大阪 城東区の内科、循環器内科クリニック。循環器疾患、生活習慣病の管理、花粉症などアレルギー疾患、禁煙外来対応。
“ドクトル・イトウの地球の果てまで“ 世界60ヶ国以上を訪れた、院長のちょっと変わった見聞録
「ドクトル・イトウの地球の果てまで」も、とうとう100回目を迎えた。クリニックの開院と同時に始めて、足かけ3年4ヶ月だ。最近では、「先生、ブログ読みましたよ!」と声を掛けて下さる方もいて、嬉しい限りである。まだまだ書きたい事は残っているので、もうしばらくお付き合い願いたい。
中南米編へ戻る前に、もう少しヨーロッパを寄り道して、ロシアを紹介しようと思う。
ソチ・オリンピックで沸いたロシアだが、旅行で行くにはビザが必要であったり、他の西欧諸国を旅するようにはなかなかいかないことも多い。今回はロシアの古都、サンクトペテルブルグを紹介する。
サンクトペテルブルグはネヴァ川の河口に、帝政ロシアのピョートル大帝によって1703年に築かれた人工都市である。ロシア帝国の首都であり、ソ連時代はレニングラードと呼ばれた。
街には運河が発達しており、街並みは西欧風だが、教会などはロシア独特だ。
地下鉄も整備された大都市だが、未だに懐かしいトロリーバスが走っており、共産圏らしい雰囲気だ。
旧海軍省の建物
川には船が行き来して、ここが港湾都市であることがわかる。最近は日本企業が進出していて、トヨタ、日産、スズキが大規模な自動車工場を稼働させている。
港町独特の雰囲気が漂う。
対岸に見えるのは、ペトロパヴロフスク要塞だ。歴史上、この地はスエーデンが支配していた時期があり、ロシア帝国がスエーデンから奪い返したこの地を防衛するために造った要塞だ。
川縁は市民の憩いの場所になっている。
モスクワ・オリンピックのマスコットは子グマの「ミーシャ」であった。子グマが見世物になっているところが、ロシアらしい。チップを払えば抱かせてくれる。
西欧風の落ち着いた街並み。ソ連時代の無機質な建物とは雰囲気が異なる。
広告に混じって、政治的なスローガンが掲げられている。
今ではアメリカ文化の象徴であるマクドナルドも、当たり前のようにある。
「ソ連」をイメージするような軍服を着たおじさん。
郊外にでると、「ソ連」らしい、無機質で無表情な団地がならんでいる。
終わること無く、延々と続いていく貨物列車。
では、街の名所を紹介していきたい。まずは何と言っても、世界三大美術館の一つ、エルミタージュ美術館だ。
ネヴァ側に面して建つ、美しく堂々とした建物だ。
元々は、女帝エカテリーナ二世の、自ら買い集めた美術品の展示室であったらしい。現在のエルミタージュ美術館は王宮であった冬宮と三つの離宮、劇場から成る。
冬宮は美術館というより、宮殿そのもの。有名な「大使の階段」
紋章の間
謁見の間
「1812年戦争の画廊」と呼ばれる通路で、両脇に1812年戦争の将軍の肖像画がかけられている。
通路も重厚感がある。
エルミタージュ美術館の裏側は広場になっており、宮殿広場と呼ばれている。中央にはナポレオン戦争の勝利を記念して造られた、高さ47.5mのアレクサンドルの円柱がそびえている。
エルミタージュ美術館の反対側には旧参謀本部の建物とアーチが広場を囲むように建っている。
日露戦争の時に起こった、「血の日曜日事件 (1905年)」が起こった広場としても有名だ。
アーチから広場を望む。
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