院長のコラム

“ドクトル・イトウの地球の果てまで“ 世界60ヶ国以上を訪れた、院長のちょっと変わった見聞録

第97回 ユダヤの街、カジミェシュ(ポーランド):シンドラーのリスト

ポーランドで4年間生活して、何度も訪れたアウシュビッツ強制収容所。日本人にとっては、なかなか訪れる機会の少ない場所なので、是非とも伝えたいと思うのだが、書きたくても、どう書いていいのかわからず、なかなか書くことが出来なかった。ポーランドのレポートもそろそろ最後になるので、これから3回シリーズで自分なりにこの地で何が行われていたのかを書いてみたい。
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ポーランドの古都クラクフ。首都のワルシャワが東京なら、クラクフはまさに京都。17世紀にワルシャワに遷都されるまで、ポーランド王国の都があった街だ。
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クラクフ旧市街は、観光の拠点であると共に、市民の生活の場でもある。生活の匂いのする、活気ある旧市街だ。
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高さの違う二つの塔を持つ聖マリア教会。13世紀にここを襲撃したモンゴル軍との逸話が残っている。モンゴル帝国はこんなところまで来ていたんだと、その巨大さにつくづく感心する。
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観光用の馬車で旧市街を巡ることが出来る。
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冬のバベル城。冬のクラクフは何ともしんみりと寂しいのだが、自分はこの静寂感が結構好きだった。
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民族衣装で音楽を演奏する人達。

この観光で華やかなクラクフの近郊に、映画「シンドラーのリスト」で有名になった、シンドラーさんが経営していた
工場跡が今も残っている。

この街とユダヤ人の歴史は古い。中世、ヨーロッパ中でユダヤ人が迫害されていた頃、ポーランドではユダヤ人の権利が保護されていたため、迫害をのがれて、ユダヤ人達はポーランド王国へ集まって来た。
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クラクフ近郊にあるカジミェシュ地区。中世の頃からユダヤ人が多く住んでいた場所だ。
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街には、何かもの悲しさを感じる壁がいたるところにある。元々ユダヤ人の居住区であったカジミェシュは、ナチス・ドイツ占領下で、「クラクフ・ゲットー」となり、壁で外部と遮断され、ユダヤ人の隔離地域となった。
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ユダヤ教の教会、シナゴーグ。
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壁にはヘブライ語のポスターが貼られている。
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ユダヤ音楽を聴きながら、ユダヤ料理を楽しむレストラン。今ではユダヤ文化を楽しむ街となっている。
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今は何の変哲もない駐車場なのだが、
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「シンドラーのリスト」のワンシーンでもある、アウシュビッツ強制収容所行きかどうかを判定される場所だった。写真は当時のもの。

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