院長のコラム

“ドクトル・イトウの地球の果てまで“ 世界60ヶ国以上を訪れた、院長のちょっと変わった見聞録

第49回 クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナの旅3:戦禍の街サラエボ

次に訪れるのは、クロアチアの隣国ボスニア・ヘルツェゴビナの首都サラエボ。サラエボと聞いて、どこの国?と考える人が多いと思うが、サラエボ・オリンピックというと覚えている人も多いだろう。1984年に行われ、カタリナ・ヴィット選手らが活躍した冬期大会だ。当時はまだユーゴスラビアであったが、その後に分離独立した。ボスニア紛争では1992年から4年間にわたり敵軍に街が包囲され、多くの犠牲者を出した。これらの写真は2005年8月当時のものである。
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プリトヴィッツェから陸路ボスニア・ヘルツェゴビナ国境へ。クロアチア側に比べシャビーな国境だ。
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職員の事務所もこんな様子。経済格差を感じる。
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山間ののどかな農村地帯を走る。
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道中、所々の店先でこのような光景を見た。豚の丸焼き?と思っていたが、ここはイスラム教徒の多い国、羊の丸焼きだった。間近で見ると結構グロテスク。
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その名も「サラエボ・ビール」、国際コンクールで何度も賞を取ったビールらしい。
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サラエボに向けて走っていく。今回の写真の多くは、カメラを向けづらい被写体が多く、車の窓越しに撮ったものがほとんどなので、写真のできはご容赦いただきたい。あくまでも雰囲気が伝わればと思う。
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何の変哲もない普通の街の光景だが、家の外壁には生々しい銃弾の痕がいっぱいだ。
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今は普通に生活をしていて、生活感がある家だけに、傷跡が生々しく感じる。
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水玉模様のように銃弾の痕が残っている。
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そろそろサラエボ市内に入ってきた。
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今はこのようなモダンな建物も見られるようになった。
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市内中心部にある象徴的な高層ビル。
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銃弾の痕で廃墟のようになったままだ。
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瓦礫のようになったビルもそのまま放置されている。
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このような商業ビルさえ、銃弾の痕がいっぱいだ。
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市の中心部から少し離れた、オリンピック会場を目指す。
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今回サラエボに来た目的はこのオリンピック会場の様子を子供達に見せるためだ。
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五輪のマークが何かもの悲しそうな塔。
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かつてのオリンピック会場は今、ボスニア紛争の多くの犠牲者が眠る、広大な墓地となってしまっている。
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これらは恐らくイスラム教徒のお墓、宗教によってグループ分けされているのだろうか。
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平和の祭典であるオリンピック会場が、戦争の悲しみの場所と化している。何とも皮肉な話だ。
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旧市街にある職人街、バシチャルシァ。色んな土産物屋が並ぶ。オスマントルコの影響を受けた建物が何ともオリエンタルな雰囲気を醸し出す。
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観光客で賑わう観光地になっている。
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ユーゴスラビア時代1970年代にフィアットをライセンス生産した、ユーゴスラビア製の車「YUGO」

次回は平和再建の象徴、世界遺産のモスタルへ。

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