸当で、DNAの進化を感じる
このプレーケストーレンからみたリーセフィヨルドの景色はこの旅で一番の景色であった。
最後に勇気を振り絞って、夫婦で一枚。
そんなこんなで、ここで1時間ほどを過ごして下山する。雪の残る山道の下山は結構大変であった。この様にプレーケストーレンの観光には丸一日を要し、最低でも2泊が必要になる上に、登山が大変と言うこともあり、なかなか一般の観光コースには入ってこない。絶景とは概ねそんなところでしか見ることが出来ないように思う。本当にここだけを見に行っても価値のある景色だと思う。
次回は船から雄大な景色を眺めるガイランゲルフィヨルドと、何とも可愛いオースレンの街を紹介する。
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今回はもう一つの絶景、船から見るガイランゲル・フィヨルドを紹介する。
ベルゲンからスカンジナビア半島の沿岸を北上していく沿岸急行船に乗りこんだ。
観光船ではなく定期航路を行く地味な船なのだが、その割に船内のラウンジが、大きなガラス張りでパノラマビューになっており、船内から迫力あるフィヨルドの景色を楽しむ事が出来る。
フィヨルドの穏やかな海面を、船は静かに進んでいく。何が違うのか調べたわけでは無いが、同じようなクルーズでもこのガイランゲル・フィヨルドはソグネ・フィヨルドとはその迫力が全く違う。
残雪の山や滝が遠景から3Dで迫ってくる。雄大な眺めだ。
フィヨルドの中を通り過ぎるたびに陽のあたり方が変わるので、海も山も色や様相を変えていく。
中から見る景色とは異なり、船外に出ると風が強い。
時には写真のように風がぴたりと止む。
船が止まっているかのように静かな光景の中、海面に山の影が映り、景色だけがゆっくりと迫ってくる。この景色が一番ダイナミックだ。
マッターホルンのような山が見えた。山の裾野に街が見えてきた。
下船して今度はバスで移動する。山の上からフィヨルドを望む。
海面が光るフィヨルドの景色は特に美しい。
バスでオースレンの街へと向かう。途中、何とも素朴な村の教会を通り過ぎた。
高台からオースレンの街を見下ろす。フィヨルドの海に浮かぶ小島のような街だ。
街には運河がめぐり、その運河沿いにアールヌーヴォー様式の建物が並ぶ。
写真は夕方だが、陽のあたり方によって、様々な顔を見せてくれる。
見所の多い街では無いのだが、この街の姿そのものが一見の価値がある。山と海と運河とこのおしゃれな建物が調和した、なんだか住んでみたくなる、非常に心の安まる街並みだ。
最後に景色とは全然関係の無い話を一つ。ノルウェーに限らず北欧を旅していて気づいた事に、朝食のバターがある。通常、ホテルのビュッフェ型式の朝食では、小さなパックに入ったバターか紙に包まれたバターが置いてあるのが普通だが、北欧ではこれらが無くて、いわゆる家庭でも使うような大きめのパックのバター入れが置いてあり、必要なだけ取っていくと言うスタイルが普通のようだ。少なくとも自分が北欧を2度旅して、全てのホテルがそうであった。これには非常に感心した。これでいいんじゃないのか。なんでわざわざゴミが増える個別包装をする必要があるのだろうか。日頃あまり考えない素朴なことにすごく感心し、そういった独自のエコロジー精神を持っている北欧スピリットに感動した次第である。
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前回から少し間が開いてしまった。
舞台を一旦ポーランドに戻して、ワルシャワの夏の風景を紹介したい。
東ヨーロッパといえども夏は結構暑い。エアコンが入っていないところも多いので、過ごしにくい時期ではある。ただし湿度は低いので、木陰にはいると非常に気持ちがよい。
この時期は日が長く、午後9時近くまで日本の夕方のように明るい。平日午後5時に仕事を終えた人が、それからマウンテンバイクを持って余暇を楽しみに行くなんてことも十分に可能なのだ。
ワルシャワの四季を追いかけて、写真を撮り続けたワジェンキ公園。夏はいっそう緑が濃くなる。
日本大使館近くの入り口から入って一番奥に、ショパン像のある広場がある。この時期は見事に赤いバラが咲き乱れる。よく手入れされていてこれは素晴らしい。
ワルシャワ市民の憩いの場となる。こういったところに経済とは違った文化の豊かさを感じる。
夏の時期、週末にここで屋外ピアノコンサートが開かれる。もちろん無料で聞くことが出来る。
バラに囲まれながら、ショパン像の下で奏でる演奏は、クラシック音痴の私でも何か感じるものがあった。屋外の自由な雰囲気のコンサートではあるが、聴衆のマナーも大したものであった。携帯電話がなるなんて事はなかったし、ごそごそ動き回るような人も少ない。皆、音楽の楽しみ方を解っているという感じであった。ここで演奏できることは演奏される方々にとっても名誉なことなんだと思う。毎年、この演奏者の中に日本人の方が選ばれていることを名誉に思う。
次は自分が4年間住んでいた、ワルシャワの南にあるコンスタンチンという郊外の街を紹介する。ワルシャワの中心部から車で30分程なのだが、緑が多く、どことなく空気がキレイな感じのする地域で、以前は保養所やサナトリウムとして有名な場所だったそうだ。子供達の学校がこの地域にあったのでこの場所を選んだのだが、今から思い返しても本当に良いところだった。
当時はまだマウイ・フィアット(小さなフィアット)と呼ばれる、共産主義時代の車もよく走っていた。どことなくルパン三世の車に似ている。
犬の散歩がてらに家の近くを散策すると、すぐにこのような風景に出会う。
池にはカモや水鳥が泳いでいる。冬には白鳥がたくさん飛んでくる。
公園の中に細かい霧のようなものが舞う奇妙な建物がある。入場料を払って中にはいると。
お寺や神社の線香の煙ではない。ミスト状の水が噴き出しており、それがあたりを覆っている。
周囲には乾燥させた薬草?のようなものが積まれ、その中を地下水が濾過されるようにしたたり落ちており、それを霧状に噴霧しているのだと思う。マイナスイオン満開で、何か健康になったような気分になれる。
この地がサナトリウムとしても有名なことからも、こういったことが健康によい、特に呼吸器の病気に良いと考えられていたのだと思う。
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舞台はまた東ヨーロッパに戻って、自分が大好きな小国リトアニアをこれから数回にわたって紹介する。仕事、プライベートでかれこれ20回近く訪れた。リトアニアはポーランドの右上、バルト海に面したバルト三国の一つで、民主化されるまではソ連に組み込まれていた国だ。歴史上、ポーランドと一つの国になっていたこともあり、隣国ポーランドとの国民感情は複雑だ。
リトアニアはラトビア、エストニアとバルト海を面して並んでおり、これら三国をまとめてバルト三国と呼ばれるが、実際には言語も歴史的背景も全く異なり、あまり横のつながりはないように思える。
言語はリトアニア語で周囲の国々の言語とは語源から全く異なり、世界で300万人しか使用していない特殊な言葉だそうだ。ちなみに「ありがとう」は「アチュ」という。歴史の関係から、多くの人々がロシア語、ポーランド語を話せるのだが、自分たちからはあまり話そうとはしない。英語を話せる人はまだ少なく、自分は露店のおばちゃんとは片言のポーランド語でコミュニケーションを取っていた。
ポーランドからは当然、陸路で行くことも出来る。この料金所のようなところが国境だ。
リトアニアの首都、ヴィリニュスの朝の風景。旧ソ連の国々は建物などが無味乾燥で殺風景な街が多いのだが、この街はなんか洒落ている。
きれいな大聖堂
ヴィリニュスの旧市街はこじんまりとしているが、なかなか味のある街並みだ。
旧市街のゲディミナス通り、旧ソ連時代は数少ないウインドーショッピングのできる街並みと言われていたそうだ。
街のあちこちに路地があり、これが何ともいい雰囲気なのである。
こういった古い路地も多い。
これは夜明けの門。この中に木製のマリア像が祭られている。
地方からも、色んなお願い事にここへやって来るのだそうだ。涙を流しながら祈り続ける老人の姿が印象的であった。
この旧市街で自分の一番のお気に入りがこの聖アンナ教会だ。煉瓦造りのゴシック様式の教会で何とも美しい。
自分は建築物にはあまり興味はないのだが、この教会だけは別で、いつも写真を撮っていた。いわば魅せられてしまった教会だ。
魅せられてしまったのは自分だけではないようで、1812年、ロシアに侵攻したナポレオンがこの教会を見て、「フランスに持ち帰りたい」と語ったと言われているそうだ。
夜はライトアップされて、また別の顔を見せる。
夜もどことなく整然としているのが、逆に不思議な感じがする。
夜の聖アンナ教会ももちろんきれいだ。
リトアニアについて
リトアニアの国技はバスケットボールで、サッカー好きが多いヨーロッパでは珍しい。確かに背の高い人が多く、アメリカのNBAで活躍している選手も多いと聞く。
体格は大柄なのだが、この国の人々は非常に繊細で少しシャイ、日本人とどこか通じ合うところがある。
大国主義的な隣国ポーランドと小国リトアニア、その特徴はレストランなどで顕著に見られる。ポーランド人はあまり小さな事は気にしない。おおらかとも言えるし、繊細さに欠けるとも言える。そこそこのレストランでもスープが冷めて出てくることが何度もあったし(これは本当に)、食器がかけているなんて事はよくあった。一方のリトアニアは街中のカフェでさえ、ナイフとフォークの配置に非常に気を遣い、料理の盛りつけも実に繊細であった。大学の学食のマッシュポテトでも、フォークの先で波模様に飾り付けるといった具合だそうで、ホテルの朝の目玉焼きも、盛りつけにひと工夫されて出てきたのには本当に感心した。
美しい冬の景色はまた改めて。
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もしリトアニアに行くことがあったら、必ず行って欲しいところがこのトラカイ城だ。ヴィリニュスから車で30分程度、美しい湖に浮かぶように建つ古城だ。夏は湖でヨットやボートを楽しむことができるし、冬は湖が凍り一面の白い世界。城まで歩いて渡れるようになる。
このあたりは森と湖に恵まれた美しい地域だ。実際は湖の島に造られた城なのだが、城があたかも湖に浮かんでいるように見える。
城までは橋を渡って行く。
このお城、いわゆるヨーロッパのお城とは何か雰囲気が異なる。
どこかアジアの匂いがする。
歴史上、この地域には色んな民族が一緒に暮らしていた。特に14世紀にクリミア半島から連れてこられたトルコ系のカライム人の影響が色濃く残っている。
湖の畔から眺める城の景色が一番好きだ。この周囲には旧ソ連の軍帽やバッチなど、面白い土産物を扱う露店がでる。
リトアニアの女性は他の東欧諸国と同様に美しく、こうして見ても絵になる。
湖の周辺の家屋もまた特徴があり、これらがカライム人の住居だ、トラカイ城に行くもう一つの大きな目的はこの店に行くことなのだ。トラカイ城の駐車場から歩いてすぐの場所にある。
トラカイに行ったら必ずこの店で食べて欲しいのが、「キビナイ」という羊肉のメートパイだ。
羊は苦手という方も多いだろうが、恐らく羊肉だと言われなければ気づかないぐらい、全く肉の臭みが無く、ジューシーで本当に美味い。リトアニア自慢のビールと共にあつあつを頬張る。
やはりここもヨーロッパ。
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リトアニアで、その魅力にどっぷりはまってしまいコレクターになってしまったものがある。陶製のキャンドルハウスだ。中にろうそくを入れて部屋の明かりを消すと、何とも柔らかい光が窓から外に伸びてくる。
男の買う物かと笑われそうだが、リトアニアに行く度に買い集め、かれこれ150個ぐらいは買ったかも知れない。クリニックにはその一部を飾っている。
このキャンドルハウス、リトアニアに行けば簡単に買えるかというとそうでもない。まずリトアニアの人達が、このキャンドルハウスについてほとんど知らない。元々が輸出用に造られているので、国内では数少ない露店で観光客向けに売られているだけなのだ。逆に日本では「リトアニア キャンドルハウス」と検索してみると、ネット通信販売が結構行われている。
こういった、素朴な田舎の民家をモチーフにしたり、
ドイツなど西欧諸国の市庁舎や教会などを模った物が多い。
なかには、キノコの家などメルヘンチックなものもあるし、
前回に紹介した聖アンナ教会を忠実に再現した物まである。
街の露店でこんな感じで売られている。
この露店は、自分が知る限りヴィリニュスで唯一、聖アンナ教会のキャンドルハウスを売っている露店だ。
露店の常連になり、おばちゃんに頼んで自宅兼倉庫に連れて行ってもらった。おばちゃんにしてみれば、数ヶ月に一度現れて、キャンドルハウスをあれこれ買い込んでいく「謎の東洋人バイヤー」とでも思っていたのだろう。片言のポーランド語のみでよくやったものだと自分でも感心する。
このキャンドルハウスは全部が手作りで、2つとして同じ物はない。同じデザインでもみな少し異なっているのだ。趣味が興じて、家族でリトアニアに休暇で行った際に、このキャンドルハウスの工房まで足を伸ばすことにした。
本当に一つ一つ手作りで、粘土で型を作って、
窓や模様をくり抜いていく。
形が出来たら、色を付けていく。何とも細かい作業で、リトアニアらしい繊細さを感じた。
棚には出来上がった大小様々な作品が置かれていた。写真を送ればどんな建物でもそれをキャンドルハウスにしてくれるという。
車での帰り道、日本では見られない珍しい光景をみた。リトアニアとポーランドの国境付近、車が行き交う道路沿いの電柱の上に、なにやら鳥の巣のようなものが。
なんとこれはコウノトリの巣。
ポーランドでもコウノトリは赤ちゃんを連れてくる幸せの鳥として大切にされている。自然の巣もあれば、人工的に作ったような巣もある。ちなみにポーランドではコウノトリのことを「ボッチャン」という。日本人にはなじみやすい名前だ。
これは6月の風景で、ちょうど子育てをしている季節だった。
次回はポーランドの「黄金の秋」。
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ポーランドの秋は「黄金の秋」と呼ばれ、一年で一番美しい季節だ。日本の紅葉とは異なり、「黄葉」とでもいうのであろうか、木々が黄色に色づき、晴れた日には金色にかがやく。
これはワルシャワのヴィラノフという地域にあるお気に入りの木。何故かこの木には惹かれるモノがあった。
天気が悪いとかがやかないので、晴れた日にはカメラを持って出かけていった。
大好きなワジェンキ公園も色づいてきた。冬にはこの池も真っ白に凍ってしまうのだ。
これから長い冬、モノトーンの世界になる、その前にひとときの艶やかさ。
水上宮殿もどこか落ち着いた雰囲気になる。
この時期の公園は落ち葉でフカフカの絨毯になる。
自分は文学とは無縁な人間だが、こんなベンチに腰を下ろしたら、詩でも思いつくのだろうか。
まるで黄葉のアーケード。
リスもそろそろ冬支度。
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ワルシャワのワジェンキ公園にあるショパン像。夏はバラで華やかに、冬はモノトーンの荘厳な雰囲気になり、四季折々の姿を見せてくれる。黄金の秋には、ワルシャワでは珍しく紅葉を見せてくれるのだ。
ワルシャワの住人といえどもなかなかこの景色にはお目にかかれない。秋のほんのひと時だけ見られるすばらしい景色だ。
紅と黄色をバックにショパン像が艶やかに浮かび上がる。
自宅のコンパウンド(塀で囲まれた住宅の集合体で入り口にはセキュリティーの門がある)にも秋が来た。
これから白黒の世界になる前に、きれいに街を色づけてくれる。
自宅近くの池なのだが、この時期はなんか絵になる。
ワルシャワの街路も季節感がある。春はポプラの綿毛でいっぱいになり、秋は枯れ葉の山となる。
夏場に賑わった屋外のカフェも、半年間のお休み。だんだん日暮れが早くなる。
もうすぐハロウィーン。
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ポーランドとは"平らな土地"という意味だそうで、確かにワルシャワには坂があまりない、山は南の端のスロバキアとの国境にしか無いのだ。ワルシャワはポーランドの真ん中にあり、山も海も無い内陸の都市なのだが、ポーランドの北にはバルト海という海がある。
今回紹介するグダインスクはポーランドの北の端、バルト海に面した港町である。かつてはドイツ騎士団に占領され、ハンザ同盟の都市として栄えたドイツ色の濃い街だ。二度の世界大戦でもナチスの影響を強く受け、数奇な歴史を歩んだ街だ。今でもドイツ語がよく通じる。
何とも歴史を感じる港町だ。
どことなくドイツの重厚な街並みを感じる。
ポーランドを民主化に導く「連帯」の指導による労働者のストライキが行われたのが、この飛び出た建物の造船所だ。こうした運動が1989年のポーランド民主化につながった。
旧市街の街並みも、整然としていて美しい。
秋の少し寂しい雰囲気の旧市街もいい感じだと思う。
何かドイツの旧市街のようだ。
この街の特産品はバルト海でとれる琥珀。琥珀をあしらったアクセサリーやガラス製品がなかなかいけてるのだ。
秋には、こういった一筋奥に入った、寂れた雰囲気がよく似合う。
グダインスクの隣にソポトという海岸の街がある。夏は海水浴客で賑わうのだが、如何せんバルト海は冷たい海、真夏でも冷たくて泳げない。皆海岸で日光浴を楽しむ。
少し暗い雰囲気のバルト海。どこか冬の日本海に通ずる物がある。冬ともなると津軽海峡冬景色が似合う感じだ。
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このブログも2年目に突入した。まだまだ書きたいことがある、見せたい物がある。どうかこれからもおつきあい下さい。
12月に入りクリスマスシーズンとなった。日本のクリスマスと外国のクリスマスで大きく異なることがある。それは正月とクリスマスの位置づけだ。外国、特にキリスト教国ではクリスマスは家族と過ごす神聖な時間、むしろ地味だ。一方、正月はお祭り。ドンチャン騒ぎでカウントダウン。1月1日は大抵が二日酔いで迎える。2日から仕事という国も多い。全く日本と逆である。
では、ヨーロッパらしいクリスマスを紹介する。それはクリスマス市、それぞれの街でこういった市が開かれる。日本の夜店、正月準備のアメ横といった具合だろうか。クリスマスの飾り付けや食べ物など色んな露店が軒を連ねる。
最初はウイーンのクリスマス市から紹介する。
ウイーンの象徴、シュテファン寺院も何かより荘厳な雰囲気になる。
街の雰囲気も何故かクリスマスらしくなる。
街のあちこちが電飾で彩られる。でも何故か上品だ。
ここが有名なウイーンのクリスマス市、この時期に是非訪れて欲しい。
外から見ると、何かメルヘンチックでおとぎの国の様子。
では中に入ってみると。
中は地元の買い物客や観光客でいっぱい。ごった返していた。
夜店のような雰囲気だ。
クリスマスツリーの飾りもいっぱい売っている。
日本の露店で門松やしめ縄を売っているような感じだ。
大きなクリスマスツリーが雰囲気を盛り上げる。
クリスマス市の定番はホットワイン。赤ワインを温めて、中に丁子やシナモンが入っていて、身体が温まる。独特の香りがあるのだが、それがまた癖になる。紙コップではなく、ちゃんとマグカップに入れてくれるところが、ドイツやオーストリア。最初にカップのデポジットを支払い、カップを返すと返金してくれる。
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今回はポーランドの古都クラコフのクリスマス市を紹介する。クラコフはポーランドが王国であった頃の首都で、日本の京都のような存在だ。ワルシャワが世界大戦で廃墟になったのとは対照的に、中世の建造物や街並みがそのまま残っている。特にヤギェウォ大学は14世紀に創立された大学でヨーロッパでも古い伝統を持つ大学の一つだ。またこの街は前ローマ法王のヨハネ・パウロ2世が大司教をされていたことでも有名である。
ヨーロッパでも最大級の旧市街広場、中世の雰囲気が漂う。
いつも多くの観光客で賑わっている。
この時期、この旧市街広場ににクリスマス市が出る。
旧市街広場は有名な観光地であると共に、地元の人々の重要な生活の場でもあり、このクリスマス市はポーランドらしく地味ではあるが活気がある。
寒い中、皆クリスマス用品を買い込んで帰って行く。暖かいスープなど食べ物の屋台も出ていて、寒空の下で湯気に包まれながら飲むスープはまた格別に美味しい。
人工的なツリーが当たり前の我々にとって、本物のクリスマスツリーは何かひと味違う。
クリスマスツリーの"木"はこんな風に売られている。"生"のクリスマスツリーが売られているのを見たのはここが初めてだった。
買ったツリーはこんな風に持って帰るのだ。
もうすぐクリスマス。
追記:ワルシャワもクラコフも内陸の街、また元々あまり魚を食べる習慣はないのだが、クリスマスだけはちょっと違う。スーパーには大型の水槽が置かれ、なんと生きた鯉が売られる。神聖なクリスマスには肉を食べないので、この鯉料理を食べるのだ。なんで鯉なのかは知らない。代表的なクリスマス料理である"鯉の煮こごり"を何度か食べる機会があったが、ちょいと泥臭くて苦手だった。
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ポーランドというと寒い国というイメージがあるかも知れない。確かに冬は氷点下が珍しくない。でも今の大阪の冬と比べると、何故かワルシャワにいたときの方が寒さをあまり感じなかった。まず、寒い国は何処に行っても暖かい。家の中では結構薄着で過ごせる。また、寒さの質が少し違う。湿度が低いので体感温度はその数字ほど寒くはない。
ちなみに、風のあまり吹かないワルシャワでは、0度はあまり寒く感じない。マイナス6度ぐらいで寒いと感じ出す。日本の寒さとは少し違う。でもマイナス15度を下回りだすと、これは凄い寒さとなる。鼻毛が凍る寒さだ。鼻から息を吸うと、パリパリと鼻毛が凍りつくのがわかる。
ポーランドは平らな国で、内陸部には山がない。しかし、南の端のチャコやスロバキアの国境に山々がある。中でもスロバキアとの国境にあるタトラ山脈は美しく、ポーランドでスキーが出来る数少ない観光地のザコパネがある。そこから南に少し行くとスロバキアとの国境の街がある。
この街にはニェジィツァ城(Niedzica Zamek)という古びたお城がある。湖に面した静かな城だ。
この日は氷点下30度、ダイアモンドダストが舞うような世界だ。確かに寒い、もちろん寒い。でも日本のような北風が吹かず、しーんとした静寂の世界。凛とした寒さに極限の美しさを感じる。
何気ない川縁の風景だが、晴れた日には凍った木々が本当に綺麗だ。
何の変哲もない風景だが、静かで、絵のような風景だ。
これが国境、このゲートを超えるとスロバキア、歩いて通過することが出来るが、もちろんパスポートが必要。ゲートの向こうには酒屋が何軒も並んでいる。
スロバキアの方が物価が安く、酒が安いので、ポーランドの人はパスポートを持って買い物に行く。買う酒はもちろんウオッカ。ヨーロッパでは結構こんな感覚がある。以前にベルギーを車で旅行していたとき、途中でガソリンが安いからと隣国ルクセンブルグにわざわざ給油をしに行った思い出がある。
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他の東欧諸国も同様だろうが、ポーランドは四季の移り変わりが美しい。寒いからと嫌われがちな冬だが、この冬のモノトーンの世界も非常にすばらしい。職場すぐそばのワジェンキ公園、冬にここを訪れる日本人は少ない、でも自分は冬のこの公園がお気に入りだった。晴れた日の昼休みには完全防寒態勢でカメラを持っていそいそ出かけていった。
冬のショパン像、第18回(夏)と第28回(秋)と是非見比べて欲しい、これがワルシャワの四季そのものだ。
人気の無い白黒のショパン像は何とも荘厳で美しい。
水上宮殿の池も真っ白に凍る。
何気ない光景だが、ここもヨーロッパであることを感じる。
水路もカチカチに凍る。靴跡がついているので、きっと人が歩けるぐらい凍っているのだろう。
氷の割れ目にはカモが集まる。ちなみにポーランドの代表的な料理が鴨のフライ。
足が凍り付かないのか心配なのだが。。。
この冬のワジェンキ公園、散歩する人が結構いる、老夫婦の姿が妙にマッチする。
リスは冬も元気に飛び跳ねている。
冬の街並み、ワルシャワはあまり雪は降らないが、気温が低いので降った雪が溶けずに溜まっていく。雪は街の汚れた部分をすべて隠してくれる。
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ポーランドの北東部にはマズーリ地方という美しい湖水地帯がある。夏にはたくさんの人が訪れるいわばリゾート地、湖や川でヨットやカヌーを楽しむ。
その中心都市のミコワイキ、夏には賑やかなこの街も冬はひっそりと静まる。
この時期にミコワイキに行くというとポーランド人は皆頭をかしげる。冬にここを訪れるポーランド人はあまりいない。では何を目的に行ったのか?理由は簡単、凍った湖を見てみたかったから。
湖はすべて真っ白に凍っていた。緑と青の夏とは対照的にモノトーンの世界になる。温水プールやサウナを備えたホテルは、意外にもロシア人やドイツ人の観光客で賑わっていた。物価が安いのでお手頃な冬の観光地なのだろう。
氷の上に人が立っている。冬の間、人々はワカサギ釣りや氷上のスポーツを楽しむようだ。
氷上ヨットとでも呼ぶのだろうか。
こういったすごいマシンまである。
このあたりは歴史的にドイツの影響が強い地域、レストランのメニューもポーランド語、ロシア語、ドイツ語で書かれていて、英語はない。この近くに「ヴォルフスシャンツェ(狼の巣)」と呼ばれる、ナチスドイツ、ヒトラーが造った大本営、秘密基地の残骸がある。ちなみに「狼」とはヒトラーのこと。
第二次大戦中、ヒトラーお気に入りの大本営だったようだ。トム・クルーズ主演の映画にもなった、ヒトラーの暗殺計画(ワルキューレ作戦)の舞台になった場所だ。
森の中にひっそりとその大本営は潜んでいた。
ドイツの敗戦が決定的となって、ほとんどの施設が証拠隠滅のために破壊された。今残っているのはコンクリートの残骸ばかり。
こんな場所を真冬に訪れる奴はほとんどいないのだろうが、ちゃんとガイドの人がいた。
電線や電話線がリアルに残っていて、そこが当時の最先端技術を駆使した秘密基地であったことがうかがえる。
冬の寂しさとこの残骸が妙にマッチしていた。
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海外旅行の楽しみと言えば、観光、食事、文化、芸術といったところだろうか。でもその全てをかなえてくれる街はそんなにない。ましてや首都は、どこも地方都市に比べて景色などで見劣りすることが多い。
そこで紹介したいのがポルトガルの首都リスボンだ。この街一つですべての要素を満足させてくれる美しい街だ。
食事もタコなど魚介類を好んで食べ、味付けもシンプルなところが、日本人にとってはうれしい街だ。
高台から見下ろしたリスボンの街。白い壁と茶色の屋根が太陽と海(正確にはテージョ川の河口)の青さに非常にマッチしている。
丘の上に造られたこの街は、立体的に海(河口)に繋がる。
どこか港町の風情がある。大航海時代、この街から多くの船がインド目指して旅立っていたのだろう。
でも立派なEU加盟国の首都なのだ。
街並みは他のヨーロッパ諸国とよく似ている。でも何故かあまり気取りがなく、優しさを感じる。それは国民性のせいかも知れない。
110年前に造られた「サンタ・ジュスタのエレベーター」。観光名所の一つだ。この街は上から見ると本当に美しい。
坂の多いこの街ではケーブルカーと市電が市民の足。
いたるところに走っていて、細い道路でもうまく車と共存している。
こういった小粋さが街並みと上手くマッチしている。
世界遺産の一つジェロニモス修道院
インド航路を開拓したバスコ・ダ・ガマが持ち帰った香辛料で得た利益を資金として造られたという。
非常に重厚な内部で、一見の価値あり。
これも世界遺産のベレンの塔。実際には軍事的要塞で、独特のデザインで城のように見える。
食事も美味しく、見所満載のこの街、是非立ち寄って欲しい。
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舞台はいったんヨーロッパに戻って。
世界をあちこち旅してきたというと、お勧めは何処ですか?とよく尋ねられる。趣味嗜好によって旅先の善し悪しは変わるのだが、自然の景色好きの自分は、院長イチオシのヨーロッパの穴場、クロアチアをお勧めする。
クロアチアと聞いてピンと来ない人も多いと思う。
クロアチアは1991年に旧ユーゴスラビアから分離独立した国で、バルカン半島の付け根に位置し、アドリア海に面してイタリアと向かい合う。歴史的には海岸部のダルマチア地方はベネチア共和国の属州であったことからも、ローマ帝国の影響を強く残している。食事もイタリア料理に近く非常に美味しい。
クロアチアは山、美しい海、歴史建造物、美味しい食事と色んな要素を満たしてくれる。今回はクロアチアの行程に加えて、数奇な歴史をたどった、ボスニア・ヘルツェゴビナの首都サラエボにも足を伸ばし、今もなお深く残るボスニア紛争の傷跡も垣間見た。まずは全体をさっと紹介する。
まずはクロアチアが誇る世界自然遺産のプリトヴィッツェ国立公園。立体的に滝で繋がる湖とエメラルド色で透き通った湖水が神秘的だ。
ボスニア・ヘルツェゴビナの首都サラエボ。サラエボの冬季オリンピック会場は今、大きな墓地となってしまっている。
ボスニア紛争後に再建されたモスタルのスタリ・モスト(古い橋)は世界遺産に登録されている。
「アドリア海の真珠」 ドゥブロヴニク。実際は異なるようだが、ジブリアニメ「魔女の宅急便」の舞台の様な街。
アドリア海に浮かぶ島々のビーチ、これもジブリアニメ「紅の豚」そのもの。熱帯の珊瑚礁の海ではないが、とにかく海がきれいだ。
クロアチアのビシェヴォ島では、本家カプリ島に勝るとも劣らない「青の洞窟」がある。
ローマ遺跡のような街スプリト。
クロアチアの首都ザグレブ。地味だが何か感じのいい街だ。
次回からそれぞれのスポットを詳しく紹介していきたい。
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今回の旅程はクロアチアの首都ザグレブの空港でレンタカーを借り、陸路でプリトヴィッツェ湖群国立公園ーサラエボ(ボスニア・ヘルツェゴビナ)ーモスタル(ボスニア・ヘルツェゴビナ)ードゥブロヴニクースプリト、スプリトから船でアドリア海の島へ渡り、帰りはスプリトから寝台列車でザグレブへ戻る行程だ。
まずはクロアチアが誇る世界自然遺産のプリトヴィッツェ湖群国立公園をめざす。
これがプリトヴィッツェ湖群国立公園の案内板。16の湖が立体的に8kmにわたって滝でつながって、美しい景観をつくり出している。
公園内には所用時間によって何通りもの散策ルートがあり、このような遊歩道を歩いていく。
森の中の散策は、すごく気持ちがいい。
この地域の地質が石灰質であるためか、湖水はエメラルド色で、
何故か異常なまでに透き通っている。
湖の底の様子まで透けて見える。
魚もたくさん寄ってくる。
エメラルド色の水の中に魚の姿が浮かび上げって見える。なんだか不思議な光景だ。
遊歩道の脇にはこの様なかわいい花々が咲いている。
緑の中に原色が映える。
湖と湖はこのように滝で立体的につながる。
それぞれの滝には名前が付いていて、特徴を表していて面白い。
何といっても、このプリトヴィッツェ湖群は高いところから見下ろす景色が美しい。
湖と湖を滝がつなぐ間に遊歩道が通っている。
これが有名なプリトヴィッツェの景色、立体的に湖がつながる。
この景色はある場所に行かないとみることが出来ない。散策ルートの中には入っていないルートも多い。インフォメーションセンターの人に写真を見せて、この景色が見える場所をと教えてもらった。これを見なくてはここに来た値打ちがないのだ。
この美しい景勝地も1991年のクロアチア紛争ではセルビア人に占拠され、一時はユネスコ世界遺産の危機遺産リストに登録されたことがあった。
次回はボスニア紛争の戦場と化したボスニア・ヘルツェゴビナの首都サラエボを訪れる。
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次に訪れるのは、クロアチアの隣国ボスニア・ヘルツェゴビナの首都サラエボ。サラエボと聞いて、どこの国?と考える人が多いと思うが、サラエボ・オリンピックというと覚えている人も多いだろう。1984年に行われ、カタリナ・ヴィット選手らが活躍した冬期大会だ。当時はまだユーゴスラビアであったが、その後に分離独立した。ボスニア紛争では1992年から4年間にわたり敵軍に街が包囲され、多くの犠牲者を出した。これらの写真は2005年8月当時のものである。
プリトヴィッツェから陸路ボスニア・ヘルツェゴビナ国境へ。クロアチア側に比べシャビーな国境だ。
職員の事務所もこんな様子。経済格差を感じる。
山間ののどかな農村地帯を走る。
道中、所々の店先でこのような光景を見た。豚の丸焼き?と思っていたが、ここはイスラム教徒の多い国、羊の丸焼きだった。間近で見ると結構グロテスク。
その名も「サラエボ・ビール」、国際コンクールで何度も賞を取ったビールらしい。
サラエボに向けて走っていく。今回の写真の多くは、カメラを向けづらい被写体が多く、車の窓越しに撮ったものがほとんどなので、写真のできはご容赦いただきたい。あくまでも雰囲気が伝わればと思う。
何の変哲もない普通の街の光景だが、家の外壁には生々しい銃弾の痕がいっぱいだ。
今は普通に生活をしていて、生活感がある家だけに、傷跡が生々しく感じる。
水玉模様のように銃弾の痕が残っている。
そろそろサラエボ市内に入ってきた。
今はこのようなモダンな建物も見られるようになった。
市内中心部にある象徴的な高層ビル。
銃弾の痕で廃墟のようになったままだ。
瓦礫のようになったビルもそのまま放置されている。
このような商業ビルさえ、銃弾の痕がいっぱいだ。
市の中心部から少し離れた、オリンピック会場を目指す。
今回サラエボに来た目的はこのオリンピック会場の様子を子供達に見せるためだ。
五輪のマークが何かもの悲しそうな塔。
かつてのオリンピック会場は今、ボスニア紛争の多くの犠牲者が眠る、広大な墓地となってしまっている。
これらは恐らくイスラム教徒のお墓、宗教によってグループ分けされているのだろうか。
平和の祭典であるオリンピック会場が、戦争の悲しみの場所と化している。何とも皮肉な話だ。
旧市街にある職人街、バシチャルシァ。色んな土産物屋が並ぶ。オスマントルコの影響を受けた建物が何ともオリエンタルな雰囲気を醸し出す。
観光客で賑わう観光地になっている。
ユーゴスラビア時代1970年代にフィアットをライセンス生産した、ユーゴスラビア製の車「YUGO」
次回は平和再建の象徴、世界遺産のモスタルへ。
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戦禍の街サラエボを後にし、次の目的地、ボスニア・ヘルツェゴビナ初のユネスコ世界遺産、「モスタル旧市街の古い橋の地区」へ向かう。
モスタルの街はイスラムの香りのする、静かな田舎町といった印象だが、紛争の最前線であったことから、街中のいたるところにその傷跡が残っている。
建物の壁には無数の銃弾の跡が残っている。
廃墟となってしまったまま残されている建物がもの悲しい。
半分だけが修復された集合住宅。まだまだ復興の途中であることを物語っている。
この道はアドリア海に面したクロアチアの観光地、ドゥブロヴニクやスプリトに繋がっている。ここを左に入ると「スタリ・モスト(古い橋」がある。
ここが「スタリ・モスト(古い橋」への入り口
観光客用に周辺の店も綺麗に整備されている。
みやげ物をのぞくと、きれいな細工物。よく見ると銃弾の薬きょうに細工をした物だ。
峡谷を流れるネレトヴァ川にイスラム寺院の尖塔が美しい。紛争時、この川を挟んでイスラム教徒とキリスト教徒が対峙していた。
スタリ・モストはオスマントルコ支配下の重要な建築物の一つであったが、1993年クロアチア側(カトリック勢力)によって破壊されてしまった。紛争終結後2004年に再建され、平和復興の象徴となっている。
この橋の真ん中から川に飛び込むのが、街の若者の伝統になっている。浅そうに見るのだが。。。
スタリ・モストはアーチ状の橋で、1088個の地元で切り出された石で出来ている。技術的にかなり高度なものであったらしい。
次の目的地ドゥブロブニクへ向けて、クロアチア側への国境を越える。
アドリア海へ出た。何ともきれいな海沿いのハイウエーを走る。
クロアチアの一大観光地であるドゥブロブニクはいわゆる"飛び地"で国土が途中で途切れている。クロアチア側から、いったんボスニア・ヘルツェゴビナへ入国して再びクロアチアへ入らなくてはいけない。これが2回目の国境。
次回は魔女の宅配便に出てくるような街、ドゥブロブニクから。
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今回はクロアチアきっての観光名所、世界遺産「ドゥブロヴニク」を紹介する。この地はクロアチア本土とは陸続きではなく、いわゆる飛び地になっており、陸路からだといったんボスニア・ヘルツェゴビナを通過することになる。観光シーズンにはフランクフルトなどからドゥブロヴニクへ直行便も出ている。
半島のように海に飛び出た旧市街は、「アドリア海の真珠」と謳われる。
アドリア海の濃いブルーに赤煉瓦がよく映える。
この街は、中世に海洋都市として交易で栄えた。
当時の砲台が今も残っている。
屋根の色が統一されていて整然と並んでおり、非常にかわいらしい街並みだ。
この街には今でも普通に人が住んでいて、洗濯物が干してあったり、生活の匂いがする。
実際には異なるようだが、アニメ「魔女の宅急便」の街並みを思い描いてしまう。おしゃれな港町といった感じだ。
実際に街の中を歩いてみると、カフェやみやげ物屋などもあり、いい感じである。
高い壁には、さすがに重厚感がある。
細い路地にも、非常に趣きあがる。
旧市街のすぐ隣にはプライベートビーチがある。
トップレスの女性が多く、目のやり場に困ってしまう。
こういった街中の海なのに、水は非常に透明感が高く美しい。アドリア海は本当に綺麗な海だ。
こんな具合に海に浮かびながら、世界遺産を見物することもできる。これは贅沢。
夕暮れ時を狙って高台に上がった。
ここから見る旧市街は本当に美しい。
ホテル・エクセルシオールからの夜景。旧市街がライトアップされて幻想的に浮かび上がる。
ドゥブロブニクでは是非このホテルに泊まって欲しい。レストランからの眺めが、朝も夜も本当に美しい。
高台からの夜景ももちろん美しい。
次回はアドリア海の島に渡り、クロアチアの「青の洞窟」を紹介する。
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クロアチアの旅も後半戦、これからは美しいアドリア海の島々を紹介する。
まずは、クロアチア版「青の洞窟(モドゥラ・シュピリャ)」。「青の洞窟」といえば、イタリアのカプリ島が有名だが、クロアチアには本家を凌ぐモノがあるという。
ドゥブロブニクから陸路スプリトまで北上し、そこでレンタカーを返却して、フェリーでVis島(ヴィス)へ渡る。
「青の洞窟」へは何通りかの行き方があるのだが、我々はVis島に宿をとって、そこからのツアーに参加した。
これがVis島、派手さのない素朴な島だ。
アドリア海で夏を楽しむヨットがたくさん泊まっている。
村の海水浴場という感じ。
でも、水は透き通っていて、すごくきれいだ。
共産圏の象徴、大衆車の現地生産フィアット。こんな具合に改造されているのが、民主化の証か?
ボートで「青の洞窟」のあるビシェヴォ島(Biševo)へ到着。
珊瑚礁の海を彷彿させるぐらいきれいな海だ。
ここから小型ボートで青の洞窟へ向かう。
これが、青の洞窟の入り口。
頭を打ちそうな入り口を入っていく。
暗闇の中をゆっくりと進んでいくと。
蒼く輝く光が見えてきた。
こりゃなんだ!と驚くぐらい美しい。
幻想的に蒼く光り輝く海。よく下を見ると海が限りなく透き通っている。
恐らく色んな自然条件が偶然に重なることによってできる、自然の芸術であろう。
もちろん、好天の日にしか見ることは出来ない。
中から入り口を見ると。
自分はイタリアのカプリ島には行ったことはないが、この青の洞窟は見る価値の高い逸品景色。美しい。すばらしい。
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クロアチアの観光案内を見ると、写真のような面白い形をした何とも美しいビーチが紹介されていた。
Brac(ブラチ)島のBOL(ボル)にあるZlatni rat(ズラトニ・ラット)というビーチで、「黄金の角」という意味だそうだ。ヨーロッパで有数の美しいビーチとのことで、早速行ってみた。
フェリーでBrac島へ渡り、陸路BOLを目指す。何かそれらしい景色が見えてきた。
海の透明度が高く、熱帯の海を彷彿させる。
確かにきれいな砂浜が、角のように海にせり出している。
ビーチそのものは素朴なビーチだ。とにかく海が透き通っている。
沖の方を見ると、豪華な大型ヨットが何隻も停泊している。聞くところによると、イタリアの有名サッカー選手がお忍びでやって来るらしい。島のレストランに食事に上がって来ることもあるらしい。確かに海の向こうはイタリアだ。
世界遺産、スプリトの街へ戻ってきた。
スプリトを中心としたダルマチア地方は、中世にヴェネチア共和国の属州として栄えた地域。イタリアの遺跡を見ているような感じだ。
ちなみに101匹わんちゃんのダルメシアンの原産地ともいわれる。
ライトアップされた遺跡はなかなか幻想的。
その遺跡が今様に使用されているのも面白い。
港には、外国航路の船が停泊する。
スプリトから首都のザグレブまで寝台列車で移動する。洗面台まで付いた、なかなか機能的な寝台列車だ。次回は今回の旅の終着点、ザグレブの街。
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クロアチアとボスニア・ヘルツェゴビナを巡る旅の終着点、クロアチアの首都ザグレブに着いた。
街の景色はごく一般的なヨーロッパの都市といった感じだが、ゴミなどがあまり落ちていなくて、こぢんまりとした綺麗な街だ。
休日の朝であったので人通りも少なかった。
ザグレブというと、ここのプロサッカーチームに三浦知良選手が一時期所属していたことで、街の名前を知っている人もいるかも知れない。
上品な黄色が目印の市庁舎、周囲にはたくさん花が植えられていて、ステキな街のシンボルだ。
大聖堂は改修工事中だった。
旧市街をぶらぶらと歩いてみる。
なにやら広場に沢山の人が集まっていた。
そこは青空青果市場だった。野菜や果物の色が鮮やかだ。
何ともレトロな秤が街に合っている。
追伸:クロアチアのおみやげにネクタイを買って帰る人が多い。何とクロアチアはネクタイ発祥の地といわれている。17世紀にクロアチア兵(クラバット)が首に巻いていたスカーフが起源と言われている。ネクタイは英語ではnecktieだが、フランス語ではクラヴァット(cravate)スペイン語ではコルバタcorbataで、クロアチア兵の呼び名がネクタイそのものの名前になっている。
「CROATA (http://www.croata.hr)」と言うブランドが有名で、各地に立派な店舗がある。デザインが素敵で、一時期日本でも販売されていたそうだ。
次回からは本格的に南米を紹介していく。
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「ドクトル・イトウの地球の果てまで 」も4年目に突入。まだまだ紹介したいシーンが沢山残っている。新年は何からスタートしようかと考えて、やっぱり冬らしい景色はヨーロッパだと、一旦舞台をヨーロッパに戻す。
院長の大好きな国、バルト三国の一つリトアニア。第24回、25回、26回で夏の景色を紹介した。このリトアニアの冬は厳しいが、素朴で何とも美しい。
首都ヴィリニュス旧市街のゲディミナス城もほんのり雪景色。
ヴィリニュスは旧ソ連の中でもファッショナブルな街と言われていたそうだ。
旧市街ピリエス通りは派手さはないが、石畳がいい感じだ。
何故か、この冬のヴィリニュスが大好きだった。
ナポレオンが愛した聖アンナ教会も雪化粧。
院長の宝物、聖アンナ教会のキャンドルハウス。
今では懐かしい、トロリーバスが街の足として走っていた。
凍てついた夜は、ライトに照らされて、これがまたいい感じ。
なんでもない路地も、絵になる。
ライトアップされて、暗い街に建物が浮かび上がる。
夜の凍った聖アンナ教会は特に美しい。
ヴィリニュス近郊にある、湖の中に浮かぶトラカイ城。夏の保養地として有名で、その美しい景気を第25回で紹介した。
何故か冬のトラカイ城を見たくなった。現地のスタッフは、「何をしに行くの?」と皆首をかしげた。冬にここを訪れるひとはほとんどいないらしい。
夏のリゾート地として知られるトラカイ城だが。
冬は湖が凍って、氷の中に浮かぶ城となる。
夏はヨットが似合うのだが。
白い世界に浮かぶトラカイ城は、空の青とのコントラストが美しい。
ふと見ると凍った湖面を歩く人がいた。
本年もよろしくお願いします。
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東ヨーロッパ、ポーランドの冬の何気ない原風景をもう一つ紹介する。
自分たちが住んでいた、ワルシャワ郊外のコンスタンチン地区。我が家のあるコンパウンドのすぐ裏は、川の土手になっていた。
ここは休日のちょっとした散歩道だった。冬のポーランドの日没は早く、午後3時を過ぎると薄暗くなってくる。
10分足らず歩くと水門があり、その貯水池が白鳥の飛来地になっているのだ。
沢山の鴨に混じって、白鳥たちが集まって来ている。
このあたりでは何気ない冬の風景なのだが、自分の家のすぐそばに白鳥の飛来地があるというのは、凄いことなんだと思う。
それにしてももの凄い数の鴨たち。ちなみにポーランドの代表料理の一つが、鴨の丸焼きのリンゴソース添え。
凍りつくような景色と白鳥はなぜかよくマッチする。
日も暮れてきた。
コンスタンチンの森も本格的な冬景色。
このモノトーンの静かな景色が凄く懐かしい。
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ポーランドで4年間生活して、何度も訪れたアウシュビッツ強制収容所。日本人にとっては、なかなか訪れる機会の少ない場所なので、是非とも伝えたいと思うのだが、書きたくても、どう書いていいのかわからず、なかなか書くことが出来なかった。ポーランドのレポートもそろそろ最後になるので、これから3回シリーズで自分なりにこの地で何が行われていたのかを書いてみたい。
ポーランドの古都クラクフ。首都のワルシャワが東京なら、クラクフはまさに京都。17世紀にワルシャワに遷都されるまで、ポーランド王国の都があった街だ。
クラクフ旧市街は、観光の拠点であると共に、市民の生活の場でもある。生活の匂いのする、活気ある旧市街だ。
高さの違う二つの塔を持つ聖マリア教会。13世紀にここを襲撃したモンゴル軍との逸話が残っている。モンゴル帝国はこんなところまで来ていたんだと、その巨大さにつくづく感心する。
観光用の馬車で旧市街を巡ることが出来る。
冬のバベル城。冬のクラクフは何ともしんみりと寂しいのだが、自分はこの静寂感が結構好きだった。
民族衣装で音楽を演奏する人達。
この観光で華やかなクラクフの近郊に、映画「シンドラーのリスト」で有名になった、シンドラーさんが経営していた
工場跡が今も残っている。
この街とユダヤ人の歴史は古い。中世、ヨーロッパ中でユダヤ人が迫害されていた頃、ポーランドではユダヤ人の権利が保護されていたため、迫害をのがれて、ユダヤ人達はポーランド王国へ集まって来た。
クラクフ近郊にあるカジミェシュ地区。中世の頃からユダヤ人が多く住んでいた場所だ。
街には、何かもの悲しさを感じる壁がいたるところにある。元々ユダヤ人の居住区であったカジミェシュは、ナチス・ドイツ占領下で、「クラクフ・ゲットー」となり、壁で外部と遮断され、ユダヤ人の隔離地域となった。
ユダヤ教の教会、シナゴーグ。
壁にはヘブライ語のポスターが貼られている。
ユダヤ音楽を聴きながら、ユダヤ料理を楽しむレストラン。今ではユダヤ文化を楽しむ街となっている。
今は何の変哲もない駐車場なのだが、
「シンドラーのリスト」のワンシーンでもある、アウシュビッツ強制収容所行きかどうかを判定される場所だった。写真は当時のもの。
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ポーランドの古都クラクフから約60km離れたオシフィエンチム市(ドイツ語名:アウシュビッツ)に、悪名高きアウシュビッツ強制収容所がある。クラクフから車で1時間ほどの距離だ。恥ずかしい話であるが、自分はポーランドに赴任するまで、アウシュビッツがポーランドにあるとは知らず、ドイツ国内にあるものだと思っていた。
この強制収容所は今は「アウシュビッツ・ミュージアム(博物館)」となり、当時の記録や資料が多く展示してある。
これが有名な収容所の入口だ。中には、重厚なレンガ造りの建物が並んでいる。冬に訪れる収容所は、特に重たい空気を感じる。
この「アウシュビッツ・ミュージアム」には二つの顔がある。一つはホロコースト(ナチス・ドイツが組織的に行った、ユダヤ人などに対する大量殺りく)の悲慘さを後世に伝える博物館としての顔、もう一つの顔は犠牲になった方々の「お墓」だ。こういった意味から、入場には二つの方法がある。ガイド(ポーランド語、英、仏、独、西、日)を頼んで説明を受けながら見て回る場合には、ガイド料と入場料が発生する。ガイドを頼まずに入場する場合は無料なのだ。「お墓参り」に入場料は不要という考えだ。
自分はこのミュージアムに5回ほど訪れた。ポーランドに訪ねて来た友人達は皆一様に、行くべきかどうか迷っていた。興味本位で訪れる場所ではないが、見ておかなくてはならない場所だからだ。
最初に訪れたときはガイド無しで見て回った。2回目に訪れた際にガイドを頼んで説明を聞いていると、前回の訪問時に自分なりに解釈していたことが、あまりに間違っていたことに愕然とした。
「アウシュビッツ・ミュージアム」には外国人で唯一、公式ガイドの資格を持った日本人の中谷剛が働いておられる。我々はありがたいことに、日本語でガイドしてもらうことができるのだ。この地を訪れる方は是非とも中谷さんにガイドをお願いするべきだ。
アウシュビッツに子供を連れて行っても良いかという質問をよく受けた。残酷な映像に子供がショックを受けるのではないかと心配するからだ。中谷さんは、次代を担う若者に是非とも見て欲しいと言われていた。小学校高学年ぐらいの子供達からは是非とも見せるべきではないかと自分は思う。
入口には"ARBEIT MACHT FREI"、ドイツ語で「働けば自由になれる」と記されている。"B"の文字が上下逆さまのように見えるが、これは、これを造らされた囚人達の抵抗の証だとする見解がある。
この図は、ヨーロッパ全土からこのアウシュビッツの地へユダヤ人達が運ばれてきたことを表している。
このアウシュビッツ強制収容所は、ナチス占領下で、当初はポーランド人政治犯の収容所として建てられたが、徐々にその目的が変わっていき、ユダヤ人の大量虐殺施設へと変貌していく。
写真は収容所に送られてきた人々の様子。女性や子供も多く含まれていた。労働力にならない、女性や子供、老人達はすぐにガス室に送られたそうだ。
収容所に到着した人々を歓迎して開かれる演奏会の様子。演奏していたのは囚人達で、恐ろしいデモンストレーションだ。
この地に送られてくる人たちは、新しい生活の場を求めてやってきたわけで、殺されるとは思っていなかった。
収容所の周囲には鉄条網が張り巡らされている。
冬の収容所内はモノトーンの世界でもの悲しい。
夏は緑が生い茂る。
見張り台と所々にあるどくろマークが恐ろしい。
収容者達が着せられていた、縦縞の囚人服
この地で犠牲になった方々の写真と名前が整然と並んでいる。
所々の写真に、花が飾られていた。恐らく子孫の方々が手向けられたのだろう。ここが「お墓」である意味がわかった。
収容所内の様子だ。ここで雑魚寝状態で寝かされていたのだろう。
次第に収容者の人数が増え、手狭になって来たのであろう、生活環境はどんどん悪化していく。レンガ造りの3段ベッドにわらが敷かれているだけだ。
洗面場
トイレの様子
収容者とは対照的な看守部屋の様子。
栄養失調でやせ細った子供達の姿。
この花が手向けられた壁は「死の壁」と呼ばれる、銃殺が行われていた壁だ。
死の壁の周囲の建物の窓には目隠しがされており、その音だけが聞こえ、収容者達により恐怖心を与えたそうだ。
収容者達がどんどん増え、大量に"処理"をする必要に迫られたのであろう。これが「シャワー室」と呼ばれたガス室だ。
シャワーと偽って、裸でこの部屋に詰め込まれ、チクロンBという毒薬で大量殺りくが行われた。
部屋を見学していて,息が詰まりそうになる。
ガス室のすぐ横にある、遺体の焼却炉。機械的に遺体はここに運ばれて焼却されていった。すべてがシステマティックに進められているところが、何とも恐ろしい。
焼却炉にはろうそくと花が供えられていた。
収容者達が持ち込んできた荷物を種分けして保管してある。ドイツ人気質がこういった面にも出ているのか。
これらは皆、靴だ。
くしやブラシ類
これはメガネだ。
これらは鍋だ。殺されるとわかっていたらこのような物は持ち込まなかっただろう。収容者達は新たな生活の場に移るという感覚で生活道具一式を持って、ここに運ばれてきたことがわかる。
義足や松葉杖など
カバンの山だ。名前や住所が書かれてある。もちろん、もう一度手元に戻ると思っていただからであろう。
女性の髪の毛までもが集められている。
これは、収容者の髪の毛で織られた毛布だ。人はここまで冷酷になれるのであろうか。
中谷さんが言われていた。収容所のすぐそばには看守達の家が有り、そこには家族との普通の生活があった。普通の人間的な生活の場とホロコーストの現場が隣り合わせに存在し、彼らは優しい夫であり、父であり、残忍な看守にもなれた。それは自分達とて、そうなる可能性のあることで有り、人間の恐ろしさ、戦争の恐ろしさであると。
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前回で紹介したアウシュビッツ博物館の様子を見て、映画などで見るアウシュビッツのイメージとずいぶん違うな、と思われた方も多いのではないだろうか。
実はオシフィエンチム(アウシュビッツ)の郊外に第2アウシュビッツと呼ばれる、もう一つの収容所、ビルケナウ強制収容所があるのだ。写真右下角にある「AUSCHWITZ I」と書かれた施設が、前回紹介した元々のアウシュビッツ強制収容所で、元はポーランド人政治犯やソ連兵捕虜が収容目的であったので、施設もあまり大きくはない。その後、アウシュビッツの目的がユダヤ人の大量虐殺となり、ユダヤ人を大量に収容し、「処分」する施設が必要となって、近辺の広大な敷地に粗末な収容施設が急造された。写真左の破線で囲まれた施設「AUSCHWITZ II」はそのビルケナウ強制収容所(第2アウシュビッツ強制収容所)だ。
貨車に詰め込まれたユダヤ人達が、列車ごと施設の中に運ばれていく。映画でよく目にするワンシーンだ。
アウシュビッツでは学生らしき集団をよく目にする。イスラエルから来た学生達だ。彼らは修学旅行のようにこの地を訪れ、先祖達が受けた苦難を学ぶらしい。
一つ興味深い話を聞いた。こういったユダヤ人学生のグループには必ず、セキュリティー(警護員)が同行しているといのだ。我々からは理解できない感覚だが、今もなお、そういった恐怖感や危機意識を持っていると言うことなのだろうか。イスラエルという国が、セキュリティーの非常に発達した国である意味が少しわかった様な気がした。
大半の収容施設は壊されて今は残っていない。
収容施設であったバラックが一部に残っている。前回紹介したレンガ造りのアウシュビッツとは比べものにならない、粗末な建物だ。この施設でむかえる冬のビルケナウは、想像を絶する寒さであっただろう。
もちろん、収容所の周囲は鉄条網で囲まれている。
ビルケナウが、いかに広大な敷地であるかということがわかるだろうか。
ドイツ軍が敗北し、証拠隠滅のためにガス室は爆破され、今は残骸だけが残っている。
運命を分けた、二手に分かれた線路。
労働力になる者は収容され、子供や老人、病人など労働力にならない者達は、そのままガス室送りとなった。
これがトイレだ。
映画「シンドラーのリスト」で、子供がこの中に隠れていた様子は印象的だ。
収容者達は粗末な三段ベッドに詰め込まれていた。
当時の様子だ。
もう一つ興味深い話を聞いた。このアウシュビッツ博物館やビルケナウ強制収容所の施設維持管理に、ドイツ政府が今もなお費用を負担しているというのだ。自らの戦争責任を明白にし、今もなおその賠償を続けている。この辺は日本の韓国や中国に対する対応と少し異なるような気がする。
なかなか書けなかった題材を敢えて書かしていただいた。こういった感想や評価は人によって異なるのであろう、しかし、人類史上で最も残酷な行為が、組織的に理路整然と行われていた場所であったことには違いない。人間にはこういったことが出来る恐ろしさがあることを、我々は認識しなくてはならない。
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「ドクトル・イトウの地球の果てまで」も、とうとう100回目を迎えた。クリニックの開院と同時に始めて、足かけ3年4ヶ月だ。最近では、「先生、ブログ読みましたよ!」と声を掛けて下さる方もいて、嬉しい限りである。まだまだ書きたい事は残っているので、もうしばらくお付き合い願いたい。
中南米編へ戻る前に、もう少しヨーロッパを寄り道して、ロシアを紹介しようと思う。
ソチ・オリンピックで沸いたロシアだが、旅行で行くにはビザが必要であったり、他の西欧諸国を旅するようにはなかなかいかないことも多い。今回はロシアの古都、サンクトペテルブルグを紹介する。
サンクトペテルブルグはネヴァ川の河口に、帝政ロシアのピョートル大帝によって1703年に築かれた人工都市である。ロシア帝国の首都であり、ソ連時代はレニングラードと呼ばれた。
街には運河が発達しており、街並みは西欧風だが、教会などはロシア独特だ。
地下鉄も整備された大都市だが、未だに懐かしいトロリーバスが走っており、共産圏らしい雰囲気だ。
旧海軍省の建物
川には船が行き来して、ここが港湾都市であることがわかる。最近は日本企業が進出していて、トヨタ、日産、スズキが大規模な自動車工場を稼働させている。
港町独特の雰囲気が漂う。
対岸に見えるのは、ペトロパヴロフスク要塞だ。歴史上、この地はスエーデンが支配していた時期があり、ロシア帝国がスエーデンから奪い返したこの地を防衛するために造った要塞だ。
川縁は市民の憩いの場所になっている。
モスクワ・オリンピックのマスコットは子グマの「ミーシャ」であった。子グマが見世物になっているところが、ロシアらしい。チップを払えば抱かせてくれる。
西欧風の落ち着いた街並み。ソ連時代の無機質な建物とは雰囲気が異なる。
広告に混じって、政治的なスローガンが掲げられている。
今ではアメリカ文化の象徴であるマクドナルドも、当たり前のようにある。
「ソ連」をイメージするような軍服を着たおじさん。
郊外にでると、「ソ連」らしい、無機質で無表情な団地がならんでいる。
終わること無く、延々と続いていく貨物列車。
では、街の名所を紹介していきたい。まずは何と言っても、世界三大美術館の一つ、エルミタージュ美術館だ。
ネヴァ側に面して建つ、美しく堂々とした建物だ。
元々は、女帝エカテリーナ二世の、自ら買い集めた美術品の展示室であったらしい。現在のエルミタージュ美術館は王宮であった冬宮と三つの離宮、劇場から成る。
冬宮は美術館というより、宮殿そのもの。有名な「大使の階段」
紋章の間
謁見の間
「1812年戦争の画廊」と呼ばれる通路で、両脇に1812年戦争の将軍の肖像画がかけられている。
通路も重厚感がある。
エルミタージュ美術館の裏側は広場になっており、宮殿広場と呼ばれている。中央にはナポレオン戦争の勝利を記念して造られた、高さ47.5mのアレクサンドルの円柱がそびえている。
エルミタージュ美術館の反対側には旧参謀本部の建物とアーチが広場を囲むように建っている。
日露戦争の時に起こった、「血の日曜日事件 (1905年)」が起こった広場としても有名だ。
アーチから広場を望む。
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今回は、ロシア料理から。
サンクトペテルブルグのレストランが発祥ともいわれている、「キエフ・チキン」。キエフ風カツレツなどとも呼ばれ、チキンカツの中にたっぷりのガーリックバターが入って、切ると中からバターが流れ出てくる。キエフとは、今混乱しているウクライナの首都の名前。でもウクライナ料理ではないようだ。
もう一つ、ロシアの代表的な料理、ビーフ・ストロガノフ。細切り牛肉の野菜炒めにサワークリームを合わせた料理で、ストロガノフ伯爵家の名前が起源と言われている。
なにげに停まっていた、「動く公衆トイレ」。これはけっこう珍しい。
ロシア正教の教会、聖イサク大聖堂。金色のドームが美しい。
ピョートル大帝像と聖イサク大聖堂
イサク広場から並木越しに眺めた聖イサク大聖堂。
中に入ってみると、その重厚感と荘厳さに圧倒される。
今までいろんな教会を見てきたが、この教会は特に美しい教会だった。
局面を多く取り入れて、壁画と模様のなすコントラストが美しい。
特に、内側から眺めたドームはすばらしい。
ライトアップされた大聖堂
では、サンクトペテルブルグ観光の目玉、エカテリーナ宮殿を紹介する。
その名の通り、ピョートル大帝の后であったエカテリーナ1世に由来した、ロココ調の宮殿で、サンクトペテルブルグ郊外にある。ベルサイユ宮殿を模して造られたなどと言われている。
舞踏会が開かれていた大広間
何から何までキンキラキン。
立派なデルフト焼き(オランダ)の暖炉。これだけで美術品だ。
壁のレリーフが美しい。
でも、エカテリーナ宮殿を見学していて、なんか違和感を覚えたのは自分だけだろうか。なんかどこかで見たような。。。というものが多い。つまり、西欧の建築様式、美術品、調度品を金に飽かせて集めたという感じで、ロシアらしさというか、何かオリジナリティーを感じなかった。
有名な「琥珀の間」
壁が全て、琥珀でできている。
第二次世界大戦中、琥珀がドイツ軍に持ち去られ、琥珀の間は失われていたが、2003年に復元されたそうだ。
市内に戻って、周囲とは変わった雰囲気の教会、「血の上の救世主教会(スパース・ナ・クラヴィー教会)」を紹介する。
変わった雰囲気と言うよりも、むしろロシアらしい雰囲気がする教会といった方がいいかもしれない。逆に、他の建築物が西欧の模倣で、むしろロシアらしくない様な感じがする。
この教会は暗殺された皇帝、アレクサンドル2世を弔うために建てられたそうだ。
見る方向によっていろんな見え方のする、本当におもしろい建築だ。
ロシア革命によってソ連となってからは、教会は閉鎖され、第二次世界大戦中は野菜倉庫として使われたそうだ。教会自体も数奇な歴史を歩んでいる。
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クリスマスも近いので、舞台を再度ヨーロッパに戻して、スキーの話題を少し。欧米には有名なスキー場はたくさんあるが、スキーだけでなく。食事も楽しめ所は意外と少ない。そんな中で、院長イチオシのスキー場が、イタリアのドロミテだ。スキーと美味しい食事だけでなく、観光までも楽しめる。ミラノやベネチアから列車で現地に向かうので、帰路にこういったイタリアの主要都市を観光することが出来る、一石二鳥なスキー場なのだ。
ドロミテはイタリアの北東にあり、東アルプス山脈の一部で、非常に広大な地域だ。コルチナなどが有名だが、今回紹介するのは「ヴァル・ガルデーナ (Val Gardena)」のオルティゼイという小さな街だ。何か日本の温泉街といった雰囲気だ。
しかし、ゴンドラで山頂に登ると、そこにはとてつもなく広大なスキーゲレンデが広がっている。
荒々しい茶色い岩肌と白い雪のコントラストが美しい。
標高が森林限界を超えているので、樹木が無く、ゲレンデがどこまでも続く。ここが日本のスキー場と大きく違うところだ。
雪質はサラサラのパウダースノー。何かスキーが上手くなったように錯覚するほど滑りやすい。
レストハウスが見えてきた。イタリアスキーの魅力は何といってもスキーと食を楽しめるところ。「ゲレンデめし」と言っても、無茶苦茶美味い。いわゆるビュッフェスタイルではなくて、焼きたてのピザや茹でたてのパスタが楽しめる。まずはグラッパを一気のみで暖まり、料理を楽しんで、エスプレッソでしめる。エスプレッソには砂糖を入れるのがイタリア風。
のんびりクルージングと言っても、延々と終わり無く滑れる。
ヴァル・ガルデーナだけでもとんでもなく広くて、数日では楽しみきれないレベルなのだが、ここドロミテには「ドロミテ・スーパースキー」というとんでもないスキーパスがあり、とってつもなく広大なドロミテエリアをスキーで巡ることが出来る。
ちなみに、ドロミテの一部は世界自然遺産に登録されている。このゴツゴツとした茶色く荒々しい岩肌が、何とも言えない雰囲気を作り出している。
レストハウスのテラスで、ホットワインを楽しむのは至福の時間だ。
日没が早いので、スキーは3時ぐらいで終わりにして、ホテルに帰る。多くのホテルには温水プールが付いていて、のんびり温泉気分を楽しめる。街には公共のプールもある。ホテルの夕食はイタリアワインと共に毎日コース料理を楽しめる。恐らくこういったスキーはヨーロッパでもイタリアでしか味わえない様な気がする。
オルティゼイの村もクリスマス。
この時期は、ヨーロッパのどの街もクリスマス市が開かれる。いわゆる日本の縁日の様なものだ。
村の教会もライトアップされて、クリスマスムードを盛り上げる。
ホットワインを飲みながら、露店をのぞいてみると。
木彫りのお土産やクリスマス飾りで、見ているだけでも楽しくなる。
今回は帰路にベネチアに立ち寄った。同じ感覚でミラノに立ち寄ることも出来る。
ベネチアと言えば、やっぱりゴンドラ。
カンツォーネを聞きながら、運河を巡る。
マルコ・ポーロの生家があったりする。
冬のベネチアは何か落ち着いていていい感じ。ゴンドラ越しにサン・ジョルジョ・マッジョーレ教会。
運河の街ベネチアの救急ボート。
ベネチアのクリスマス。
サンタはゴンドラでやって来る。メリー・クリスマス!
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新年あけましておめでとうございます。「ドクトル・イトウの地球の果てまで」も5年目に突入。そろそろエピローグとなるが、もうしばらくおつきあいいただきたい。
新年一発目は、ヨーロッパのスキー場の話題をもう一つ。前回のイタリア同様、食事のおいしい旅先として有名なスペイン。そのスペインでも、燦々と降り注ぐ太陽のイメージが強いスペイン南部のアンダルシア地方に、立派なスキー場があることはあまり知られていない。
今回紹介するのは、「シエラ・ネバダ スキー場」。観光地として有名なグラナダから、バスや車で1時間程度でアクセスできる。美しい雪山が見えてきた。この辺りは3千メートル級の山々が連なる、シエラ・ネバダ 山脈だ。
この写真は2月下旬のものだ。グラナダ市内は温暖だが、高度が上がるに従って、道が凍結してくる。
麓の町に到着。ここで用具をレンタルして、ロッカーで着替える。非常にシステムが整備されている。
ここからゴンドラで一気に雪山へ登って行く。
「シエラ・ネバダ スキー場」はヨーロッパ最南端のスキーリゾートで、ワールドカップも開催されるレベルのスキー場だ。標高が高いので、雲の上のスキー場としても知られている。
イタリアのドロミテ同様に森林限界を超えているので、樹木がなく、限りなく見晴らしがいい。どこまでもゲレンデが続いている感じがする。
見下ろす景色からも、かなりの高地であることがわかるだろう。
雪質もきわめて良好で非常に滑りやすい。ゲレンデが横に広いので、だいたいのコースは中級程度であれば滑れる。
高速リフトが整備されていて、リフト待ちもほとんどない。非常に快適だ。
そろそろ、昼食タイム。レストハウスが見えてきた。ここからの見晴らしをみても、雲の上のスキー場といわれるのがわかるだろう。
イタリアほどではないが、ここの昼食もまずまずだった。
グラナダの街に戻って、アルハンブラ宮殿の夜景を楽しむ。
見所の多いアンダルシア地方の観光とヨーロッパ・スキーも楽しめる、欲張りなスペイン旅行は、院長一押しだ。
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今まで紹介したイタリア、スペインのスキー場とは比べものにならないが、もう一つ中欧スロベニアのスキー場を紹介したい。
スロベニアはクロアチアやセルビアなどと同じく、旧ユーゴスラビアから分離独立してできた国で、今はEUの一員だ。
地理的にはちょうどオーストリアの真下に位置する。今回はオーストリアから車で入国した。写真は国境の様子だ。
まずはスロベニアの有名な景勝地、ブレッド湖を紹介する。首都リュブリャナから約50km、静寂に包まれた幻想的な湖だ。
湖に浮かぶ島には、聖マリア教会があり、その姿が湖面に映し出されて美しい。後方にはアルプスの山々が連なる。
対岸には、崖の上にブレッド城がそびえる。
スロベニアの代表的なスキー場、クランスカ・ゴーラ。
規模も雰囲気もどこか日本のスキー場に似ている。
緩斜面が多く、家族ずれで賑わっていた。
西はイタリアに接したお国柄か、食事も結構美味しかった。
メルヘンチックな家を眼下に滑り降りて行く。
ついでに訪れた、首都リュブリャナの街の様子を少し紹介する。リュブリャナはこぢんまりとして可愛い街だが、どこか重厚感がある。ちょうどクリスマス市をやっていた。
待ちの繁華街全体がライトアップされて、クリスマスムードいっぱいだ。
後方に青くらいとアップされているのが、リュブリャナ城だ。
街を見下ろすよに、丘の上に建っている。
クリスマス市には出店がいっぱい。これはヨーロッパのどの街もおんなじだ。
綿菓子はどこも定番メニューだ。
次回からはイースター島を紹介する。
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なかなか更新ができず、4ヶ月ぶりの更新となる。
今回紹介するのは、以前からずっと行ってみたかった国「アイスランド」。北極圏に近い、火山や滝など"絶景の宝庫"と言われている国だ。
今回は成田からスカンジナビア航空で、ノルウエーのコペンハーゲンを経由してアイスランドへ向かう。
コペンハーゲンで乗り継ぎ時間が7時間あったため、コペンハーゲン半日観光をしてみることにした。
実はコペンハーゲンは"ちょこっと観光"で有名な街。何と言っても、空港から鉄道で15分と近い上に、街がコンパクトなので、徒歩で十分観光できる。自転車文化がかなり発達していて、自転車専用レーンが整備されている。知らずにボケーっと信号待ちしていると、自転車にひかれそうになる。レンタルサイクルもあって、自転車で街を回ることもできる。
コペンハーゲンは運河が発達した街で、1時間で運河から街をぐるっと見てまわる、運河クルーズに乗ってみた。運河沿いの建物はカラフルで、ノルウエーのベルゲンのような街並み。
この様なオープンエアな船で、運河から街をめぐる。
運河沿いには様々な用途の船やヨットが停泊している。
こんな低い橋の下も潜っていく。
海側に出て、近代的建築物を見ていく。別名、ブラックダイヤモンドと呼ばれる、王立図書館。
奇抜なデザインのオペラハウス。
何やら人が集まっているところに、近づいていく。
これは、シンガポールの"マーライオン"、ブリュッセルの"小便小僧"とならび、"世界三大がっかりポイント"と呼ばれる、アンデルセンの"人魚像"。確かにがっかりだった。
陸に上がって、街並みの外観は他のヨーロッパの街と大差ないが、どこかオシャレな感じがする。
デンマークといえば、ブロックのLEGO(レゴ)。
色んな色や形のブロックがバラで売られている。
運河沿いの街並みもブロックで再現。
日本食レストラン"もどき"もある様だが、"うなぎ"の"ぎ"が裏返し。
有名な"チボリ公園"
"チボリ公園"の入り口。
デンマーク最大の鉄道駅である中央駅。重厚な建物だ。
駅の構内は結構、近代的。ここから15分で空港に戻る。
コペンハーゲン空港は結構大きく店舗数も多い。回転ずしもちゃんとある。でも、値段がバカ高い。
ここから乗り継いで、アイスランドのケフラビークへ出発だ。
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夜にコペンハーゲンを出発し、アイスランドを目指す。アイスランドまでは約3時間のフライトだ。北欧の都市から、さらに北へ3時間飛ぶのだから、さすがに北の果てに向かうといった感じだ。
アイスランドの街の明かりが見えてきた。深夜0時頃なのに、どことなく空が明るい感じがする。いよいよアイスランドに到着する。
国際線の玄関口、ケフラビーク空港に到着。首都のレイキャヴィークからは50kmほど離れている。
入国審査へ向かう途中、壁の写真に感激。ふと出会ったこの景色と色に惹かれて、こんな写真が撮りたくて、今回アイスランドに来たといっても過言ではない。
レンタカーのカウンター前の様子。ノースリーブの人もいれば、ダウンを着込んだ人もいる。日本では灼熱の8月、さすがにアイスランドだ。
空港近くのホテルで一泊し、翌朝レンタカーで、まずはゴールデン・サークルへ向けて出発した。ゴールデン・サークルとはアイスランド南西部にある、大瀑布、間欠泉、大陸プレートの割れ目などの有名な観光スポットが集まった一帯を指す呼称で、アイスランド観光の定番中の定番なのだ。まずは、ケリズ (Kerið)という名のカルデラ湖。
ケリズ は深さが 55 mあるカルデラ湖で、カルデラの形状が非常に綺麗に保存されていることで有名。
次に、グトルフォス(Gullfoss)大瀑布へ。駐車場から少し歩いて行くと、その先に水煙が上がっている。
グトルフォスとは「黄金の滝」という意味。2段の滝が美しい。
滝のスケールとしては、イグアスやナイアガラにはかなわないが、遊歩道や展望台がうまく配置されていて、いろんな角度や距離から滝を見ることができ、迫力満点だ。
1段目の滝はすぐ真上から眺めることができる。
水しぶきを浴びながら、かなりの迫力だ。
後方から滝を眺める。
2段目の滝からは水煙が立ち登り、霧のように辺りを包む。
滝壺からは、まるでフィヨルドの様に切り立った谷壁につながっていく。
大地の割れ目に隠れた絶景という感じだった。
次はゲイシール(Geysir)間欠泉。
ゲイシール間欠泉は最大で60m程噴き上がるそうだが、今では日に数回程度しか噴出しないようだ。
すぐ近くにあるストロックル間欠泉、やや規模は小さいが、5ー10分ごとに20mほどの噴出が見られる。
度々噴出するのだが、うまくタイミングを合わすことがなかなか難しい。
蒸気とともに、ドバーッと噴き出す。
そろそろ昼時、しばしドライブ。
トマト農場に併設されたレストランでランチ。
地熱を利用したビニールハウスで、通年でトマトを生産している、
ここのトマトスープと焼きたてパンが有名で、確かに美味しかった。ビールにもトマトが浮かんでいる。
ゴールデン・サークルの最後は世界遺産、シンクヴェトリル国立公園(Þingvellir)だ。アイスランドは北米大陸プレートと、ユーラシア大陸プレートのちょうど境目が隆起してできた島なので、本来海底深くにある大陸プレートの割れ目を、地表で見ることのできる、非常に珍しい場所なのだ。手前が北米大陸プレートで、川の向こうがユーラシア大陸プレートになる。
二つの大陸プレートに引っ張られてできた、地球の裂け目を「ギャオ(Gjá)」という。その一つで最大の「アルマンナギャオ(Almannagjá)」。
約9千年前にできたそうで、長さ8kmも続き、その間を歩くことができる。
左が北米大陸プレート側で、右がユーラシア大陸プレート側、年に数cmづつ拡がっいて、北米大陸とユーラシア大陸が離れていっている。
地球が生きているということを体感したような。。。
中々更新できず、ずいぶん時間が過ぎてしまった。気合いを入れ直して、アイスランドの絶景を紹介したい。
これは、ケフラビーク空港にあった写真パネルだが、滝と山と空と海の何ともいえない景色。アイスランドの代名詞のようなこの景色を見てみたくてここまでやって来たと言っても過言では無い。これからその舞台であるスナイフェルスネス半島を目指す。
ゴールデンサークルの観光を夕方5時頃に終えて、急ぎ西へ向かう。アイスランドの道は、島をぐるりと1周するリングロードと呼ばれる環状道路が主要都市を結んでおり、すごく走りやすい。
緯度が森林限界を超えているので、木々の無い不思議な美しい景色が続く。何かアンデスの高地に似ている。
8月のアイスランドは日没が夜10時半頃なので、夜9時頃まで観光することができる。1日をすごく有効に使えるのだが、その分、体力的には疲れる。
写真の撮影地であるスナイフェルスネス半島の北側の町、グルンダルフィヨルズルに午後8時過ぎに到着。これが写真に写っていた、キルキュフェトル山。正三角形の山で、こうやって見ると、そうパッとしない。。
夕食もそっちのけで、日没前に写真撮影のポイントを下見に行った。何やら小さな滝が見えてきた。
これも、知らなかったら通り過ぎてしまう程度の小さな滝なのだが。。
橋を渡って、ぐるりと滝の反対側に回り込んで、滝の後方から山を見てみると、
はいはい、確かにあの代表的な写真のような構図が出現した。
誰が見つけたのか、この地点から見ると、何でも無い景色の組み合わせから、見事な構図が生まれる。これに朝日の色が加わることによって、さらに幻想的になる。長い長い、アイスランド1日目が終了。
翌朝、もう一度同じ場所に行ってみると。すでに多くの人がカメラを構えていた。
空が見事に赤く染まり、海と川が光っている。
日中に見るのとは全く違う景色となる。
刻々と色が変わってくる。
特に写真に加工は加えていないのだが、山が光り出すと、全体が絵のように見えてくる。
すっかり夜が明けてしまった。
朝焼けのショータイムは30分ほどで終わった。
撮影ポイントはこんな場所で、こうやって見ると、何の変哲も無い小さな滝なのだが。。。
日が昇ってきた。長い一日の始まりだ。今日はスナイフェルスネス半島の見所を回って、アイスランド南部の中心都市ビークを目指す。
アイスランド2日目は、朝焼けが見れたのは幸運であったが、その後は曇天から雨。スナイフェルスネス半島を海岸沿いに走って行く。
観光のピークと言われる8月だが、道を少し外れるとほとんど人はいない。静かな砂浜になぜかテーブルがぽつんと。
海岸に溶岩でできた崖がせり出す。
車を降りて、何も無い溶岩の原野をぶらぶら歩いていくと、原色の建物が。。
木造の灯台だ。どんより暗い景色の中にオレンジが映える。
進んでいくと、道がふたつに分かれていた。何か人生の分岐点を考えさせられるような景色だった。
少しは知ってヘトルナルの街に着いた。
海辺に小さな教会がぽつんと建っている。
木製の素朴な教会だ。
溶岩でできた海岸線、アルナルスターピ。
奇岩がおもしろい景色を作り出している。
アーチ型の岩。
海辺にぽつんと建つ黒い木製教会。こういった素朴な風景もアイスランド独特だ。
アザラシが見れるというイートリ・トゥンガの海岸。
溶岩の海岸を進んでいくと。。いた!いた!
厳しい海の表情とは対照的に、なんとものんびりしている。
じゃれ合っている様で微笑ましい。
こんな身近に野生のアザラシが見れるとは驚きだった。
スナイフェルスネス半島の観光を終えて、アイスランド南部観光の拠点、ヴィークを目指す。
アイスランドは滝でも有名。ヴィークへ向かう途中、2つの有名な滝に立ち寄っていく・
まずはセーリャラントスフォス。60mの滝。
この滝は奥が空洞になっていて、
滝の裏側が歩道になっている。
滝の内側から外の景色を見ることができる。
水しぶき対策をしておかないと、ずぶ濡れになってしまう。
次の目的地、スコゥガフォスが見えてきた。
滝の前はキャンプ場になっている。
高さ62mの豪快な滝だ。
滝の上に登っていくことができる。
素朴で不思議な景色を眺めながら、リングロードを東に走っていく。
ところどころに立派な滝が見える。
牧草を刈り取って、丸めて白いビニールで円筒状の塊に。この景色もなんかおもしろい。
ディルホゥラエイという岬を目指す。
黒い砂浜、ブラックサンドビーチ。
ディルホゥラエイが見えてきた。
ディルホゥラエイに来た目的は、この岬が、アイスランドを代表する鳥、パフィンの有名な営巣地だからだ。
夕暮れ時に自分の巣に、餌をくわえて帰ってくる。その姿をひと目見たかった。
といっても、パフィンは崖に巣を造るので、上から巣をみることはなかなか困難だ。飛んでいる姿は見られても、なかなか降りてきた姿が見られない。
あきらめて、もう帰ろうかとしていたところに、一羽がふと現れた。これには興奮して、うまくシャッターがきれない。
望遠で近づいてみると、口にエサをくわえている。
正面からもパチリ。なんともカラフルで可愛らしい鳥だ。
目とくちばしに特徴がある。日本名はニシツノメドリというらしい。
どこかペンギンのような愛嬌がある。
思わず、お土産にパフィンの置物を買ってしまった。
小雨降る中、ヴィークの街に到着。明日は氷河へ。
翌朝、ヴィークを出て、アイスランド最大の氷河、ヴァトナヨークトル国立公園を目指す。
氷河が見えてきた。
だんだん近づいて来た。この氷河は国土の8%を閉める大きさがあるらしく、見えているのはそのごく一部だ。
ヴァトナヨークトル氷河観光の拠点、スカフタフェットルに到着。ここにはツアー会社のオフィスがあり、ここで準備を整えて、様々な氷河アクティビティーに出発していく。
まずは氷河トレッキング。氷河の麓まで車で移動し、
しばし山道を登り、氷河をめざす。
途中で、アイゼンを靴に装着し、ピッケルを手に持って、氷河トレッキングの始まり。
まさに、氷の上を登っていく。
振り返ると、氷河が溶けてできた湖が綺麗に輝いていた。
美しい光景を眺めて、しばし休憩。
ザクッ、ザクッと音を立てながら登っていく。
約1時間、氷のトレッキングを楽しんで下山。
氷河を後にして、一旦、スカフタフェットルに戻り、ヨークルスアゥルロゥン氷河湖を目指す。
ここでは防寒の完全装備。ちなみに日本はお盆休みの8月中旬。北の果てに来たことを実感。
ここがヨークルスアゥルロゥン氷河湖。
氷河の破片が湖にプカプカ浮かんでいる。
ゾディアックというゴムボートに乗り込み、氷河クルーズの始まり。
眼前に氷河の崖が迫る。
プカプカと氷河の破片が浮かんでいる。こういった光景は、パタゴニアのモレノ氷河、ウプサラ氷河そっくりだ。
ともに地球の北と南の果て、南北で同じ様な光景が見れるというのが興味深い。
氷が青く輝く。
ちなみに、氷は小さく見えても、9倍の大きさの氷が水面下にある。
氷の間を縫う様に進んでいく。
氷壁が目の前に見えてきた。
温暖化の影響で、急速に後退しているらしい。
日本の真夏に、北の果てに居ることを実感したクルーズだった。
最終日に首都レイキャービックに戻ってきた。
こじんまりとして、カラフルでおしゃれな街。
ここは首相府、日本で言うところの総理官邸。塀や警備員が居るわけでもなく、何ともオープンな建物だ。
セグウェイで巡る、市内観光ツアーもある。
何ともアートな壁。
レイキャービックのランドマーク、ハットルグリムス教会が見えてきた。
非常に前衛的な建物だ。
中ではちょうど、パイプオルガンの演奏が行われていた。オルガン奏者の服装にまたビックリ。本当に自由な国民性が現れている。
73mの高さがあり、展望台へはエレベーターで登ることができる(有料)。
レイキャービックの街並みを一望できる。
街のスーパーの様子を少し。アイスランドは物価が高いことで有名だが、卵10個パックが安い方で569クローネ、日本円で約500円。
これはパンケーキの素。ペットボトルにパンケーキミックスが入っていて、牛乳を入れて振るだけでできあがり。
ありそうで無い発想に感心した。
日本では冷蔵物は冷凍庫だが、ここでは冷凍室に置かれている。
フランクフルトにベーコンが巻かれている。これもあんまり見ないが美味しそう。
レイキャービックの名物はホットドックらしい。ホットドッックスタンドには行列ができている。確かに美味しかったが、特に。。。
土産物屋にはバイキングが。
どこもかしこも、なんかアートしている。
レイキャービックを後にして、最終目的地のブルーラグーンへ向かう。湯気が見えてきた。
ブルーラグーンはアイスランドの名所のひとつで、いわゆる大きな露天風呂。
ブルーラグーンのことは知ってはいたが、恥ずかしながら、天然の温泉と思っていた。実は人工の温泉で、近くにある地熱発電所の排水をを溜めて造った、人工の温泉池なのだ。
名前の通り、含有物のせいで、青白い温泉だ。
中はいたって近代的で、ロッカーも電子キー。
もちろん中は水着着用。温泉プールの様なもの。
外気が冷たいので、ぬるめのお湯がちょうどいい。泥パックなども楽しめる。
中にはドリンクバーもあり、お酒も飲める。
アイスランドの温泉で飲むビールは格別だ。
これで今回のアイスランドシリーズは終了だが、アイスランドにはまだまだ見所がある、冬のオーロラツアーにも挑戦してみたい。
偶然、出張中の機内誌で見かけた絶景に魅せられて、ポーランドに駐在していた2006年に、ノルウェーのフィヨルドを巡り、プレーケストーレンに家族で登った。5月であったが、まだ雪が残り、当時8歳だった下の娘には中々ハードな行程だったと思う。今回はさらにキツイ、"トロルの舌"へのトレッキングを計画してノルウェーを目指したのだが。。。行きのフライト、乗り継ぎのロンドンでフライトキャンセルと痛恨のロストバゲージ。トレッキング準備のほとんどが届かない事態に。荷物は2日遅れで届いたものの、日程調整がつかず、今回、"トロルの舌"は断念。
何とかスタヴァンゲルには到着し、最低限の衣類を現地調達して、取り敢えず、プレイケストーレンへ向かった。
登山道は整備されており、2時間弱のトレッキングだ。
登りだした頃は晴れていて、フィヨルドも少し見えていたが、天気予報では午後から雨。
プレーケストーレンに到着直前より雨が降り出し、プレーケストーレンは霧の中。
何も見えない。。
せっかく登ってきたからと、皆ポーズを取って写真を撮っているが、肝心の絶景が。。
フィヨルドは霧に覆われて、美しいはずのリーセフィヨルドは何も見えない。晴れていたらこういうふうに見えたはず。
どんどん霧が濃くなってくる。
霧が晴れてくるのを待っていたが、さすがに断念。
今回の旅は天候に恵まれなかった。といっても、ここベルゲンは1年に300日雨が降るといわれる街。
雨のベルゲンを高台から見下ろす。
当初はここベルゲンから、トロルの舌の起点の町、オッダへ向かう予定であったが、ロストバゲージに見舞われなくても、天候不良で断念せざるを得なかった。
ベルゲンはハンザ同盟で栄えた港町。最近では「アナと雪の女王」の舞台となった街として有名だ。
マクドナルドやスターバックスが入る建物も歴史を感じる。
ベルゲンは魚市場が有名。サーモンや新鮮な海産物、燻製が所狭しと並んでいる。
外には出店や屋台が並んでいる。
新鮮な魚介類を、その場で調理して食べさせてくれる。
世界遺産のブリッゲン地区、カラフルな倉庫で有名で、現在は商店やレストランとして利用されている。
ベルゲンで一番の観光スポットだ。
ベルゲン空港で見かけた、トイレのピクトサイン。微妙な感じが表現されている様に感じるのは、自分だけだろうか。
ベルゲンからガイランゲルフィヨルド観光の起点の街、オーレスンへ空路移動。
この街は2度目の来訪だが、自分が見てきた世界の街のなかで、リトアニアのヴィリニュスと並んで、いちばん美しい街ではないかと思う。
こじんまりとした静かな街で、何気ない風景が絵画の様に美しい。
街全体がアールヌーボー様式の建物で、それぞれが個性的であるのに、すごく調和していてる。
運河には花がたくさん植えられ、遊歩道が整備されている。
ホテルもこんな感じで、中の間取りも、非常に個性的。
ここはレストラン街。
オーレスンは高台からその全貌を見下ろすことができる。
夜景が特にきれいだ。
刻々と風景が変わっていく。何か生活感を感じる灯りが、温かみを感じる。
停泊したヨットともすごく調和している。
オーレスンの港からクルーズ船でガイランゲルへ向かう。
運河のような狭い流れから本流へ出ていく。
自分が見てきた限り、フィヨルドの景観では、プレーケストーレンから眺めるリーセフィヨルドとこのガイランゲルフィヨルドが群を抜いて素晴らしいと思う。
天候がころころ変わっていく。
これがフィヨルドというものかと実感する景色。
あちらこちらに滝がある。
この滝がまた、大迫力だ。
ガイランゲルの街に着き、しばし観光タイム。高台に登って、ガイランゲルの港を見下ろす。
晴れてきた。
来た航路を帰っていく。
逆方向は、また違った景観を楽しめる。
大波乱から始まった今回のノルウェー旅行。コロナ明け初の海外で、若干リスク管理も甘かった。でも、充分に絶景を堪能できた。